雪の降る年末の心温まる昔話といえば「笠地蔵(かさじぞう)」。貧しくも心優しいおじいさんとおばあさんが、最後には幸せになる物語です。

子どものころに読み聞かせてもらった話でも、大人になってから読み返すと意外な発見があるものです。笠地蔵に込められた教訓や子どもたちに伝えたいことを、あらすじから見てみましょう。

笠地蔵のあらすじ

  • おなじみの昔話である笠地蔵のあらすじを紹介します

    おなじみの昔話である笠地蔵のあらすじを紹介します

笠地蔵の話は、いくつかのバージョンがあります。おじいさんの職業や笠を入手する経緯は違いますが、主な登場人物や雪の大みそかが舞台という点は基本的には同じです。

なかには隣の家にもおじいさんが住んでいるという話や、意地悪なおばあさんが出てくる話もあるようですが、ここでは一般的な笠地蔵の登場人物とあらすじをまとめました。

笠地蔵の登場人物

■おじいさん
笠を作り、売ることで生計を立てています。笠売りではなく、ただの貧しいおじいさんとして語られることもあるようで、その場合は町で会った笠売りに持ち物を笠と交換するよう頼まれたり、お正月の準備をするためのお金で笠を買ったりします。

■おばあさん
山の中でおじいさんと暮らしている、おばあさんです。お正月の準備が整わないまま帰ってきたおじいさんを優しく受け入れ、お地蔵様が雪から守られたことを共に喜びます。

■お地蔵様
6体のお地蔵様。おじいさんの家と町との道中に並んでいます。おじいさんに笠をもらい、お礼の品を持って2人の家を尋ねました。6体ではなく7体など、数については諸説あります。

笠地蔵の内容

山奥に、優しいおじいさんとおばあさんが住んでいました。2人は笠を売って暮らしていましたが、貧しかったので、お正月のお餅も買えません。そこで、大みそかの夜もおじいさんは町へ笠を売りに出掛けました。

しかし笠は1つも売れません。雪も降ってきました。仕方なくおじいさんが笠を持って帰っていると、道の途中に6体のお地蔵様が立っていることに気が付きました。お地蔵様の肩や頭には、雪が降り積もっています。

かわいそうに思ったおじいさんは、お地蔵様の雪を払い、売り物の笠をかぶせてあげました。ところが笠は5つしかなかったので、1つ足りません。そこでおじいさんは、自分の手拭いを最後のお地蔵様にあげました。

帰宅したおじいさんは、おばあさんにお地蔵様の話をしました。おばあさんは「良いことをした」と喜び、おじいさんをねぎらいました。お正月のお餅はないけれど、二人は静かに大みそかの夜を過ごしました。

夜中を過ぎたころ、おじいさんとおばあさんは目を覚ましました。家の外に近づいてくる足音が聞こえたからです。扉の隙間からのぞいてみると、なんと家の前にはお正月飾りやお餅などのごちそうが積まれています。

驚いたおじいさんとおばあさんが辺りを見回すと、道の向こうを歩いている6つの人影のようなものが見えました。そのうちの1つの人影は、おじいさんの手拭いをかぶっています。お地蔵様が、笠のお礼にお餅やごちそうを届けにやってきたのでした。

こうしておじいさんとおばあさんは、無事、お正月を迎えることができました。

笠地蔵から得られる教訓

  • 笠地蔵のお話には、現代にも通じる教訓が詰まっています

    笠地蔵のお話には、現代にも通じる教訓が詰まっています

笠地蔵は、心優しいおじいさんが善行によって幸せになるというお話です。しかし大人になってから読み返すと、実は「良いこと」をしているのはおじいさんだけではないことに気が付きます。

笠地蔵から読み取れる教訓や、伝えたいことについて見ていきましょう。

おじいさんの優しさ

笠地蔵の物語で主題となっているのは、お地蔵様に笠をあげるおじいさんの優しさです。おじいさんにとって、笠は売り物です。売れなかったとはいえ、笠がなくてはお正月のお餅も買うことができません。笠を作るためにかかった労力や費用も、貧しいおじいさんにとっては大きな負担になったはずです。

しかも相手は、石のお地蔵様です。人間でないどころか、生き物ですらありません。現代人の感覚では、つい「ただの石」と考えてしまいがちですが、おじいさんにとっては「いつも自分たちを見守ってくださるお地蔵様」だったのでしょう。そこには、すべてのものに分け隔てなく注がれるおじいさんの優しさが見て取れます。

また、笠が足りなくなると自分の持ち物さえあげてしまうおじいさんの姿は、自分のことは後回しにして人のために尽くす心を、読む人に感じさせます。物ではない、心の豊かさが表れるシーンです。

