NPB(日本野球機構)の審判員として29年にわたって2,414試合に出場し、2020年シーズンをもって引退した佐々木昌信氏(52)。現在は家業の寺を継ぎ、群馬県館林市・覚応寺の住職として第二の人生を送りながら、“二足のわらじ”で東都大学野球連盟の審判員を務めている。

今年3月には『プロ野球 元審判は知っている』(ワニブックスPLUS新書)を出版。間近で見てきた一流選手の秘話が数多くつづられ、その観察眼を頼って注目選手を球団スカウトが探ってきたり、プロ野球中継スタッフからルールの確認をされたりと、佐々木氏は今でもプロ野球とつながっている。

現役時代、「人間は間違いがあるものだ。しかし、審判は絶対、間違っちゃいかん」「間違いは1球で止めておけ」を先人の教えとして肝に銘じていた佐々木氏。リクエスト制度導入を経て、監督や選手はもちろんファンからも厳しい目にさらされる「間違いを許されない審判」とは、一体どのような職業なのか。佐々木氏に話を聞くと、話題は新人時代の苦悩からAI導入の是非にまで及んだ。

■プロで活躍する選手の共通点

『プロ野球 元審判は知っている』(佐々木昌信 著 ワニブックスPLUS新書)

佐々木昌信氏『プロ野球 元審判は知っている』(ワニブックスPLUS新書)

――2020年シーズンで引退されて1年半が経ちました。プロ野球はご覧になっていますか?

時間がなくて、ほとんど見られないですね。寝るのが早くなって、夜のスポーツニュースは……1年で10回も見ていないと思います。あとは学生野球の審判員をやっているので、そのためにもプロ野球には触れないようにしています。プロ野球と学生野球は、ルールやストライクゾーンなど、細かいことで違いが多い。学生野球に慣れるにはこっちをメインにしておかないといけませんからね。今までやってきたことを一旦は忘れないといけないので、そこは結構苦労しています。学生野球で担当しているのは、東都大学野球リーグ。非常にレベルが高く、日本でも有数のリーグです。1部から4部まであって、2部と聞くと1部に劣るイメージがありますけどかなりハイレベルで、たぶん今年は2部からもドラフト1位が出るんじゃないですかね。

――審判として間近で見ていると、将来有望な選手も分かるものですか?

ええ。ひょっとしたら、1部よりも2部の方がドラフトにかかる選手が多いんじゃないかな。そのぐらい実力が拮抗しています。あとは、「この選手はドラフトで指名されても厳しいんじゃないかな」と感じることもあります。1位指名の鳴り物入りでプロになった選手を相当数見てきましたけど、その後に活躍する選手には共通点があるんです。バッターもピッチャーも。

――共通点?

あくまでも審判員・佐々木としての独自の見解で「そういう傾向にある」という前提で。スカウトもそのあたりは見ていると思うんですけど、大抵の選手はそこが改善されないままプロを去っていきます。

カギとなるのは「インコース」。ピッチャーであればそこを正確に投げ分けられるか、バッターであれば打てるのか。学生はあまりインコースを攻めて来ないんですよ。そこに力のある球を投げられるピッチャーが少ない。

本にも書きましたけど、巨人の坂本(勇人)くんは新人の頃からインコースがさばけてました。あの細い体でインコースをホームランにして、オープン戦で「なんだこいつは!」と驚いたのを思い出します。アマチュアでインコースをガンガン攻められるピッチャーやインコースをうまくさばけるバッターがいると、ドラフトで上位に指名されないか、すごく楽しみになります。

――球団スカウトが佐々木さんに聞きに来たりしないんですか?

しますします。スカウトが見ているポイントと同じなので、たぶん私のところに聞きに来るんじゃないんですかね? あとは「ドラフトにかかるかギリギリのところなんです」と不安に感じている選手には、「大丈夫!」と具体的な理由を交えて励ますこともあります。

■100点満点の審判はいない

――不安を感じている学生にとっては心強いでしょうね。そもそも、佐々木さんはどのようなきっかけでプロ野球の審判員になったのでしょうか?

大学を卒業後、就職活動の一環として受けました。元審判員の方に勧められたのがきっかけです。学生時代は野球部だったのすが、もちろん審判の経験は全くありません。記念受験のつもりで受けてみたら、たまたま受かってしまいました(笑)。

30年前は、採用されるまでにいくつかパターンがありました。当時、プロ野球選手が引退後に球団から推薦されることが最も多くて、あとは一般公募や僕のようにスカウトされるパターン。とはいっても、「自分がスカウトされた」と知るのは後日なんですが。声をかけてもらってから審判部長と会って、東京で試験を受けました。同期は僕以外に2人いて、どちらも元プロ野球選手。当初はプロ出身者を3人採用するはずが1名断られてしまい、1枠空いたので僕にお声がかかったらしいです。いろんな偶然が重なって、合格してしまいました(笑)。

――スカウトされるということは、審判の素質があったと。

そのあたりも後から聞いたのですが、身長、体重、視力、性格が審判に向いていたみたいで、野球部出身であることはもちろん、実家がお寺だったこともあって、精神的に落ち着いているだろうと(笑)。

――メンタルの部分を重視されるんですね。

誤解を恐れずに言うと、審判員に求められるのは2割の技術論と8割の精神論。ミスジャッジのトラブルも多いので、落ち込んでしまう人には務まらない職業です。ミスを重ねて対処することによって覚えることが多く、だから100点満点の審判は過去からさかのぼって世界中を探してもいないわけです。ミスジャッジを繰り返すことによって監督から抗議されて、いろいろなことを覚えていく。「恥を晒して強くなる」が大前提の仕事だと思います。

■「毎日トラブル起こしてるか?」の支え

――ベテランの方でも毎年キャンプに参加して、まずは目をピッチャーのスピードに慣らすそうですね。

ええ。だから新人の最初の頃なんてめちゃくちゃですよ(笑)。僕も当時はミスジャッジのトラブルを毎日起こしていて、「絶対に今日でやめよう」と決心する日々でした。最初は反省するんですけど、任された2軍の試合で同じことが繰り返し重なっていくと「もうやめたい」となってしまう。もちろん、逃げることも大切な選択肢で、仏教でもそのような教えはあるのですが、毎日それが頭をよぎっていましたね。「実家帰ればいいや。親父に頭を下げて、お寺を手伝わせてもらおう」と。そうやって思い悩んでいる間に、1年目はあっという間に過ぎていきました。

――それだけ苦しい状況に追い込まれて、なぜ耐えられたのでしょうか?

当時所属していたセ・リーグの事務局に、交通費の精算などの事務作業で月に数回行っていたのですが、事務局の方が「毎日トラブル起こしてるか?」「どのくらいミスした?」と明るく笑顔で聞いてくるわけです。一応、「いえ、間違ってません」と返すと、「じゃあ、良い審判になれないな」とよく言われました。間違えた数が良い審判の証しになるのだと知ったのは、かなり後です。そのような支えもあって、乗り越えられたんじゃないのかなと思います。