勤務する会社や取引先で関わる相手とのつきあいはとても難しいものですが、恋人や家族といった、距離が近いがゆえの難しさもあります。そしてなにより、わたしたちの心をもっとも振り回すのは、その「距離が近い相手」ではないでしょうか。

恋人や家族に心を振り回されないために知っておきたいコツを、脳科学者の中野信子さんが教えてくれます。

■恋愛は、理性を麻痺させるための仕掛け

人間関係で振り回される典型は、やはり恋愛の場面ではないでしょうか。恋愛をすると、脳のなかで理性を担当する背外側前頭前皮質が、いわば一時的に麻痺した状態になります。この部分は、将来の計画や損得を考えて、自分がいまなにをすべきかを司る場所です。

恋愛によってこの部分の働きがにぶると、本来、自分にとって危険なことでも、脳がうっかり取り組ませてしまいます。それこそ、あと先考えずに誰かと駆け落ちしてしまい、冷静になってから「どうしてこの人と逃げたのだろう?」と後悔するようなことが起きてしまいます。

でもなぜ、そんな大胆な行動を人間は取るのでしょう? それは、種が途絶えないようにするためです。いまは医療技術が発達し、出産時の死亡は減りましたが、むかしは死亡率が高く出産は命がけの作業でした。

人類誕生までさかのぼると、人間は二足歩行という進化と引きかえに、出産が大変な作業になりました。頭が大きくなり、出産に負担がかかるようになったのです。さらに妊娠してから出産するまで、約10カ月も重たい体で過ごす必要がありそれもまた危険です。そもそも出産という行為そのものは、理性的になればどう考えても避けるべき行動です。

そこで種を残すために、一時的に理性を麻痺させて、「この人の子どもなら産んでもいい」と思わせる必要があったのです。恋に落ちると、男女ともになんだかぼーっとした感じになるのはそのためと考えてください。 

恋愛中は、ものごとを冷静に考えられなくなり、お互いに振り回されることも増えていきます。恋愛は理性を麻痺させる、ある種の麻酔のようなものなのです。

■恋愛に振り回されがちな人は、恋愛自体が好きな人

恋愛の悩みに振り回されがちな人は、人を好きになりやすいタイプが多いようです。これには、「新奇探索性」という傾向が関係しており、簡単にいえば、「新しいものごとに飛びつく性質」のことです。個人差があり、遺伝的要因にも左右されるものなのですが、快感をもたらす物質であるドーパミンが関係しています。

よく「恋愛に振り回される」といいますよね。そんな状態は苦しいようでいて、実は楽しい面がたくさんあります。相手とちょっと目が合ったり、LINEで送ったメッセージに返信が来たりするだけでとてもうれしい気持ちになってしまうことはありませんか? そうなるのは、相手の一挙手一投足が刺激になって、ドーパミン濃度が上がるためです。

逆にいうと、恋愛が苦しいだけのときはドーパミンが分泌されない状態が続いており、快楽や楽しさを求めて恋愛依存症のような状態に陥ることもあります。こうなると相手よりは、むしろ恋愛自体が好きな状態といえるでしょう。

いずれにせよ、恋愛に振り回されているようなときは、相手をひとりの人格として客観視するのがとても難しくなっていることは事実です。そういう状態では、つきあってしばらくすると、結局うまくいかなくなる場合も多いのです。

■家族だから、嫌いになる

人間関係における思い込みのひとつに、「家族は仲良くあるべき」というものがあります。確かに家族の仲がいい状態でいると、社会生活を送るうえでなにかと都合がいいうえ、いろいろな助けを得られるので有利に働くことはたくさんあると思います。

でも、だからといって、家族は仲良くあるべきだと決めつける必要はまったくありません。「家族仲」は本来、誰に評価されるものでもなく、そもそも血縁関係の有無は仲のよさとは関係ありません。個々人がそれぞれの立ち位置で、いちばん心地よく過ごせるかたちを選べばいいのではないかとわたしは思います。

