山里亮太が映画好きのゲストと映画の深掘りトークを繰り広げる、WOWOWで毎週金曜日深夜に放送・配信中の映画番組『フライデーミッドナイトシアター』。2月のゲストとして登場するのは、日本テレビの「金曜ロードショー」のプレ番組にも出演し、自身のYouTubeチャンネルでも「ハリウッド映画あるある」ネタが人気を博すなど、映画大好き芸人として知られる、ピン芸人ユニット「おいでやすこが」のこがけん。インタビュー後編では、こがけんと映画との出合いや、映画から受けた影響についてじっくり聞いてみた。

こがけん

――芸人さんのなかでもこれだけ映画愛が深い方は珍しいと思うのですが、そもそもこがけんさんと映画の出合いとは?

僕には12歳上の姉がいるんですが、まず姉が先に親戚のおじさんから映画を叩き込まれて、その姉に僕も3~4歳の頃から『ブルース・ブラザーズ』をひたすら観せられて。チャップリンの『独裁者』や『モダン・タイムス』辺りも子どもの頃から観ていた記憶があります。

――3~4歳だと字幕はまだ読めないですよね。

そうですね。『ブルース・ブラザーズ』なんかは、歌って踊って、車が走って、飛んで……みたいな印象だったと思います。映画の冒頭に登場する、急こう配の跳ね橋を車がバーンって飛んでいくシーンが子どもの頃めちゃくちゃ好きで、何回も「あれを観せろ!」ってせがんでたみたいです。『モダン・タイムス』で言ったら、チャップリンがぜんまいに巻き込まれて移動するところとか、椅子に座ると自動的に口を拭いてくれて、勝手に食べさせてくれて。食べ終わったら、また勝手に口を拭いてくれて……っていう、自動朝食機のシーンとか。お話の内容よりも、ビジュアルで理解していた感じですよね。

――こがけんさんにとっての"面白い映画"の定義とは?

最初から「後味の悪い映画が観たい」なんて人はほとんどいないわけですけど、じゃあ、名作を観て嫌な気持ちにならないかって言ったら、全く違うじゃないですか。なかには「面白いけど、胸糞悪い映画だな」と思う映画もあって。そういう意味でも「名作に出合いたいなら、自分を空っぽにした状態で何も期待せずに観るのが一番いいんじゃないか」と思ってる節がありますね。期待するから、裏切られる。

――胸糞悪いけど、すばらしいと思った映画はありますか?

うーん。それこそ『奇跡の海』とか『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とか、「胸糞悪くて二度と観たくはないけど、面白かったな」っていう映画をラース・フォン・トリアー監督は撮りがちですよね(笑)。『火垂るの墓』だって、今となってはもう、あらすじを聞くだけで精一杯で、悲しすぎるあの結末に自分が耐えられるとは思えない。でも、あれが良くない映画なのかと言ったら、それとこれとはまた別なんですよね。受け入れ難い結末であるからこそ、あの映画の意味があるわけで。「胸糞悪い」とか「胸糞悪くない」に関係なく、「自分がこの映画の良さを伝えなければこのまま埋もれてしまうかもしれない」と思うような名作映画もたくさんあったりするんです。そういう作品と出合った時は「誰かの心に引っ掛かればいいな」と思って、SNSで感想を書いたりすることはありますね。

――映画に救われた経験があるからこそ、映画に対して恩返ししたいと?

最近、映画の上映中にスマホの電源を切れない人がいるって言われたりもしますけど、「電源を切れる口実を作ってくれる場所があるっていう非日常を、なぜ楽しまないんだろう?」って、僕は思うんですよね。映画館という場所は、日常から自分を切り離して別のことに没頭させてくれる場所なんです。コロナ禍中、僕は映画館にも行けずに家でサブスクやDVDで映画を観ていたんですが、映画館とあまりにも距離を置きすぎて、そのとき自分が心から欲しいと望んだものが「すでにもうこの世にあったんだ!」って気づいたことがあって(笑)。映画館に行けなくなって半年ぐらい経った時に、「お金は出すから、真っ暗の広いところで、爆音で、大きな画面で映画が観たい!」って、ふと思ったんですよ。でも考えてみたらそれって、普通に映画館のことだったんです(笑)。

――つまり、こがけんさんにとって映画は、スクリーンで観るべきものってことですか?

もちろんスクリーンのみではないと思いますけど、スクリーンで観られる環境があるなら、やはりそれは特別な体験ではあると思うので。まずは映画館ありきだとは思ってますよね。

  • 2月の『フライデーミッドナイトシアター』では、MCの山里亮太とこがけんが映画についての深掘りトークを展開

――ずばり、こがけんさんにとって映画とは?

