オークラ氏

――東京03さんはいかがですか?

オークラ:彼らはバナナマンと違ってコンプレックスの塊で、アルファルファ(飯塚悟志&豊本明長)というコンビが、バナナマンとかアンタッチャブルとかおぎやはぎがそれぞれ独自の面白いネタを作っていく中、自分たちはただただフォーマットのあるボケとツッコミというオーソドックスな形でのネタしか作れないという悩みがあったんですけど、それでもう辞めようかと思ったときに角田(晃広)という芸人と出会うことによって、人間の弱さとかずるさというところに着目した笑いに、飯塚さんが広げたんです。飯塚さんはお笑いが大好きで誰よりもお笑いを研究していたのに、自分たちの笑いを作れなかった。ところが、角田が入ったことによって、自分たちの笑いが作れるようになって、東京03がスタートするわけですよ。それがお笑いブームの始まった2003年で、同期でやってきた人たちがテレビスターになっていく。一方で東京03は延々と舞台でコントをやっていくうちに、だんだん舞台コントとして有名人となっていくんですけど、2009年の『キングオブコント』(TBS)で優勝する。これでテレビに進むのかなと思いきや、“事件”が起こる…。

――“事件”、ですね…

オークラ:東京03はやっと築き上げてきた自分たちのコントで日本一になったら、テレビに呼ばれると急に「フリートークだ」って言われて、そこに今度は“感謝祭ショック”が起こった。それで、「テレビって何のために出てるんだっけ?」という悩みにぶち当たったんですね。ほぼ全てのコント師がそうなるんですけど、そこから、もう1回コントライブを中心に考えていこうとなったんです。ちょうどその頃、僕も好きでもない番組もやるようになって「放送作家として、このままでいいのかな。カルチャーとコントの融合をやりたかったんじゃないかな」という考えになっていて、東京03の状況と合致して、一緒にやっていこうよとなった。そこからは、あくまでコントライブに人が来るような番組をやろうとか、コントライブに来るような人と組んでやってみるという考え方で全部動いてるんですけど、こうしてコントライブでお金が儲かるという新しいシステムを見出したのが東京03ですね。だから、そんな彼らに憧れる芸人が多いというのは、分かりますよね。

木月:2010年くらいのあの時代に、その方針を決められるというのがすごいですよね。でも、『自意識とコメディの日々』を読んで、角田さんを相方として見出す話は面白かったです。

オークラ:飯塚さんが角ちゃんと住んでる場所が近くて、2人が飲み仲間だったんですよ。飯塚さんって誰よりも尖ってて、自意識過剰だから人の嫌なところとか「ああいうふうになりたくない」とか「あいつ調子乗ってるな」とか、そういうのをよく見てる人なんです。そういう目線を自分たちのコントにする力に変えたというのが飯塚さんのすごいところで、一緒に飲んでるうちに、角ちゃんが調子に乗ってダサいエピソードもいっぱい出てきて、これをコントにしたら面白いんじゃないかと思うようになったんですね。

木月:そこを発見して、さらに化学反応が起きるというのがすごいですよね。バナナマンさんも、日村さんの表現力がすごいし、設楽さんの発想が天才的であるし。

オークラ:設楽さんが面白いと思ったことを日村さんが表現しちゃったから、ああいうスタイルが出来上がったと思うんですよね。バナナマンのネタって、他の人がやったら何も面白くないんですよ(笑)。できないですもん。

■“自己と対話する芸人”オードリー若林

――その2組から少し下の世代になりますが、オードリーさんはいかがですか?

オークラ:彼らは世代的に後輩に当たるし、きちんとしゃべったことがありません。なので、これは僕の推測でオードリーはどう思ってるか分からないですけど、彼らは、BIG3(タモリ・ビートたけし・明石家さんま)がいて、とんねるず・ダウンタウン・ウンナンがいて、くりぃむしちゅーとかナイナイがいて、その人たちが築き上げてきたテレビの世界のピラミッドとルールが固定化され、その中で上手くやらなければならない。さらに1個上の僕らの世代でバナナマン、バカリズム、ラーメンズ、東京03がコントライブのシーンを作ってたことにより、それとは違うやり方をしないといけない。“芸人としてのアイデンティティは何か?”と悩んだ世代と思います。そこで、若林(正恭)くんが、“自己と対話する芸人”という時代の寵児として現れたんじゃないかと思うんです。

――“自己と対話する芸人”ですか。

オークラ:あの世代って、ここにいてもどうにもならないとなって、キングコングの西野(亮廣)くんはサロンとか始めて、ウーマンラッシュアワーの村本(大輔)くんはアメリカに行って、山ちゃん(南海キャンディーズ・山里亮太)は『天才はあきらめた』という本を書いてポジショニングしたじゃないですか。そんな中、若林くんは、その悩みをラジオで発散しながらテレビ芸人として唯一向き合ってやってきたんですけど、それが今、ものすごくいろんな人間の悩みとマッチしたと思うんですよ。『あちこちオードリー』(テレビ東京)は芸人たちの闇の救いの場になってるし。僕は若林くんたちの世代のことを「生き様芸人」と呼んでるんですけど、芸人とは何か、俺たちとは何かというのをずっと考えてる。特に若林くんは、そういうのを常にやってる感じがするんですよね。お笑い芸人としてめちゃめちゃ苦しみ抜いて、自分たちって何なのだろうとずっと問い質している芸人の出来上がったスタイルなので、そこには多様性もある。

木月:それをちゃんと支える視聴者もいて、そのファン層を築き上げたのがすごいですよね。

  • 木月洋介氏

■「笑わせまっせ!」の感じが少ない

――塩谷さんから見ての3組の印象は、いかがですか?

塩谷:みんないい人たちで、また仕事したいなというふうにさせてくれる3組だなと思います。

――“東京芸人”とくくったときに、西と比べて傾向的な特徴などありますか?

塩谷:「笑わせまっせ!」というのが少ないかもしれないです。東京の人たちは「ボケてますよ」という感じを出すのに恥ずかしげがある印象があります。ロケ芸人というジャンルは、無理にボケていく必要があるので、東京の人は難しいんですよね。