長野県伊那市は、路線バスに情報インフラなどを搭載し、運行のない時間帯に行政サービスを行う「モバイル市役所」サービスを4月4日からスタートさせた。朝夕はスクールバス、昼間は移動する市役所として運用され、すでに5月から個別予約を受け付けている。

  • 左から、MONET Technologies 柴尾嘉秀氏、伊那市長 白鳥孝氏、NTT東日本 榎本佳一氏、ジェイアールバス関東 太田治彦氏

行政が地域に出向く「モバイル市役所」事業

AIを活用した自動配車乗合タクシー「ぐるっとタクシー」や、オンライン診療専用車両で在宅患者を診察する「モバイルクリニック」など、Mobility as a Service (MaaS)による行政サービスを積極的に推進している長野県伊那市。同市は「ぐるっとタクシー」の拡大によって運行が減少となり昼間は車庫にいるバス車両の有効活用を考えた。

そこで行政MaaSに知見があり、「モバイルクリニック」でも全面的にサポートしているMONETテクノロジーズと、伊那市の仮想基盤やセキュリティ、ネットワークを運用しているNTT東日本とともに「モバイル市役所」事業をスタートさせた。

  • バスのデザインと愛称は公募で決められ、愛称は「もーば」に決定

伊那市長の白鳥孝氏は、「地方における高齢化、高齢化によって免許を返納されたり、目的地が遠かったり、移動が困難であったりと、市役所に来ることが難しい方がたくさんいらっしゃいます。そういうみなさまに対して伊那市では、行政から出向きサービスを行うという要請型の取り組みを進めております」とその意義について話す。なお、この事業は地方創生推進交付金 Society 5.0の採択を受けており、市の持ち出しは約5%だという。

  • 伊那市 市長 白鳥 孝 氏

通信環境整備部分を受託したNTT東日本の榎本佳一氏は、「私どもNTT東日本は、通信とICTで、地域創生・地域活性化へ貢献していく取り組みを行っております。モバイル市役所事業が今後、多くの方の生活をより豊かなものにし、そして住民のみなさまと行政等を結ぶサービスとして、今後さらに発展されることを願っています」と挨拶した。

  • NTT東日本 埼玉事業部長野支店 支店長 榎本佳一氏

「モバイル市役所」の主な役割は、「予約型派遣業務」「イベント型派遣業務」「災害時派遣業務」の3点に分かれている。予約型派遣業務では、住民票や印鑑証明等の発行、介護福祉子育て相談窓口など、イベント型派遣業務では、マイナンバーカード申請受付、期日前投票、免許返納時の助成金申請受付など、災害時派遣業務では、避難所での被災者支援などに対応する予定だ。

4月4日の発表会では、伊那市長の白鳥 孝 氏が自らモバイル市役所を体験。その様子がモニタリングされた。バスにはコンシェルジュが同乗しており、市役所職員とWeb会議でやりとりを行いながら各種行政サービスを提供する。

  • 伊那市長の白鳥氏自らがモバイル市役所を体験

  • 発表会では内部の様子を中継。映像で見学できた

  • モバイル市役所で発行した住民票を見せる白鳥氏

地域の3大課題に対しICTで解決を目指す伊那市

2006年3月の3市町村の合併を経て、伊那市では中心部と中山間地域の生活環境や利便性にギャップが生じてきている。また日本全体の流れとして少子高齢化が進んでおり、伊那市もまた同様の問題を抱えている。伊那市が、平成20年8月からスマートシティを目指しICTの活用を進めているのは、こういった課題が背景にある。

このたびの「モバイル市役所」サービスも含め、伊那市は今後ICTに対しどのような取り組みを行っていく予定なのだろうか。伊那市役所で企画部長を務める飯島 智 氏に話を聞いてみたい。

  • 伊那市 企画部長 飯島 智 氏

「2016年から大学・企業・行政による三位一体のコンソーシアム『伊那市新産業技術推進協議会』を立ち上げました。テクノロジーを活用した地域課題の解決ルールと、地域産業の活性化を2本柱として進めてきまして、地域の3大課題の解決に関しては、ある程度効果が出てきたかなと感じています」(伊那市役所 飯島氏)

地域の3大課題とは「交通」「買い物」「医療」を指す。伊那市は「交通」に対してドアツードアの自動配車サービス「ぐるっとタクシー」を展開し、全市域をカバーするに至っている。「買い物」については、伊那ケーブルテレビジョンで注文した商品を、地元のスーパーからドローンで最寄りの公民館に配送する「ゆうあいマーケット」を2020年から運用中。「医療」については、オンライン診療の為の専用車両を展開する「モバイルクリニック事業」を2021年から開始している。

これらの取り組みを進める自治体は全国に存在するが、伊那市はそれぞれ社会実装まで済ませており、これからより大きく、サステナブルに育てていく段階にある。

「伊那市周辺は昔から精密産業が盛んですが、これまでサービスの中で使用するもの、例えば部品生産などは都市圏の大手企業に頼ってきたところがあります。今後はそういった生産工程も地元のものづくり産業に落とし込んでいったら、地域に経済的な潤いを与えるのではないかと考えています」(伊那市役所 飯島氏)

MaaSをさらに広げ、モバイル公民館も予定

「今回スタートさせたモバイル市役所は、モバイルクリニック同様、MaaSの一形態に過ぎません。今年度はバスの車内で生涯学習活動を行う、言わば「モバイル公民館」のような行政サービスを予定しております」(伊那市役所 飯島氏)

この事業の目的は、大きく2つあるという。1つ目は、自主的な社会活動への参加が難しい方に対し、積極的にアプローチを加えることで、生きがいを持って暮らしていける社会作りという、ノーマライゼーションの視点。2つ目は、モバイル市役所同様にコンシェルジュが介在することによって、個々の活動を超えてグループ活動を促し、地域社会全体の活力増進を目指す、エンパワーメントの視点だ。

「アフターコロナを見据え、今後は各事業をより高付加価値を生み出したり、Quality of Life(QOL)を向上させるような形に進化させていきたいと考えています。住民生活の面で見ても、ただ単に生きる『Survive』から、生き生きと暮らす『Alive』を目指す考え方を目指して、パラダイムシフトを図っていけたら良いんじゃないかなと思っています」(伊那市役所 飯島氏)

とはいえ、ICT/IoTの活用という意味では、インターネットを介して遠隔で住民とふれ合うという方法論もある。伊那市がMaaSを初めとした事業において、人を直接動かしたり、現地に赴いたりしている理由はどのような点にあるのだろうか。

「我々がアプローチしなければならない層は、お年寄りや障害者といったハンディキャッパーです。どうしてもデジタルディバイドの課題がありますし、そういったみなさんに寄り添いながら心のこもった行政サービスをしていくべきだと考えています。テクノロジーありきでは無機的なサービスになってしまいがちなので、最終プロセスは必ず人が介在するというのが、伊那市のポリシーです。"住民の皆さんの幸福度に訴求する"ことが、行政にとってなにより重視すべきことだと思っています」(伊那市役所 飯島氏)

ICTを活用した取り組みを推し進め、全国の地方自治体の一歩先を行く伊那市。同市の事例は、少子高齢化や過疎化などの課題を抱える他の自治体の参考になるのではないだろうか。