おばあさんの寛容さ

物語としてわかりやすいおじいさんの「優しさ」に比べ、おばあさんの心には気が付かない人も多いかもしれません。比較的出番の少ないおばあさんですが、よく読んでみると、驚くほど心の広い女性に思えてきます。

貧しい生活をしているのはおばあさんも一緒です。年に1度のお正月くらいはお餅を食べたいと、おじいさんの帰りを心待ちにしていたことでしょう。けれど、帰ってきたおじいさんはお餅を持っていませんでした。それどころか売り物の笠も、自分の手拭いすらなくしています。聞けば、おじいさんは大切な笠を道端のお地蔵様にあげてしまったと言うではないですか!

これはおばあさんが悲しんだり、怒ったりしても仕方がない場面です。実際に意地悪なおばあさんが出てくるバージョンでは、「無駄なことをした」とおじいさんを責めるそうです。でもこれは意地悪というより、一般的な反応のような気もしますよね。

しかしこのおばあさんは、「お地蔵様のために良いことをした」と喜ぶのです。自分たちの食べるお餅もないのに、石のお地蔵様に笠をあげてしまったことを惜しむ気持ちはありません。そしてお餅のことはさっぱり諦め、おじいさんと静かに床に入るのです。

こうして見ると、おじいさんよりおばあさんの方が偉大な人物のようにも思えます。おじいさんはおばあさんのことは考えずにお地蔵様に笠をあげてしまいましたが、おばあさんはそのことも含めて「良いこと」として受け入れているようにも読み取れます。そんなおばあさんだからこそ、おじいさんも幸せに暮らせるのでしょう。お地蔵様もそれがわかっていたから、わざわざおばあさんのいる家までお礼を届けにやってきたのかもしれませんね。

笠地蔵の由来

日本各地で語り継がれる笠地蔵ですが、その由来ははっきりしません。地域によって少しずつ内容が違うことから、土着の地蔵信仰と結びついた民話であるようです。ここからは各地の笠地蔵や地蔵信仰について紹介します。

日本各地に伝わる地蔵信仰

笠地蔵は、青森から九州まで、日本各地に伝わっています。例えば愛知県の天林山笠覆寺(りゅうふくじ)は「笠寺観音」の名で知られ、雨の日に観音様に笠をかぶせた女性が、後に貴族と結ばれたという伝説が残っています。

大分県に伝わる「笠羅漢(かさらかん)」は、雨の日に16体の羅漢像に笠をあげる話です。羅漢は正式には阿羅漢(あらかん)といって、お釈迦(おしゃか)様の16人の弟子を指します。彼らはお釈迦様から、現世の人々を救うよう告げられたといわれています。お地蔵様と同じように、人々を見守ってくださる存在なのです。

地域によって、笠地蔵は「かさこ地蔵」や「笠長者」などと呼ばれることもあるそうです。また岩手の笠地蔵では、笠の足りない最後の地蔵に、おじいさんが自分のふんどしをかぶせるそうです。土地ごとに話の細部が違うのもおもしろいですね。

そもそも地蔵とは?

一般的に「地蔵」と呼ばれているのは、地蔵菩薩(ぼさつ)様のことです。「菩薩」とは悟りを開く前の、修行中の状態を指す言葉です。

仏教では、お釈迦様が亡くなってから、次の如来である弥勒菩薩様が現れるまでの無仏の間、人々は苦しみを繰り返すといわれています。その苦しみを救うためにいるのが地蔵菩薩様です。

地蔵菩薩様は生き物が輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返す「六道(ろくどう)」という6つの世界、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道を行き来し、人々を苦しみから救済しているといわれています。笠地蔵のお話のようにお地蔵様が6体で並んでいることが多いのは、このことが由来です。

地蔵菩薩様は生ある者すべてを救うとされ、大地のように広大な慈悲を持つ菩薩です。慈悲とは他者をいつくしみ、あわれむ心のことで、仏教ではとても大切なものとされています。

笠地蔵の物語は、お地蔵様をはじめ、おじいさんやおばあさんの姿を通して「慈悲の心」を伝える物語なのです。

笠地蔵で伝えたいことは「慈悲の心」

子どもに読み聞かせる昔話としておなじみの笠地蔵は、仏教的な下地を持った「慈悲の心」を伝える物語でもあります。大人になって読んでみると、優しい気持ちになれるだけでなく、普段の生き方を振り返る良い機会にもなりそうです。

「慈悲の心」を忘れそうになったときには、ぜひ笠地蔵のことを思い出してくださいね。