1995年にドラフト1位で西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団し、2度のゴールデングラブ賞や3年連続オールスター出場など、その活躍ぶりから「レオのプリンス」と称された高木大成氏(高は「はしごだか」)。ケガに悩まされながら2005年に31歳で現役を退くと、第二の人生として選んだ道はコーチやスカウトではなく、「球団職員」だった。

4月に発売された著書『プロ野球チームの社員』(ワニブックス)では、プロ野球選手になるまでの秘話や球団職員が見つめる「プロ野球の未来」、そしてその未来を担う選手たちについてもつづられている。高木氏にとっての「超一流選手」とは。今回のインタビューでは、そんな怪物たちと対峙してきた選手時代に時間を戻してもらった。

  • 元西武ライオンズの“レオのプリンス”こと高木大成氏 写真提供=埼玉西武ライオンズ

――プロ野球の中で突出した選手を「超一流」と表現されていますが、この超一流選手についてもう少し詳しくお聞かせください。

私の「超一流」の定義は、体を壊さないで常に試合に出続けられる選手。代表的な方だと、イチローさんや伊東勤さん。144試合近く出続けてコンスタントにいい成績を残すことは、本当にすごいことです。そもそも、プロ野球選手は高い技術を持っているからドラフトにかかるんですよ。でも、毎年100人ぐらいが引退し、その中の大半はケガが原因です。ケガをすると、自分の満足いくパフォーマンスができない。私もその一人でした。ケガをしない選手は本当にすごいです。

――もちろん努力も多分にあると思いますが、持って生まれたものもありそうですね。

本当にこれを言ったらおしまいだろと言われるかもしれないですが、「持って生まれたもの」はすごく大事です。高校野球は短期間のトーナメント戦。アマチュアだと大学、社会人は季節ごとの大会があるぐらい。一方で、プロは1週間のうち6日間にわたって真剣勝負をする。その上、遠方への移動があって、土日がデーゲームだと体の時差も生じてしまいます。

  • 現役時代の高木大成氏

――今まで当たり前のように観戦していましたが、選手にとって土日のデーゲームはつらいんですね(笑)。

そうなんです(笑)。火、水、木にナイターやって、金曜日の朝に移動して、夜にナイターやって、土日がデーゲーム。そんなサイクルをみんなやっているので、プロ野球選手として出続けている人のすごさ、体の強さは知っておいてほしいですね。これは選手になってみないと分からないことだったかもしれません。特にキャッチャーは負担が大きいので、古田(敦也)さんや谷繁(元信)さん、伊東勤さんといった名捕手の方々は本当にすごいです。

――ちなみに、選手時代に直接対戦して一番衝撃を受けたピッチャーは誰ですか?

同い歳ですけど、今楽天の監督をやっている石井一久さんです。97年の日本シリーズをやったとき、彼が先発ピッチャーで、当時は真っ直ぐとスライダーしか投げなかったんですけど、スピードと球の重さが抜群でした。さらに打席に立つと、古田さんの威圧感があるんですよね。石井さんと勝負しつつも、古田さんとも勝負しているみたいな。完全にバッテリーの術中にはまっているんですけど(笑)。私は打席に立つ時に、存在感のあるキャッチャーは嫌でしたね。何をしてくるかなって考えちゃっている時点で受け身になってるんですよね。

――現在のライオンズでの超一流選手は?

やっぱり栗山巧選手と中村剛也選手です。2人ともほとんどケガをしません。栗山選手は2,000安打が目前ですが、節目の記録は「それだけケガをせずに続けてこられた勲章」ともいえると思います。彼のバッティング技術は、ひたすらバッティング練習をすることで保たれています。練習に打ち込む姿勢はもちろんすばらしいですが、それだけ振れる体、ケガをしない体を維持し続けているというのが何よりもすごいです。

――栗山選手といえば、元日刊スポーツ記者・塩畑大輔さんの記事「新聞記者最後の日。書けなかったエピソード。」(note)が話題になっていましたね。魅力的な人柄が伝わって感動しました。

チーム内でも人格者です。自分のことだけじゃなくて、自分の立ち位置を理解しながらプレーしています。私なんか、ケガをして自分のことだけで精一杯だった(笑)。ケガをしないと、パフォーマンスだけじゃなくて、そういう余裕も生まれてくるんですよね。

――野球選手と記者さんは、長年の関係性で距離が縮まるものなんですか?

選手によるかなと思います。私はあまりペン記者さんと仲良くなかった(笑)。というのもケガとか多かったので。調子が良い時は入って3年くらいまでの若い時だけ。

ペン記者さんに対しては、恐怖感というんですかね。はっきり答えないと、ペン記者さんの考えている方向に導かれてしまう。ある程度ストーリーを考えて取材されるじゃないですか? そのストーリーが違っていたらはっきりと「違う」と言わないと、想定したストーリー通りに書かれてしまう。次の日に新聞を見て、「あれ?」みたいなことがありました(笑)。

当時と今とは時代が違いますね。そして何より、自分が若かったのと勉強不足だったのかなと。今の選手はインターネットがあるので、いろいろなメディアで自分たちがどう報道されているかが見られることになる。メディアによっていろいろな書き方があるので、今の選手はそれをふまえて答えているので、本当にすごいなと思います。

自分はそういうことに目を向けられるほど余裕がなかった。入って1年目はキャッチャーとして日々やっていくだけで精一杯。2年目は途中でファーストにコンバートして、「自分が一番」と言い聞かせてやっていかなきゃいけないし、そのポジションを守ることに必死でした。3年目で、チームとして主軸を打てるようになっていける……と思ってた矢先にケガに悩まされました。

――厳しい世界ですね。

そう思います。もちろん華やかではありますけど。

――選手になってよかったと思った瞬間は?

そうですね……初スタメンは、福岡ドームでのホークス戦で、キャッチャーでの出場でした。1打席目でライトライナーのフェンス直撃のシングルヒット。ただし、ボールはもらえなかったなぁ(笑)。あとは98年のベイスターズとの日本シリーズで、1戦目でホームランを打ったこととか、西武ドームでのオールスター戦に出られたことは鮮明に記憶に残っています。

■プロフィール
高木大成(たかぎ・たいせい)
1973年12月7日生まれ。東京都出身。桐蔭学園高校、慶應義塾大学を経て、1995年ドラフト1位で西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団。一塁手として97年から98年にかけてリーグ連覇に貢献し、ゴールデングラブ賞も受賞。その活躍から「レオのプリンス」と称された。2005年に現役引退後、西武ライオンズの社員として営業やPR等の事務に携わる。2011年にプリンスホテルに異動。約5年間のホテル業務を経験した後、2017年より再び西武ライオンズの社員となり、現在に至る。