廃墟の王様とも呼ばれる「軍艦島」。風化が進んでいるにも関わらず、なぜだかその姿は堂々としており、訪れる人を魅了してやまない。だが、そもそも廃墟がなぜ世界遺産に登録されているのだろうか。その理由と魅力を今回は紹介していこう。

  • 長崎県長崎市にある世界文化遺産「端島」(通称:軍艦島)

日本の最先端を行く島

実は島の正式名称は「端島(はしま)」。高層鉄筋アパートが立ち並ぶ島の外観が、軍艦「土佐」に似ていることから軍艦島の名は付けられた。

長崎県長崎市に属す軍艦島は江戸時代後期に石炭が発見され、その後、三菱鉱業(現 三菱マテリアル)の炭砿として栄えた。周囲約1.2km、面積は東京ドームのグラウンドおよそ5個分という小さな島ながら、最盛期には炭鉱に関わる5200人もの人が住み、人口密度は世界一ともいわれた。

  • モノクロで撮るとより軍艦らしい写真になるとスタッフが教えてくれた

また、そこで暮らす人々の生活も非常に裕福。鉱員の給料は高く、日本におけるテレビの普及率が当時10%という中、軍艦島は普及率100%。さらに平屋が主流だった時代にも関わらず、島には鉄筋コンクリートのアパートが複数建設され、その繁栄ぶりは目を見張るものがあった。

だがその栄光も長くは続かず、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことで、鉱山は1974年に閉山となった。その後、明治日本の産業革命を伝える貴重な遺産の1つとして、2015年に軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。

では早速、その軍艦島をレポートしていこう。

船で島を周遊! 当時の暮らしに想いを馳せる

軍艦島ツアーは複数の会社が開催しているそうだが、今回はその中の1つ「シーマン商会」を利用。はやる気持ちをおさえ、出航場所である長崎港の常盤2号桟橋から船に乗り込んだ。

  • 天候によっては船が揺れることもあるので、事前に酔い止めを飲んでおくとよいだろう。また、日傘の持ち込みやハイヒールでは入島ができないので格好にも留意が必要

出航からしばらくすると、紺碧の海に小さな島が出現。コンクリートで回りが固められ、建物が林立するその姿は、"島"というよりは要塞を思わせる特異な出で立ちだった。

  • 逆光だったこともありより一層要塞に見えた

早速上陸! とはいかず、まずは島をぐるっと一周。島内から見ることのできない姿を船上から見学していく。

跡形もないほど崩壊してしまっているが、かつてここには映画館が存在した。島民の楽しみでもあった映画は、当時本土よりも早く最新作が上映されたそう。また映画館に加え、島にはビリヤード場やパチンコ屋など娯楽施設も充実していた。

  • 白いがれき類がある場所が映画館「昭和館」があった

続いては、建物と建物を結ぶ「渡り廊下」。島内は道が狭いため、移動手段は基本的に徒歩だったという。住んでいる場所も高層アパートとあって移動に負担がかかるため、ショートカットができる機能的な渡り廊下が造られた。

  • 建物と建物をつなぐのが渡り廊下。また、防波堤が蛇行してして作られているのは、台風時など波の衝撃を和らげるため。

  • 「X」の形をした有機的なデザインの渡り廊下も存在した

さらに、進んでいくと島の"トイレ事情"を物語る施設が登場。縦に6本見える柱のようなものはすべてトイレの排水管。島は水洗式ではなく落下式便所(ボットン式便所)で、基本的に汚物は海に垂れ流しだったとのこと。当時水が貴重な軍艦島にとって、トイレに最先端を取り入れることは諦めたようだ。

  • 島では水は貴重なもので、プールや鉱場内にある共同浴場は海水だった

そのほか土地が狭い事を理由に、屋上を利用して保育園や屋上庭園を造っていた。屋上庭園は「人工島だからといって植物の名前を知らなくては恥をかく」と子どもたちの教育も兼ねていたそうだ。

小さな大都会は人々の知恵と工夫によって生まれていた。そんな当時の暮らしに想いを馳せていると、船内に「間もなく上陸です」とのアナウンスが流れた。いよいよあこがれの軍艦島に足を踏み入れる。

ちなみに軍艦島上陸ツアーと言っても、波が0.5m以下などさまざまな基準をクリアできないと上陸不可。天候に恵まれたラッキーパーソンだけが、島に立ち入ることができるそうだ。

  • 「ドルフィン桟橋」から上陸する。堤防がない沖合に杭を打ち込み作られた係留施設を指し、波の上下・潮の干満に合わせタラップが上下する構造は当時日本発だった