「中庸」という言葉をみかけることがあります。この中庸とは孔子に由来する儒教の言葉です。本記事では中庸の意味や由来、類義語、使い方などくわしく解説します。中庸の意味を知って正しく使いこなせるようになりましょう。
中庸の意味
中庸は「ちゅうよう」と読みます。あまり日常会話で使う言葉ではないので、馴染みがない方もいるかもしれません。中庸は「かたよりがなく、いつも変わらない」といった意味の言葉です。
対立するふたつの意見があるとき、一方にかたよって取り入れるのではなく、両方のいい点をバランスよく取り入れるような考え方を中庸といいます。
中庸の由来は孔子の論語から
中庸の言葉の由来は孔子の論語にあります。論語の「中庸の徳たるや、それ至れるかな」という文章が由来しているようです。これは「中庸の道は徳の指標として最高のもの」との意味があります。
「中庸の道ってどんな道なんだろう」と疑問を持つ方もいるでしょう。それには孔子の言葉を解釈する必要があります。しかし、解釈には幅があり絶対の正解はありません。「中庸の道とは」と正解を考えることが思考の鍛錬になり、学びにつながっていくといえるでしょう。
また儒学の四書の「論語」「大学」中庸「孟子」のなかで中庸は儒学の考え方で特に重要とされています。
中庸は孔子の孫にあたる子思(しし)が書いたとされている経書です。孔子は自らの思想を体系化しませんでしたが、孫の子思は孔子の思想を体系化して論理的にまとめました。
中庸の教えとは
孔子の教えが体系化された中庸の内容について一部紹介します。
・天命を知る
中庸では「天命を知る」という教えがあります。天から与えられた性を育むことが人として完成する方法とされているのです。道とは目標を達成するために進む過程のこと。目標へ到着するための道をはずれないように学問で学ぶといった内容です。
生まれながらに与えられた天命を知らなければ、どのように進んでいくかわからず、道を踏み外してしまいます。天命を知ることが中庸を学ぶ意義であるとされているのです。
・中庸の思想の根幹は「誠」
中庸においての「誠」とは自分にも他人にも嘘偽りのない心。「真心」に近い言葉です。孔子は誠の心こそが天の道であると説いています。
孔子は15歳のときに立派な人間になるために学問を始めますが、70歳になってやっと、自らが思うままに言動をしても道理に背かなくなったと語ったそうです。「自分が思ったままに行動しても、道徳からはずれない」そんな自由な境地に到達することが中庸を学ぶ目的といえます。
アリストテレスの中庸とは?
古代ギリシャの哲学者、アリストテレスの思想が書かれた「ニコマコス倫理学」にメソテースという「中間」の意味がある言葉が出てきます。英訳では「Golden Mean」と表記され、日本語では中庸と儒教用語で訳されました。
アリストテレスが説いた中庸の概念は「超過と不足を避ける行為が倫理的な徳である」とされています。超過と不足を足して2で割った状態がバランスのとれた中庸の状態であるという考え方です。たとえば、「勇気」は無謀(超過)と臆病(不足)の間の中庸の状態であると考えます。
孔子の中庸は「常に発揮できるか」を重視しているのに対して、アリストテレスの中庸は「最適な状態でいる」ことを重視しているという点に両者の違いがあります。
中庸の類語と対義語
中庸は馴染みない言葉なだけに類語や対義語がすぐに思い浮かばないかもしれません。ここでは中庸の類語と対義語を紹介します。
中庸の類語
中庸の類語といえるのは「節制」「頃合い」「中道」などがあります。ここではひとつずつ解説をします。
■節制
「度を越さないように控えめにする」「規律正しく統制がとれている」といった意味がある「節制」は、「かたよりがない」という意味で中庸の類語といえます。
■頃合い
頃合いは「ちょうどよい程度」「適当な時機」などの意味がある言葉です。「ちょうどよい」といった点では中庸の類語といえます。中庸には時機のようなタイミングを限定する意味はないので、「ちょうどよい時機」という意味では類語としては使えません。
■中道
上記の「節制」「頃合い」と比較するとあまり馴染みのない言葉かもしれません。中道とは「一方にかたよらない考え方」「中正な道」といった意味を持つ言葉で、仏教用語でもあります。
中庸の類語といえる言葉ですが、「中道」は政治的な立場をあらわす場合に使われることが多いです。
中庸の対義語
中庸の対義語にあたる言葉は下記のようなものがあります。
- 極度 (程度のはなはだしいこと)
- 極端 (普通の程度から大きく離れている状態)
- 不当 (正当ではない、適当ではない、道理に合わない)
- ラジカル (極端なさま、過激なさま)
どれも中庸のかたよりがない状態とは反対の意味を持っている言葉です。
中庸の使い方と例文
中庸の使い方や例文を紹介します。
中庸を名詞として使う場合
名詞としては、(主語の働きをする)主格と(目的語の働きをする)目的格としての使い方があります。
主格として使用するときは「中庸はビジネス上でも役立つ考え方である」と「中庸は(が)」と文の主語となります。
目的格では「両者の意見がわかれているときは、中庸を心がけることが大切だ」と「中庸を」と述語の目的語として使用します。
中庸を形容詞として使う場合
形容詞として使用する際には、名詞を修飾するかたちで中庸を使用します。「教授は中庸の徳について教えてくれた」や「先輩が中庸な精神で場をおさめてくれた」のように使います。
中庸は日常的に使う言葉ではないので、形容詞として使う際に、違和感を抱くことがあるかもしれません。「中庸の徳」のように「徳」を形容するなど、使う場面は限られています。
中庸の例文
中庸を使った例文をいくつか紹介します。ぜひ、参考にしてください。
・中庸は近年ビジネスパーソンの教養として注目されている
・中庸な立場で判断することで、物事の本質がみえてくる
・彼はいつも中庸を得た意見を述べてくれる
中庸の英語表現
中庸を英語で表現するときには「moderate」を使います。また「golden mean」や「middle way」「middle path」なども中庸と似た意味を持つ言葉といえます。
中庸をビジネスシーンなどでも活用してみよう
中庸とは孔子に由来する儒教の言葉で「かたよらずに常に変わらない」「過不足なく調和がとれている」などの意味を持っています。あまり日常で使用する言葉ではないかもしれません。しかし、その思想はビジネスシーンや日常生活でも活かせるものです。中庸の意味や考え方を理解して活用してみましょう。