BPO青少年委員会は29日、「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解について、6月28日に実施した放送局の担当者との意見交換会の内容を公表した。

BPOの事務局が入る千代田放送会館

■全くの誤解を基に書いているニュースがある

まず、青少年委の榊原洋一委員長は「今回の『見解』に対してニュースやインターネット等で様々な意見や批判があるのは承知しています。しかし、その中の多くの方が誤解しています。BPOが検閲や規制をする機関であるかのような言い方をされ、それが一般の視聴者だけでなく、ニュース記事を書く記者の中にも全くの誤解を基に書いている方がいることはとても残念に思います」と説明。

また、「『見解』について事前に皆さんから寄せられた質問の中には『痛みの定義とは何か、ガイドラインを示せないか』という趣旨のもがありましたが、BPO青少年委員会の性質とは相入れないものです。私たちは基準やガイドラインを示したり、こうすべきだと言ったりするような委員会ではありません。この『見解』は、『視聴者からこんな意見が来ているが、これにはこういう意味があるのではないか、今後番組を制作するときにぜひ念頭に置いて制作していただきたい』という思いから作ったものです」との考えを示した。

緑川由香副委員長は「BPOが『見解』などによって、結果的に番組制作者に不自由さをもたらしてしまうのではという意見もあります。青少年に影響があると思えば、この表現はやめておいたほうがよいのではという発想が出てきますが、表現の内容も方法も無限にある中で、今のこの時代や社会において、工夫を凝らしていい番組を作っていくということを私たちも一緒に考えていきたい」と意欲を述べた。

■吉本新喜劇、熱湯風呂、アツアツおでんは対象か

局側からは、吉本新喜劇の例を出し、「暴力シーンがたびたび出て来ます。何かというと棒のようなものや灰皿やお盆で叩いたり、女性の芸人さんを壁に投げ飛ばしてぶつけて目が回るようなしぐさをする場面が頻繁にあります。関西では子供のころからなじみのある芸なので一定の理解をしてお約束事と受け止めますが、いかがでしょうか?」と質問が。

これに対し、榊原委員長は「吉本新喜劇が視聴者意見で批判的なものとして寄せられたことはほとんどありません。見る方は分かっているのではないかと思います。上からたらいが落ちてきたりするのは芸の流れの中であることは、みんなから理解されていると思います。もちろん私たちも吉本新喜劇が該当するという考えは最初からありませんでした」と回答した。

また、「先日、亡くなられた人気芸人の熱湯風呂やアツアツおでんのような芸は、痛みを伴うバラエティーの対象にならないと考えてよろしいのでしょうか」という質問に対し、緑川副委員長は「文脈があり、見ている人たちが気持ちよく笑える演芸とか芸とか技術とかそういう域に達している笑いの中に痛みがあるということを問題にしているのではない」とした上で、「を人が嫌がって避けようと思っていて、避けたいのに羽交い絞めにして痛みを与え、そのことをさらに周りで嘲笑していることが、科学的には子供によい影響を与えないということがあるのではないかということを、一定程度考えて番組制作をしていくためのひとつの情報というか、そういうことがあるのだということを共有していきたい」と、今回の「見解」の趣旨を強調した。

さらに、「本当に苦しんで苦痛に見えるところを周りで笑っている」という部分が「見解」のポイントであるにもかかわらず、タイトルを「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」としたことで、範囲が広がった印象になってしまったことについて、榊原委員長は「誤解を呼ぶような可能性があった」と認めた。

■ドラマはOKでもバラエティは悪い影響がある理由

局側からは「ドラマは流れとか予見とかストーリーがあるから影響はないが、バラエティはそうではないから影響があると断じられているのがずっと腑に落ちません。バラエティにも流れ、予見はありますし、きちんと台本も書いていますし、構成も作っていますし、そもそもドッキリ番組はタイトルにドッキリと付いています。なので、視聴者もドッキリを見るつもりでドッキリを見ているので、なぜバラエティだけそこを断じて悪い影響と言ってしまうのかが極めて腑に落ちていません」という意見も。

これに対し、榊原委員長は「ドラマの中で暴力場面がある場合には、もちろん多少は痛みというか、物理的な痛みを感じると思うのですが、やはりドラマというのは作られた話であると思われているわけです。ところが、バラエティーの中でリアリティーショーとして、あるいはドッキリという名前がついていても、ドッキリということ自体は、それは全部作られたものであったとしても、暴力とかを受ける人が知らないところでやるからドッキリは面白いわけです」「芸の一部になっていて、次にここでたらいが落ちてくるよ、ここでお湯の中に落ちるよというのは、もうストーリーがそこで見えるわけです。ドッキリといっても、ドッキリという言葉の中にこれはドッキリをかけられている人は知らないぞというようなリアリティーを作り出して行っています。そこがドラマと違うところです」と解説した。

また、榊原委員長は「私たちはもちろん芸人さんが命をかけている、あるいは芸としてやっているということは理解していますし、尊敬いたします。しかし、私たちはそれを見た視聴者がどう思うかということが全てのスタートです。芸人の間で、芸人同士あるいは作り手との間で、きちんと分かっていること自体が分かっていても、できたものを見る人間、特に年齢の小さい人にとって例えばすごく苦しそうに見えるような、それもドッキリを知らないところでされたのだと、こういう形になります。だから、ドッキリはかけられる人が来ることが分かったら全然面白くない。あれはストーリー上知らないことになっていると。それをどんどん作り込みの中で本当にそれらしくしていくわけです。小学生ぐらいの子供はそのようなことについては見分けられない可能性があります。その辺のところの小さい線引きは難しいところですが、皆さんにも理解してもらいたいと思っています」と補足した。