藤井竜王誕生の名局を3つの視点から読み解く

2022年4月1日、第49回将棋大賞の受賞者が発表されました。

藤井聡太竜王が2年連続2回目の最優秀棋士賞を受賞し話題となりましたが、その藤井竜王が竜王のタイトルを獲得した一局、第34期竜王戦第4局が名局賞に選ばれたことも見逃せないポイントです。

本局が将棋大賞名局賞に選ばれた理由。それは将棋の内容が近年まれにみるハイレベルのものだったということだけではありません。筆者が考えるに、本局は「将棋を知らない人にも大きな感動を与えた」という点で、全く新しい価値を持つものだったと思うのです。

ここでは改めて「第34期竜王戦第4局とは何だったのか?」じっくり掘り下げていきたいと思います。長くなりますがどうがお付き合いください。

■ポイント1 舞台設定

まずは本局がどういう意味を持つ将棋だったのか、おさらいしてみましょう。 将棋界に現れたスーパースター、藤井聡太竜王のことはみなさんご存じかと思います。 14歳2か月の史上最年少でプロ棋士デビューすると、デビューから負けなしの29連勝で将棋界の連勝記録を塗り替え、一躍時の人となりました。

その藤井竜王がどうしても勝てない相手がいたのです。それが豊島将之九段でした。

デビュー当時から勝率8割を超えていた藤井竜王ですが、公式戦では豊島九段に初戦から6連敗。しかし、プロになってからメキメキと力を付け、徐々に豊島九段に対して互角以上で渡り合うようになります。まるで少年漫画のような展開です。

2021年には豊島九段から叡王のタイトルを奪い、王位戦では豊島九段の挑戦を跳ねのけてタイトル防衛を果たしていました。 そして豊島九段の持つ最後のタイトル「竜王」に藤井三冠(当時)が挑戦したのが第34期竜王戦です。この七番勝負でも藤井三冠の勢いは止まらず初戦から3連勝。タイトル奪取まであと1勝と迫ります。

4連勝で竜王獲得となれば藤井―豊島の力関係が完全に逆転したことを意味します。また、最高峰のタイトルである竜王を手中に収めることで、将棋界は名実ともに「藤井聡太時代」に突入することになります。藤井三冠の勢いが勝るのか、豊島竜王が意地を見せるのか、第34期竜王戦第4局は将棋界の勢力争いを占う、天下分け目の戦いだったのです。

■ポイント2 凄まじい対局、そして究極的に難解な場面が訪れた

2021年11月12日、運命の一局が始まりました。戦型は両者が得意とする角換わり。後手番の藤井三冠が△6五桂と果敢に仕掛けたのに対し、豊島竜王が2、3筋から攻め、局面は激しくなります。しかしこれにひるむような藤井三冠ではありませんでした。豊島竜王の攻めの要である飛車が自陣に直通した状態で反撃に打って出ます。お互いに相手の攻撃に対して最強の攻撃で返したため、局面の緊張状態は頂点に達します。

そして迎えた104手目、藤井三冠が△8七飛成とした局面が問題の場面です。

お互いの駒が盤上で千々に乱れており、普通はどちらかが倒れている状態。しかし本局に限っては、鋭い針の先でぎりぎり局面の平衡が保たれていたのでした。将棋の最終盤においてここまで形勢のバランスが取れていることは珍しく、藤井竜王も「自分のこれまでの公式戦の中でも最終盤でここまで難解だったのはこの将棋だけ」とおっしゃっていました。

この奇跡的な局面を前に豊島竜王は99分の長考に沈みます。豊島竜王が2時間29分残していたのに対し、藤井三冠は9分しか残っていなかったため、勝負に徹するならすぐに指す「時間攻め」を選択することも立派な勝負術でした。しかし、豊島竜王の将棋に対する真摯な姿勢がそれを許しません。

ただ、このあまりに難解な局面を前に、99分の長考をもってしても豊島竜王は唯一の正解手順にたどり着くことはできませんでした。逆に藤井三冠はその間に豊島竜王の選んだ手順の先に神がかり的な詰み手順があり、自身が勝利することを読み切っていました。

2021年11月13日18時41分、豊島竜王、投了。

藤井聡太三冠が将棋界の覇権争いを制した瞬間でした。

本局が名局賞を受賞したことについて藤井竜王は「△8七飛成の局面は非常に難解で、将棋の奥深さを見せることができました。その点を評価していただけたのだと思います」と振り返っています。将棋の深淵に触れる素晴らしい内容でした。

■ポイント3 戦いのあとで

この対局が感動を呼んだのは将棋の内容だけではありませんでした。対局後のインタビューで豊島九段はこう答えています。

「結果がどうとかではなく、『もう少し対局を続けたかった』という思いはあります。あの局面(△8七飛成の局面)でもう少し正解を指し続けたかったという思いです。ことばにするのは難しいですが、純粋に、対局している瞬間が気持ちのいい時間でした」(「NHKスペシャル」より)

まず、棋士が対局の感想を求められた際に「もう少し対局を続けたかった」と答えるのは非常に珍しいことで、それだけで驚きます。ややもすれば未練がましく聞こえる言葉ですが、この豊島九段のインタビューからは対局に対する悔恨や歯がゆさといったものは全く感じられません。豊島九段の誠実なお人柄そのもの。本当に気持ちのいい時間だったのだと思います。

しかし、驚くのはここからです。藤井竜王の本局についてのコメントはこうでした。

「終局してすぐに浮かんだのは、タイトルを獲得した実感ではなくて、『将棋のことをもう少し考えていたい』という思いでした。最終盤でこれほど複雑な局面は珍しくて、その局面を考える時間は、勝ち負けとは別にすごく楽しい時間でした。純粋な将棋の楽しさを共有できたことが本当に幸せだったと思います」(「NHKスペシャル」より)

なんと、二人の気持ちはシンクロしていました。

対局中はもちろん一言も話さないわけですが、二人は将棋を通して深く深く対話していたのです。99分の長考の間は二人だけのゾーンに入っていたのだと思います。

本局について藤井竜王にお話をうかがった際、あの長考でもし豊島竜王が正解手順を指していたら、つまり「もし対局が続いていたら」盤上に現れたであろう手順を、まるで将棋盤がそこにあるかのように何手も話されていたのが印象に残っています。そのときは時空を超えて竜王戦第4局に心が行っているようでした。

また、藤井竜王は将棋を続けるモチベーションは何か?という質問に対して「強くなったからこそ見える世界があるかもしれない」とおっしゃっていますが、豊島九段との対局でその世界の片鱗が見えたでしょうか? ……私は見えたんだと思います。

対局は勝負なので勝つために全力を注ぐわけですが、二人が勝敗を超えた世界を見せてくれたことで、本局は将棋界を飛び越えて多くの人々が共感、感動することになりました。

第34期竜王戦第4局は2021年度最もレベルの高い勝負だった、ということだけでなく、2人の才能がぶつかり合うどころか相乗効果をなして、観るものを全く新しい地平に連れて行ったという点において、後世に語り継がれるものになるに違いありません。

島田修二(将棋情報局)

2人の気持ちがシンクロし、名局が生まれた(提供:日本将棋連盟)
2人の気持ちがシンクロし、名局が生まれた(提供:日本将棋連盟)