1992年に立ち上げた「CREATIVE OFFICE CUE」は、今年創立30周年を迎える。所属するTEAM NACSは、今や全国区で人気を博すユニットで、それぞれが個人でも活躍しているのは周知の通り。その理由について鈴井は「稀有な出会いがあったからこそです。ここまで来られたのは、決して我々だけの力だけではなく、いろんな方たちに助けられから今日があります」と心から感謝する。

「現社長(伊藤亜由美)と出会って『会社を作り、本格的にやりましょう』と始めた事務所です。最初にOFFICE CUEに入ったのは安田顕ですが、その後TEAM NACSのメンバーが揃っていって、彼らを全国区にしたいと思った時、東京のアミューズさんとの出会いがあり、そこからまたいろんな縁がつながっていきました。今でこそ、うちは新卒入社採用みたいな制度もありますが、だいたいは人づてで入ってくることが多くて。そういう出会いがずっと続いているから、やりたいことをやらせていただける状況が作れたのかなと思っています」

鈴井だけではなく、TEAM NACSのメンバーたちも、東京をメインに活動していながら、地元・北海道での仕事を大切に続けてきたが、鈴井はメンバーたちについて「きっと僕というダメなお父さんを見ているから、彼らは僕がしっかりしなきゃと思っているんじゃないでしょうか(笑)。こうやって東京にひょこひょこ出てくるけど、芝居が終わったらまた田舎へ帰って、自分勝手だなって」と冗談交じりに話す。

また、「やはり北海道という土地柄も大きいと思います。千歳空港に着いた瞬間、冷たい空気が凛としていて、寒くて嫌だけど北海道ならではの安心感があり、いろんなことを頑張ろうという気持ちにさせてくれるんです」とも語った。

そして、北海道民のファンたちの支えが何よりも大きかったと強調する鈴井。「TEAM NACSもそうですが、そもそも北海道で人気者になったから全国区になれたんです。北海道の人たちが育ててくれて、全国へいってらっしゃいと送り出してくれました。そういう気持ちがベースにあるので、彼らは東京での仕事が多くなっても、地元での仕事を続けているんじゃないかと思っています」

ちなみに鈴井自身も20代前半で、東京進出を考えたことがあったそうだ。「当時、札幌で芝居をやっていた僕と同年代の人たちは、みんな東京へ行っていて、僕自身も『あとに続くから』と言っていたのに、そのタイミングを逃しました。勇気と自信がなかったんです。地元の北海道が好きだからといったきれいごとを口にしていた時期もありましたが、正直、ビビっていたんだと思います。親からの圧力もあり、27歳ぐらいで一度、芝居をやめようと思い、一般企業の面接を受けたりもしましたし。でもそこから『北海道で意地でもやってやる!』と奮起し、30歳でOFFICE CUEを立ち上げました」

OFFICE CUEには安田や大泉に続いてTEAM NACSの他のメンバーも移籍。北海道テレビの『水曜どうでしょう』が全国放送されたことで、ご当地タレントの枠を超え、全国で人気を不動のものにしていく。

「TEAM NACSが、全国でもお客さんを動員できる演劇ユニットになってくれたことが大きかったです。そこは彼らだけではなく、僕が描いていた夢でもありましたから。僕は自分でそれをできなかったけど、彼らが実現してくれました。ただ、ご当地タレントとかローカルタレントって、ランクが下のように扱われがちですが、僕はそう思ってないし、そこを彼らが証明してくれたような気もします。また、彼らに感化されて、僕ももう1回やりたいと思い、OOPARTSを2010年から再始動させたんです」

OOPARTSの今後の展望についても話を聞いた。「実現できるかどうかわからない夢物語として。お客さんを入れずに中継で、山1つ爆破しちゃうような規模の野外劇を、自然のなかでやってみたいです。劇場の舞台という枠ではないものをね。北海道なので、大きな雪山を作ればできないこともないかなと。また、逆に50人ぐらいの小さな規模で、舞台と客席の垣根がない空間を使って、お客さんも巻き込んだストーリー展開のお芝居なども面白いのではないかと。お客さんの1人を犯人にしちゃうとかして(笑)」

それは還暦を迎える年齢になった今だからこそ思いついたことだ。「いい年になって、これからもっとすごいことをやりますということより、今までずっと何十年も応援してくださった方たちに、もっと深く刺さるものを作りたい。若い頃ならもっとファンを拡大していこうと思うかもしれませんが、今は長年ファンでいてくださる方たちに、お礼をしたいです。それは老後の楽しみじゃないけど、こういうこともできますよ!という感じのものを何か作れたらと。これからもいろいろなことを考えていきたいです」

■鈴井貴之(すずい・たかゆき)
1962年5月6日生まれ、北海道出身の俳優、タレント、映画監督、放送作家、脚本家、演出家。大学在籍中に「ノーティキッズ」、「劇団487パラシュート」などの劇団を主宰。1990年に劇団「OOPARTS」を結成し、作・演出し、俳優としても出演。「OOPARTS」解散後は、タレント・構成作家としてHTB『水曜どうでしょう』などの数々の番組の企画・出演に携わる。映画監督としても『man-hole』(01)、『river』(03)、『銀のエンゼル』(04)、『銀色の雨』(09)を手掛ける。2015年には「ドラマ24『不便な便利屋』」で自身初の連続ドラマ脚本・監督を務める。2010年には「OOPARTS」を鈴井自身のプロジェクトとして再始動し、2019年までに5作の舞台公演を上演。