かつて炭鉱の島として栄え、日本の近代化を支えた軍艦島。

長崎港から20kmの沖合に浮かぶ小さな無人島で、世界文化遺産に登録されてからは上陸ツアーなどが人気の観光スポットとなっています。
最盛期には島内の人口が約5,300人ほどになり、なんと東京都の9倍の人口密度にもなっていたとか……!

人口が増えるのに伴って高層アパートが立ち並び、そこに住む炭鉱労働者は高収入で裕福な暮らしを楽しんでいたと言われ、島の内部には学校や病院、映画館、理髪店などの生活していく上で必要な施設が勢揃い。何不自由のない都市として栄えていたそうです。

そんな全盛期の軍艦島の生活をうかがわせる写真が現在、ツイッターで注目を集めています。

立体都市だった事がよく分かる軍艦島の部分
 
*長崎大学の調査に同行時の撮影
(@kobateckより引用)

  • (@kobateckより引用)

投稿したのは写真家の「小林哲朗 写真家(@kobateck)」さんで、長崎大学の研究の一貫で撮影に参加されたのだとか。

添付された軍艦島の写真には、建物と建物を繋ぐ渡り廊下や、渡り廊下から下に伸びた階段などがゲームのダンジョンのように広がっていて、軍艦島が立体的で近代的な構造になっていたことがよく伝わってきます。

住人たちがここでどんな暮らしをしていたのか、実に想像を掻き立てられますし、大きなロマンも感じますよね。

この貴重な1枚はツイッター上で大きな注目を浴び、ツイートは2.4万件のリツイート、16.6万件のいいねを獲得(5月6日時点)。多くのコメントも寄せられました。

「ここで生活されていた人達は今どんな暮らしをしているのでしょうか。当時から現在までのお話しを聞いてみたいですね」

「建物群の内部にはこのように空間があるのですね 貴重な画像をありがとうございます」

「尚画像の高層鉄筋の建物ができ始めたのは1916年頃、100年以上前からで時代はまだ大正時代だそうな……更に驚く事に日本で初めての高層鉄筋建築が出来たのも軍艦島だとか……」

「こんなに内部までは観られなかったので感動するのと、団地感のその先まで想像を掻き立てられる画像に、もっと見てみたいと思いました」

「軍艦島のこの丸ごと生活が自然に還った感じが好き」

「ここを人が行きかってたんだなあとしみじみしてしまいます」

「実は居住区においてはシェアキッチンや共同トイレなど合理的に作られていたんです 娯楽施設としてパチンコ屋や、散髪屋も存在したです」

「昔の集合団地の様なモノと思ってましたがこの立体感は凄い」

また、小林さんはこの他にもたくさんの軍艦島の写真を投稿されていました。それがこちら。観光では見られない写真ばかりで、どれもとても興味深いですよね。

絶妙に角度違いの写真が出てきました
(@kobateckより引用)

  • (@kobateckより引用)

コの字型の65号棟
(@kobateckより引用)

  • (@kobateckより引用)

65号棟屋上にあった幼稚園の滑り台
(@kobateckより引用)

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緑化し過ぎた屋上庭園
(@kobateckより引用)

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ひしめき合うコンクリート住宅
(@kobateckより引用)

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屋根が完全崩壊している体育館
(@kobateckより引用)

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西側上空から見た全景
(@kobateckより引用)

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北から見た全景
(@kobateckより引用)

  • (@kobateckより引用)

この写真を撮影した小林哲朗さんに撮影時の感想をお聞きすると、「ドローンを使い、上空から見ることでより立体的な街の様子がわかりました。また崩落などで近づけない場所が見られるのも良かったです。撮影は2016年なので、今はもっと崩壊が進んでいるようです」と振り返ってくださいました。

上陸ツアーでは決して見られない、空から見た軍艦島の景色は、その存在をますますミステリアスで魅力的なものに引き上げたと言えそうです。