ついに上陸! 繁栄の跡を間近で見学

筆者が訪れた日も天気は快晴だったが、風が出てきたのでどうなるだろうとビクビク……。だが晴れ女パワーを発揮し、なんとか上陸にこぎつけた。

上陸後まず目を引くのは、四角い枠がドミノのように立ち並ぶ「貯炭ベルトコンベアー」。精製された石炭を貯炭場まで運ぶものだが、今は役目を終えた支柱部分のみが寂しく立っている。

  • 手前に立ち並ぶ四角の枠が「貯炭ベルトコンベアー」、奥右側が「端島小中学校」

さらにその奥にある7階建ての建物が「端島小中学校」。当時、高層アパートが隣接し、日当たりが十分でない軍艦島において「せめて子どもたちには日当たりのよい環境で学びを」という親心から、窓が広く造られたそうだ。

  • 窓ガラスは台風などによって割れてしまっている。「端島小中学校」の中には、給食を運ぶエレベーターもあった

その小中学校から左上に視線を移すと一際高い場所に建物が存在する。「3号棟アパート」と呼ばれ、課長級以上の幹部クラス社員のみが住めるオーシャンビューのアパートだ。小さな島だが、住む場所もきちんと階級分けされていたというから面白い。

  • 「3号棟」は三菱の幹部が住む社宅。一般社員の住宅にはなかった風呂場も備え付けられていた

次に見たのはレンガ造りの建物が一部残る「総合事務所」。鉱山の中枢であり当時は軍事機密があったとされている。

  • 24時間3交代制(戦後)だった不夜城「端島炭坑」を支えた場所

炭鉱員たちの跡残る「命の階段」

続いては、鉱物や材料および人員の運搬をするため地下600m以上の作業場に続く「第二竪坑坑口桟橋跡」を見学。ほとんど崩壊しているものの、第二竪坑へいくための昇降階段部分がかろうじて残る。そして、これが生死を分ける階段だった。

  • 実際に当時ガス爆発で亡くなった人も。過酷な労働環境下で、危険を顧みず働く炭鉱員がいたからこその繁栄だったという

地下600m以上の深さにある作業場は、気温30度・湿度95%という厳しい環境下。常にガス爆発の不安を抱えながら、真っ暗な地下でヘッドライトのわずかな灯りを頼りに、鉱員たちは長時間作業をしていたという。

炭まみれの鉱員たちが行き来した階段には、閉山から45年以上経った今でも黒い炭の跡がこびりつく。屈強な男たちが、どんな想いで毎日そこを歩いていたのか。想像するだけで、なんともいえぬ感情が押し寄せてきた。

  • 鉱内で交わされる挨拶は「お疲れ様」ではなく「ご安全に」だった

日本最古の高層RC造アパート「30号棟」

そして、見学ツアーはいよいよクライマックスに突入。軍艦島を代表する日本最古のRC構造アパート「30号棟」がついに目の前に現れた。内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には売店があったという機能美に優れた建物だ。

老朽化が進む高層アパートだが、未だに迫力があり、貫禄のようなものさえ感じた。まるで日本の繁栄を支えた、島のプライドを見せつけられているようだった。

  • 右側の真ん中が崩れている建物が「30号棟」1916年の完成から100年以上が経つ今も凛としてそびえる

だが、朽ち行く30号棟は保存が困難という理由から、長崎市が2021年11月に補修の対象から外した。そのため、今の姿がいつまで見られるかは定かではない。

廃墟ゆえに、きれいに補修してはその価値を失うことになる。なんとも保存が難しい遺産なのだ。だが、その儚さも含めて軍艦島は訪れる人を魅了してやまないのだろう。

筆者も二度は見ることのできないその光景を目に焼き付け、島をあとにした。

■Information
場所:長崎県長崎市高島町端島
施設見学料:個人 一般(12歳以上) 310円、小学校の児童 150円
※なお、上陸に際しては別途船代も別途発生する。入島に際しての詳細な料金や注意事項はHPを要確認