適度な距離で寄り添ってくれるところが、僕が映画が好きな理由なのかもしれないですね。人って、直接説教されても素直に聞けなかったりもするものだけど、映画はいろんなメッセージや先人の知恵、教訓といったものを、エンタメというパッケージで包んで観せてくれるから。そういう意味でも、映画ってすごく偉大な存在だと思うんですよ。うちは小学校低学年のときに親が離婚してるんですけど、片親である違和感みたいなものって自分ではなかなか口にできなかったりするんです。でも、ちょうどその頃『マイ・ガール』を映画館に1人で観に行って、自分と同じように片親でもちゃんと生きてる人間がいるってことが分かって、すごくうれしかったんですよね。もちろんフィクションではあるんですが、それだけで自分が救われる感覚があったというか……。とはいえ、別にいい映画が好きだからといって、必ずしもいい人とは限らないですからね。『男はつらいよ』シリーズがめちゃくちゃ好きなバイト先の社長がいましたけど、喋り方だけは寅さんみたいな感じの喋り方なんですけど、実際には人情味のかけらもない冷徹な男でしたから(笑)。

――(笑)。映画好きだからといって、必ずしも人格者であるとは限らないってことですね。

そうですよ。僕もよく言われるんですよ。映画の解説とか、「まもなく金曜ロードショー」でやったりすると「あそこのシーンからそう汲み取れるってことは、こがけんさんは優しい人なんだろうなぁ」とかファンの方が言ってくれたりするんですけど、そんな事は無い!

――(笑)。

もし映画をたくさん観てる人たちがみんな人格者だとしたら、映画評論家には素晴らしい人しかいないはずだけど、彼らは彼らで結構もめたりするでしょ。

――いくらたくさん映画を観ても、学べないこともある、と。

結局、みんな自分に都合のいいことだけを吸収しようとしてるんだと思いますよ。だからこそ、映画を観るときには自我を無くすことが何よりも重要なんです。映画に対する期待とか偏見みたいなものは、人に映画をオススメしたりするときは絶対邪魔になる。「実際にスクリーンで起きたことだけをきっちり伝えよう!」と意識するだけでも、映画の観方はそれまでと全然違ってくると思うし、そうすることで映画から得られる情報も増えると思います。

――バイアスがかかると、映画を観る目がくもるということですね。

もちろん、多少は前情報があってもいいとは思うんですけど、「この映画はこういうものだ!」と思いながら観るのは、もったいないっていうことですよね。『THE FIRST SLAM DUNK』とかも、いくら前情報がなかったと言ってもゼロではいられないじゃないですか。大抵の人は『スラムダンク』という漫画のことは知ってるわけで。でも本当は、原作も知らなかったような人の方が、あの映画は楽しめたはずなんです。「桜木花道が主人公なのに、花道のパートが少なくない?」って思いながら観ていた人もいると思うんですけど、僕からすると、その人は損してるなって思うってことです。

――なるほど。

例えば、僕はM・ナイト・シャマラン監督がめちゃくちゃ好きなんですが、シャマランの映画を観るときは「なんでこんなことやるんだよ!」とかめっちゃ悪態をつきながらも、最後は「あぁ~面白かった!」って満足している自分がいるんです。観終わった後も友だちと「あのシーン、あんなに長くする必要なかったよな」とか文句言いながらも、気づいたら「面白かったな。また観ような!」って言い合ってる、みたいな(笑)。シャマラン監督は「ホラーの異端児」扱いをされていて、予告編でも変に煽られすぎるからいざ蓋をあけるとガッカリされますけど、過剰な期待を持たずに観れば、ずっと面白いものを作り続けてますからね。

――観る前から勝手に期待値を上げ過ぎると、せっかく面白くても、純粋に楽しめないと。

解釈や考察を必要としないタイプの映画はリアルタイムで没頭しながら観られるから臨場感があると思うんですけど、もし全ての映画が同じような作りになってしまったら、そんなの面白くないじゃないですか。映画によってそれぞれ担っている役割が全く違うわけで、なかには一度観ただけじゃ完全には理解できなくても、ふと次の日に思い出して調べたくなったりするような映画が混ざっていたりもする。逆に言えば、観ている最中は「面白い!」と感じても、次の日すっかり内容を忘れているような映画って、実はそれほどでもなかったりして。ふとした瞬間に思い出したりする映画の方が、意外とその人の人生にとって重要な作品だったりすることは多々あると思います。映画を観た後に、誰かとその映画について感想を語りあったりするのって、めちゃくちゃ楽しいじゃないですか。咀嚼して、映画を深く理解する手立てにもなりますし。観終わったあとにそういう時間を過ごしたいからこそ、自分は映画を好きで観ているのかもしれないですね。