YouTube・サブスク動画配信サービスの台頭、視聴率指標の多様化、見逃し配信の定着、同時配信の開始、コロナ禍での制作体制――テレビを取り巻く環境が大きく変化する中、最前線にいる業界の“中の人”が語り合う連載【令和テレビ談義】

第7弾は、フジテレビを退社して映像プロダクション・MOOOVEを設立したマイアミ啓太氏と、テレビディレクターから転身して一般人や有名人にインタビューしていくYouTubeチャンネル『街録ch~あなたの人生、教えて下さい~』を立ち上げた三谷三四郎氏というテレビの世界を飛び出した2人が登場。この2人とともに番組制作した経験を持ち、『新しいカギ』などを手がけるフジテレビの木月洋介氏をモデレーターに、全4回シリーズのテレビ談義をお届けする。

第2回は、マイアミ氏が初めて演出を担当した『人生のパイセンTV』の話題から。若き日の同氏のキャラクターが前面に出ていた異色の番組はどのように生まれたのか。そして、現在手がけるヒロミのYouTubeチャンネルの人気の秘密、それを三谷氏はどう見ているのか――。

  • ヒロミ

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■前説AD「ファンキー大野」は今…

木月:マイアミさんがやってた『人生のパイセンTV』(※)も、『街録ch』のように人を取材する番組でしたからね。

(※)…尊敬すべきちょっと“おバカ”な先輩たちを「パイセン」と呼び、彼らに密着して人生を楽しむコツを学んでいくバラエティ番組。

マイアミ:そうですね。

三谷:マイアミさんって、生まれたタイミングが10年遅かったら、普通に200万人登録してるグループYouTuberのリーダーみたいになってたと思うんですよ。コムドットのやまとさんとか、『パイセンTV』やってるときのマイアミさんみたいじゃないですか。

マイアミ:よく言われます(笑)

三谷:いい意味で内輪ノリが面白いところまで昇華できたのが強いじゃないですか。誰かが屁こいただけで笑えるのが一番いいですからね。僕らがテレビのディレクターやってた時代って情報バラエティ全盛だったので、あの中で『パイセンTV』みたいな番組を作っていたのが、すごいなと思います。

マイアミ:今考えると恐ろしいですけどね。若かったなと思って。

木月:そう思ってるんだ(笑)

三谷:めちゃくちゃYouTubeに向いてる感じのフォーマットでしたよね。共通の後輩で大野(和幸)っていうADがいたんですけど、ADの間で彼はイジられる対象になってたんですよ。そのキャラクターって、上のディレクターさんにもなかなか気づかれなかったんですけど、それがテレビに映ってるのか面白いなと思って。

木月:『いいとも』『ヨルタモリ』のADだった大野は『パイセンTV』にも出てたんですよね。

マイアミ:「ファンキー大野」っていう名前で前説やったりして、しゃしゃり出てやってたんですよ(笑)

三谷:実力はないんですけど、佇まいがあるように見せかけるから、初めて大野と接する人はすごい人なんだと感じちゃうという謎の技を持ってるんです。めちゃくちゃ変なやつで、大野は僕より1週間前くらいにフジテレビに派遣されてきたんですよ。それで初めて会ったときに、収録終わってラポルト(=台場本社の社員食堂)でご飯食べてたら、大野が開口一番「ラポルトのラーメンが東京で一番うまいから、絶対食ったほうがいい」って言ってきて、やべぇやつだ!と思って。

(一同笑い)

――大野さんは今、何をされているんですか?

マイアミ:うちの会社の取締役になりました(笑)

三谷:そうなんだ!

木月:あの大野が取締役に!?

マイアミ:そうですよ。立場ある人間になりましたんで(笑)

三谷:すいません! マイナスプロモーションになっちゃった。

マイアミ:いやいや。雰囲気がすごいんで、毎回打ち合わせで僕より先にあいつが挨拶されますから。

三谷:『(笑って)いいとも』ってADさんがタレントさんの事務所の人と結構やり取りするんですけど、そのときにマネージャーさんへの態度が、25歳のADのはずなのに、長年お世話になってるプロデューサーみたいに「なにか困ったことあったらいつでも俺に言ってくださいね」って言わんばかりの感じで接してるようなやつで(笑)。大野以外にもそういう個性的なスタッフがいろいろいて、面白かったですよね。

■視聴率より「変なもん作れ」

木月:三谷さんは『パイセンTV』をどう見ていたんですか?

三谷:情報バラエティばかりの中で、ああいう番組を普通にやっていいんだなというのと、マイアミさんは同い年ですごいなと思って、遠くで輝いている星を見ているような感じでした。当時僕は、まだADで普通にいびられてたりしていた頃だったので。

木月:完全に勢いだけでやってたよね。

『人生のパイセンTV』時代のマイアミ啓太氏

マイアミ:はい、もう勢いだけですね。でもあの番組を立ち上げさせていただいたとき、木月さんに「数字(=視聴率)とかいいから、変なもん作れよ」って言ってもらえたのが全てなんですよ。初めて番組で演出をやらせてもらうので怖いですし、右も左も分からない中で、そのひと言が自分の中ででかくて、変なもん作ればいいんだっていうのを自分なりに解釈したら、あんなことになっちゃったんです(笑)

木月:やっぱり最初にやるなら“名刺”があったほうがいいじゃないですか。「こういうのを作るディレクターなんだ」って分かったほうが何かといいから、そしたら数字は考えないほうがいいと思って。

マイアミ:だからすごくありがたかったですね。あのひと言がなかったら、普通に平均的な番組を作ってたと思うんですよ。僕、ちょっと変なキャラでやってましたけど、根は結構小心者だから(笑)。だから木月さんのプロデュース力のおかげで、バッターボックスで思いっきりフルスイングできたという感じなんです。

木月:そもそもあの番組が立ち上がったのは、マイアミさんがすごく高い車を買って、その結果すごく遠いところに住まなきゃいけなくなっちゃったという話があって(笑)

マイアミ:ポルシェのカイエンを買って、実家から2時間かけて会社に通ってました(笑)

木月:「何やってんの? お前(笑)」っていう。でも、そのバランスがアホみたいな人って面白いんじゃないかと。そこまでしてカイエンに乗りたいっていう思いが自分にはないから、そこに学びがあるんじゃないかと思って、そこから“人生のパイセンに学ぼう”みたいな企画になったんですよ。

マイアミ:最初、企画書作っても理解されなかったですもんね。そこを木月さんが「まあまあ、こいつの面倒見ますんで」って無理やり通してくれて。

木月:「全然見えない」って言われました(笑)

マイアミ:あれは若手の力だけじゃ絶対にできなかった番組ですね。だから本当に、今考えるとありがたいです。

木月:編集スタイルも、実は『キスマイBUSAIKU!?』でやってきた演出方法を持ってきたり、佐藤大輔さんからの学びもあって。『RIZIN』の煽りVTRを作ってる人で、『AKB総選挙』のときにマイアミ氏を1カ月くらい佐藤大輔さんのところに学びに行かせたんですよ。そこで独特の編集手法を学んで、結果舞祭組のスカイダイビングの罰ゲームの編集に生かされたという。それが『パイセンTV』の編集方法の原点となったんです。

マイアミ:そうですね。木月さんと仕事させてもらって、いろんな外部のディレクターさんのもとで勉強させてもらい、その集合体みたいな感じでしたね。