大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)もいよいよ最終回を残すだけとなった。「みんないなくなっちゃった」と政子(小池栄子)と実衣(宮澤エマ)が第46回で嘆いていたが、気がつけば、北条家のみになった。

  • 北条義時役の小栗旬(左)と政子役の小池栄子

尼将軍・政子、尼副将軍・実衣、執権・義時(小栗旬)、時房(瀬戸康史)、泰時(坂口健太郎)と北条家の結束は固い。彼らがしょっちゅう喧嘩しているようで実のところいやに強くつながっていることを、のえ(菊地凛子)が端的に言い表す。「ぶつかればぶつかるほど心を開きあっているように見えるんです」「薄気味悪い親子なんですよ」と。これは義時と泰時の関係を表した発言だが、北条家全体にも言えるだろう。のえの子・政村(新原泰佑)のことは誰も重要視していない。血のつながっていないのえが北条家のなかにどうしても深く入ることができない様子は少し不憫に見える。

北条家の不気味さは、第47回「ある朝敵、ある演説」(演出:吉田照幸、谷口尊洋)の冒頭での義時と実衣のやりとりがいい例である。「私のこと殺そうとしたでしょ」「してない」、「首をはねるといったでしょ」「言ってない 言ってないよな?」などと言い合う2人。そして時房が「言ってました」とチクる。実衣は義時のいないところでは「一日も早く亡くなってもらわないと」と冗談めかして言ったりもする。三谷幸喜氏らしいブラックユーモアであるが、殺し殺されそうになった者たちがこんなふうに笑って済ましてしまうことはどこか「薄気味悪い」。こんなとき、太宰治の『右大臣実朝』の一節「平家は明るい、明るさは滅びの姿であろうか、人も家も暗いうちは滅亡せぬ」が浮かんでくる。

北条家はすでに滅びに向かっているのではないか。史実では北条家は滅ばないけれど、少なくとも政子と義時と実衣のきょうだいの世代は正しい道から外れてしまっているように感じる。

『鎌倉殿』が物語を北条家にぎゅっと収束させようとしているのは、承久の乱のきっかけとされる政子の演説に現れている。バラバラになってきた御家人たちに向かって政子が頼朝のご恩は「山よりも高く、海よりも深い」と説き、その恩に報うために決起させたと北条家の公文書『吾妻鏡』に記されているが、三谷氏は、大江広元(栗原英夫)が用意した一大演説の原稿を政子が読むにあたり、「海よりも……」でやめて自分の言葉で語りかけ、それが御家人の心を動かすように描いた。

政子が語るのは弟・義時の功績である。頼朝の御恩と源氏三代を守り抜くとは最終的には言ってはいるのだが、義時の印象を良くすることを重視したのだ。目下、朝廷が義時を追討せよとの院宣が出たことで義時の命は風前の灯火。彼を守るため、これまで私利私欲で動いたことはない、鎌倉のために働いてきたのだと言う。つまり、ここで政子は源氏に依ることなく北条家を推しているのである。

政子の演説の際、義時に私利私欲はないと「私も知っています」と実衣が後押しするのは、身内すら殺す決断をする兄の生真面目さを身を以て知っているから。さらに泰時も声をあげる。家族ぐるみで一致団結して、御家人たちの義時への不信感を払拭する。こうして完全に北条家が源氏を超えたといえるだろう。これこそが北条家の悲願であったのだ。

政子も義時も生きるために必死になっていただけであり、決して悪だくみして他者を陥れてきたようには描かれてはいないものの、結果的に頼朝(大泉洋)、頼家(金子大地)、実朝(柿澤勇人)と源氏が滅び、今度は朝廷とも戦おうとする北条の人々の生きる力の強さははかりしれない。

だが、追討の院宣が出たとき、さすがの義時もついにこれまでと腹をくくった。人生を振り返り、伊豆の豪族の小倅が頼朝と並んだと「おもしろき人生でございました」とかっこつけるが、「かっこいいままでは終わらせません」と政子が張り切る。従来なら普通の感動場面が、おもしろ場面になっているだけでも秀逸なうえ、これも全部、義時が仕組んでいるのではないかと疑おうと思えば疑うことも可能であるという、素直じゃなさ過ぎる視聴者のための余白があるところもじつに優れた物語である。

ここからは疑い深い者としての解釈をしてみよう。第45回でいろいろ絶望して伊豆に帰ると言い出した政子に、義時は自分ばかりに手を汚させて政子は何もしなかったと責めていた。「とことんつきあってもらいます」と言われたら政子はその後、義時のために、北条家のために頑張るしかなくなるだろう。夫も子供もなくほかに心を注ぐものがないとき、弟にすべてを注ぐことになるのも自明の理である。そこまで義時が計算して行っていたとしたら小四郎、おそろしい子、なのだが……。少なくとも彼の言葉が政子を動かしていることは確かである。

政子の「演説」は言葉が人の心を動かすことの最たる例である。そういう意味では『鎌倉殿』とは言葉の力の物語でもある。「天命に逆らうな」という歩き巫女(大竹しのぶ)の言葉も実朝に効いてしまっていたように(本当は「雪の日に出歩くな」を信じたほうがよかったのはさておいて)、とかく言葉は使いようである。

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