大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第23回「狩りと獲物」(脚本:三谷幸喜 演出:吉田照幸)は劇団鎌倉殿公演といった趣だった。
あっという間に成長した金剛(坂口健太郎)と万寿(金子大地)が「巻狩」という行事に参加する。大軍事演習でもあるとナレーション(長澤まさみ)が説明していた。冒頭、ものすごく風が吹いていて、狩の本気度合いを感じたが、6月14日に放送された『100カメ』でこの時の撮影が雪や嵐の悪天候に悩まされたことがわかった。その上で改めて本編を見ると、陣屋の布や旗があまりにも激しくたなびいていて、現場はかなりの緊張感であっただろうと思った。そう見せないように制作スタッフが苦労しているのと同じように、御家人たちが巻狩で奮闘する。
狩りに優秀さを発揮する金剛と冴えない万寿。立場的にまずいので、周囲は必死で万寿に見せ場を作ろうと、作り物の鹿を用意してそれが矢に当たったように見せかける。このバレバレな感じが面白い。“見せかける”という行為を描くと俄然生き生きして、劇団鎌倉殿になる。これまでも、頼朝や義高が女装して逃亡したり、上総広常を陥れたりしてきた。巻狩の鹿は笑いで済んだが、震えたのは曽我兄弟の仇討ちである。
五郎(田中俊介)と十郎(田邊和也)兄弟が父の仇討ちを行うと見せかけて、頼朝(大泉洋)暗殺計画を実行する。図らずとも贋の鹿ならぬ贋の頼朝として工藤祐経(坪倉由幸)を寝所に寝かしていたため、九死に一生を得る頼朝。
保身のため、曽我兄弟は頼朝暗殺が主目的ではなく、父の仇をはらしたという美談とする頼朝。曽我兄弟にとっては後世に良い話が伝わることになる。それが当人たちにはいいのか悪いのかよくわからないが。ともあれ頼朝の保守のためにいろいろなことを見せかけていくいじましさが強調されたように感じる。
この件を「これは敵討ちを装った謀反ではなく 謀反を装った敵討ちにございます」と鎌倉殿にとって良い事件にしたのは義時(小栗旬)であった。もはや悩むことなくさくさくと事務的にことをすすめ「以上でございます」と終わらせてしまう。できる始末屋という感じである。嫌なことは悩まずさくっと。
頼朝が襲われたとき、比奈(堀田真由)を訪ねて行ったために助かったのだが、ここで疑問。義時はどこまであらかじめ考えていたのだろう。義時は頼朝が狙われていることを知っていて、曽我兄弟に協力している時政(坂東彌十郎)に釘を刺している。たぶん、善児(梶原善)から報告を受けているのだろう。
襲撃の晩、頼朝が比奈を訪ねることを義時は止めていた。それでおとなしく寝所にいたら襲われていたはず。でも、たまたま雨が降って、戻りが遅くなった。頼朝暗殺が失敗に終わったため、時政が巻き込まれ、ひいては北条家がとばっちりを受けないように、義時の頭のなかはもう回転して、これは敵討ちを装った謀反ではなく 謀反を装った敵討ちにございます」作戦を行ったのではないだろうか。
「私はあなたが思っているよりずっと汚い」と義時は彼を慕いはじめた比奈に卑下するように言う。そう言う分、まだ完全に真っ黒になってはいないようだが……。
頼朝はもう自分は神に守られていないと思ったようだが、神様は雷を鳴らして助けているような気もしないではない。序盤からずっとこの時代の人たちは信仰心があついことを描いてきて、その最たる例が頼朝だった。が、ここに来て、要するになにごとも気の持ちようであるというふうに移り変わってきているように感じる。神などいない。これからは人間の知恵でサバイブしていく時代がやってくるのではないだろうか。
頼朝は悲願である父の敵をとってしまって、義経(菅田将暉)と同じく生きる目的を失ってしまった。せっかく天下を平定したのだから、鎌倉幕府を盛り上げて、どんなふうにいい国をつくろうかとわくわく考えたらいいのに、そうしないで、自分の身を守ることばかり考えてびくびくしている頼朝がかわいそうになってきた。
結局、頼朝って何をした人なの? と振り返ったとき、武士の国を作った、だけなのだ。結果的にいいことになっているが、親の恨みを晴らし、子供の頃に虐げられた自身の恨みも晴らし、安全な場所にいたかった結果でしかないように見える。少なくとも『鎌倉殿』では。だから弟・範頼(迫田孝也)のうっかり発言をきっかけにまた殺戮の魂を燃やしはじめる。嫉妬とか恨みしか原動力にならないのだ。あと色恋。ものすごく俗っぽい人、それが頼朝! 三谷幸喜作品の面白さは、偉人をこんなふうに徹底的に平凡の地平に引きずりおろすところなのだ。
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