YouTube・サブスク動画配信サービスの台頭、視聴率指標の多様化、見逃し配信の定着、同時配信の開始、コロナ禍での制作体制――テレビを取り巻く環境が大きく変化する中、最前線にいる業界の“中の人”が語り合う連載【令和テレビ談義】。
第6弾は、バナナマン、東京03、オードリーなどと仕事し、“東京芸人”をよく知る放送作家のオークラ氏、制作会社・シオプロ社長の塩谷泰孝氏が登場。2人とともに『バチくるオードリー』を手がけるフジテレビの木月洋介氏をモデレーターに、全3回シリーズのテレビ談義をお届けする。
第1回は、バナナマン、東京03、オードリーが、いかにして現在のポジションを確立したのかをオークラ氏が考察。また、きょう1月1日(23:30~)に放送される『バチくるオードリー』が目指す番組像などを明かしてくれた――。
■『バチくるオードリー』レギュラー化を目指す
――まずはみなさんの関係性から伺っていければと思います。
オークラ:木月くんと最初に会ったのは『とんぱちオードリー』(14~16年)ですね。
木月:その後に、正月の『最強運』とか『バナナバカリシリーズ』とか『ウンナン出川バカリの超!休み方改革』などをお願いして、今夜放送の『バチくるオードリー』ですね。塩谷さんもその流れですね。
塩谷:そうですね。
オークラ:1回もレギュラーをやってない(笑)。シオプロの番組はなかなかレギュラーにならないんですよね(笑)
木月:『バチくる』は頑張りたいですね。
■バナナマンは「根っからの天才」
――今回は「東京芸人を知る」皆さんということで、お付き合いの長いバナナマンさん、東京03さん、オードリーさんについてお話を聞きたいのですが、上梓された『自意識とコメディの日々』で東京のお笑いシーンを書かれているオークラさんから、いかがでしょうか?
オークラ:バナナマンは根っからの天才なんですよ。初舞台のときから「天才が現れた」っていう感じだった。普通、若手ってネタを自分の思うようにできないんですよ。でも、バナナマンは一発目からそういうことができていたんです。すごいなと思ったのは、「野球のマウンドには熱がこもってめちゃめちゃ暑くなって、50℃になるときがある」「そんなわけない。風呂でも42℃なのに、50℃で高校球児が投げられるわけない」「俺が言ったんじゃないよ。テレビでそう言ってたんだよ」「だけどね…」っていう言い合いを延々とやってるんですけど、それを若手がこんなに面白くするのか!っていう感じにするんです。1年目の単独ライブでそんなのをやってたんですから。
木月:発想だけでなく、表現力も当時から圧倒的だったんですね。
オークラ:怖い話を怖くなくしゃべるだけで1個ネタ作ったりもしますからね。そういうのってできないんですよ。スタート時点がそれですから、そこからどんどんやりたい笑いの表現が上がっていく。でも、その時代のテレビは『電波少年』(日本テレビ)とか、芸人がディレクターのおもちゃになるような形が求められていたから、テレビマンからすると「バナナマンって、テレビ否定してるんですよね?」っていう感じがちょっとあったんです。ちょうどそのときやってた『ボキャブラ天国』(フジテレビ)を否定するグループみたいな感じもあったんだけど、バナナマンからしたらテレビ芸人というのに憧れてこの世界に入ってきてるから、そんなことは全然思ってなくて。そうしてるうちに、2003年に『エンタの神様』(日本テレビ)が始まってお笑いブームが起き、おぎやはぎ、アンタッチャブル、次長課長といった芸人たちがどんどん出てきて、くりぃむしちゅーやさまぁ~ずの下でドッキリとかにハマっていく中、バナナマンも一応その世代だからやってみて、ドッキリとかにハマるようになって、「あれ? この人たちってカッコつけてるだけじゃなくて、芸人としてちゃんとイジられたりもするんだ」っていうのが伝わっていったと思うんです。塩谷が担当してた『リンカーン』(TBS)の「世界ウルリン滞在記」という企画で、渋谷のギャルとパラパラを踊ったというのが印象的ですね。
――ありましたね!
オークラ:あれで松本(人志)さんがすごい笑ったんですよ。ダウンタウンさんが笑うってことは、“この人はこういう使い方をしていい”というハンコみたいなものだから、そこから日村さんをイジっていいんだという感じになっていったんです。そんな中、バナナマンと同世代のディレクターが深夜で番組を作るようになってバナナマンを起用すると、企画を成立させるためにちゃんと良い働きをしてくれるから、あちこちでバナナマンMCの番組が始まって、今の優秀なMCとしての位置になったんじゃないかなと思うんですよね。一番サブカル的なポジションにいたのに、一番テレビ的な芸人になったっていう感じ(笑)
木月:塩谷さんがバナナマンさんと初めて会ったのは、どの番組ですか?
塩谷:『リンカーン』でバナナマンの企画をやる機会が多かったり、『ゴッドタン』とか組んでたりして、『ドリームマッチ』でもバナナマン担当のディレクターみたいな感じになっていったんですよね。その流れから『そんなバカなマン』という企画をシオプロが出したら、「じゃあやりましょうか」となって、よりバナナマンとやる機会が増えたと思います。
オークラ:バナナマンのお笑い要素強めの番組担当みたいになってますよね。
木月:ご指名が入るんですね。
塩谷:ありがたいことに。