香取慎吾&岸井ゆきのが夫婦で共演――という一報が流れたとき「面白そうだな」と興味を持った人は多かったのではないだろうか。2人が共演する映画『犬も食わねどチャーリーは笑う』(9月23日公開)のメガホンをとった市井昌秀監督と言えば、『箱入り息子の恋』や『台風家族』など、これまでもシニカルかつハートフルな人間物語をオリジナル脚本で描いてきた人物。しかも本作では「情けなくてだらしない香取慎吾」を思い描いて構想を練っていたという。ぴあフィルムフェスティバルで香取が審査員を務めていた2008年に、グランプリを受賞した市井監督。そこから14年の月日を経てタッグを組んだ香取との現場はどんなものだったのだろうか――話を聞いた。

  • 市井昌秀監督

本作で香取が演じる裕次郎は、岸井扮する妻・日和と結婚4年目を迎える“表向き”は仲良し夫婦だが、その実は妻の神経を逆なでするような行為を連発する“ダメ夫”。日和は、積もりに積もった不満を“旦那デスノート”なるサイトにぶちまけ、裕次郎もそのことを知ってしまい、静かなる夫婦げんかの幕が開けるというストーリーだ。

劇中の裕次郎は、とにかく煮え切らず、悪気なくイラっとすることをするため、観ている方も、つい妻に感情移入してしまうほどのダメ男だ。「香取さんも岸井さんも“ほぼ”当て書きに近い形なのですが」と2人をイメージして脚本を書いたことを明かすと「香取さんは、これまでアニメ漫画っぽいというかキャラクターの強い役を演じることが多かったので、本当に平凡で、ちょっとだらしなさやダメなところがある男を演じてほしいなと思っていたんです」という願望があったという。

こうしたキャラクターを演じてもらいたいと思ったのは、市井監督には香取が完璧な人間に映っていたから。「香取さんって弱さとかを見せないパーフェクトなイメージがすごく強かったんです。そういう人に、弱さを持った人物を演じてもらったら面白いと思って」と語ると「最初の読み合わせをやらせてもらったときに、人間誰しも弱い部分ってあると思うので、その小さな弱さでもいいので、虫眼鏡で広げるようにさらけ出してくださいとお願いしました」と演出意図を明かす。

  • 裕次郎役の香取慎吾(左)と妻・日和役の岸井ゆきの

■カメラがないものとして立ち振る舞う能力に長けている

市井監督と香取の出会いは2008年までさかのぼる。香取が審査員を務めたぴあフィルムフェスティバルで、市井監督はグランプリを獲得。自身の作品を高く評価してくれた香取と「いつか一緒に」という思いがあった。

2020年には香取のソロアルバムに収録されている「FUTURE WORLD (feat.BiSH)」のミュージックビデオを市井監督が手掛けたことで、本作の企画が始動した。市井監督にとっては念願の映画でのタッグとなったが、ミュージックビデオを撮っている段階から、香取の「空間を把握する能力」に脱帽していたという。

「カメラ位置とかアングル、さらにどんなサイズで撮るか……みたいなこと完璧に分かり切って現場に入られているんです。これって当然のように思われるかもしれませんが、かなりすごいこと。相当なスキルの持ち主だと思います」

こうした能力は、芝居の現場ではさらに力を発揮すると市井監督は確信していた。特に、役者さんに芝居をしてもらう際、あまりカメラ位置などを気にしてほしくないという思いを持つ市井監督は「香取さんの場合、もちろんいろいろ考えて現場に入られると思うのですが、いざカメラが回ると本能的というか野性的にお芝居をされるんです。完全にカメラを意識していない。言うなればカメラが存在していないものとして立ち振る舞うんです。普通、どこかでよく見せたいとか、なにかしたがるものなんですけれどね」と衝撃を受けたという。

しかも、それでいてカメラの画角からはみ出ることもないという。この能力は「アイドルや俳優として、尋常ではない場数を踏んで、撮られまくってきたからこそ勝ち取ったスキルなんだろうなと思っていました」と証言する。

そんな本能的な芝居をする香取と相対する岸井にも脱帽したという。「もともとこれまでの作品を観ていて、表情一つで感情がしっかり観客に届く、映画的な女優さんだなと思っていたんです」と語ると「今回は普段は笑っているけれど、スイッチが入ってからは夫をどんどん追い詰めていくという、とても振り幅が大きな役なのですが、変に説明的になることもなく、自然に演じてくださいました」と絶賛した。