さらにいえば、家族という近い関係だからこそ、感情はもつれます。警視庁によると、2016年に摘発した殺人事件(未遂を含む)のうち、半分以上の55%が親族間で起きているという調査結果も、その傾向を裏づけています。

それを思うと、無理して「家族は仲良くあるべき」と自分を追い詰めるのではなく、「わたしは親のことが嫌いなんだ」「娘がとても苦手だ」と冷静に事実を受け止めたほうが、余裕が生まれるでしょう。

「家族だから嫌いになることもある」と、ときには考えてみることも必要でしょう。そう考えられれば、本来、囚われる必要のない罪悪感などから、心が解放されると思います。

■関係性が近い相手ほど、人は「見返り」を求める

近しい人間関係においては、お互いに脳のなかで脳内物質オキシトシンの濃度が高まり、「仲間意識」が強くなっている状態にあると考えられます。

オキシトシンは「愛情ホルモン」とも呼ばれ、相手に親近感を持たせたり、愛着を感じさせたりする働きを持っています。同じ空間にずっと一緒にいることで、オキシトシンの濃度はさらに高まります。

ただ、お互いが信頼し合い絆を育むことはいいことですが、同時にお互いに期待する面も大きくなります。それこそ家族なら、育児や家事のサポート、収入面での協力、親の介護など、ひとりの力では大変なことがたくさんあるでしょう。そのため、必然的に自分以外の家族に期待してしまいます。そうして自分が与えた愛情にふさわしい(ときにそれ以上の)「見返り」を求めるようになるのです。

でもこのとき、想像以上に見返りが少なかったり、期待外れだったりすると、反動で相手を責めたり束縛したり、攻撃したりするといった行動に出ることがあります。コロナ禍では、夫婦やカップルが同じ場所で一緒にいる時間が増えたことで、相手の嫌な部分とまともに向き合うことになり、離婚やトラブルなどが増える現象も生じました。「自分だけ楽をしてずるい」「期待していたのに」といった気持ちになるのが、理由のひとつと考えられます。

こうした現象も、オキシトシンによって高まった期待が裏切られた反動として現れたと考えることができるかもしれません。

■嫌いになった相手でも、見方によってはいい面がある

恋人や家族といった自分ととても近しい誰かを嫌いになったとき、現実的には嫌いだからといって思い立った瞬間に別れたり、離れたりできるわけではないと思います。

もちろん身体的・精神的なDVを受けている場合は、早急に物理的な距離を取るべきです。DVは暴力(犯罪となり得る行為)であり、相手が変わるのを待っていても自然と治まるようなものではありませんし、生命に危険が及ぶ場合すらあるからです。

ただ、そんな極端な状態ではなく、相手の嫌な部分ばかりが見えたり、お互いに非難し合ったりしているという場合があります。あなたにとって嫌な面ばかりが目についても——これは当然ですが、人にはそれぞれいい面があるはず。あなたにとってはだらしない人でも、他人から見れば「細かいことを気にしないおおらかな人」かもしれないし、家でまったく勉強をしない子どもでも、「友だちに慕われる頼りがいのある子ども」かもしれない。

相手の嫌な面ばかりに目が向くときは、別の人に対しても嫌な面を見つけ出し、責めてしまいがちなものです。なぜなら、自分が相手を見る視点や、ものごとのとらえ方自体が、他者の嫌な面を見つける側に寄っている可能性が高いからです。

少しずつでいいので、相手のいいところを見つける力を養っていくことが、あなたにとってもプラスになります。相手を嫌に思う気持ちは簡単には変わらなくても、少なくとも相手を非難し、攻撃する行為は時間の浪費だと気づくことができるようになるはずです。

そうしてあなたは、人間関係に振り回されない人間になっていくのです。

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 写真/川しまゆうこ

※今コラムは、『脳を整える 感情に振り回されない生き方』(プレジデント社)より抜粋し構成したものです。