――いかなる世界をも超越し、どこにでも現れるディケイドだけに、大事な局面での登場には痛快な楽しさがあります。

さすがに年号も平成から令和に代わってけっこう経ちましたし、今の仮面ライダーにどんどん活躍してほしいので「いきなりディケイドが現れて場をかっさらう」みたいなことはやらないほうがいいと思うんです。僕自身、本来ならばレジェンド的扱いになっていいはずなのに、いまだ現役(仮面ライダー)を続けているじゃないですか。まったく「先輩感」がなく、ずっと現役というのはいかがなものかと。それでも、長年『ディケイド』と士を愛してくれているファンのみなさんに喜んでもらいたい、という気持ちは確かにありますけどね。

――『ジオウ』など他の作品にゲストで出てきたとき、テレビシリーズと士の演じ方が変わったりしましたか。

テレビシリーズの士はなんといっても主人公なので、毎回のストーリーを追う中心的存在でした。でも『ジオウ』のときに顕著なのですが、他の作品に出ている士の行動には、演じている自分自身も驚かされました。何をやってもいいのか、この人物はと(笑)。

もともとあった門矢士の要素が、かなりデフォルメされた状態で出てきて、突拍子もない行動ばかり取っている。まさに、物語をかき乱すには最適なキャラクターとして動かされているのがわかります。これが他のライダー、たとえば仮面ライダー鎧武とかがいきなり別の作品に現れて、場をかき乱すようなことをしてはいけないし、もしそんなことやったら「鎧武はそんなことしませんし、言いません」みたいなファンの声がどんどん出てくるはずなんです。

それが門矢士の場合だと、どの作品で何をやろうが「門矢士ならやりそうだよね」って、なぜか容認されてしまう(笑)。求められているといえば聞こえがいいですが、悪い意味で求められているところがあるんですね。だいたい、仮面ライダーを大した理由もなく殴っていいのはディケイドぐらいなものですから(笑)。

――『ディケイド』の放送から12年の月日が流れました。別の撮影現場などで、子どものころ『ディケイド』を観ていました、と声をかけられたことはありますか。

最近、けっこう言われるようになりました。僕は初めてお会いした方からの第一印象がとても悪くて(笑)、たいてい怖がられるんです。それはたぶん、ディケイドのイメージがあるせいなんじゃないかって思っているんですよね。

――あれから12年経ったなあ、と実感された出来事があったら教えてください。

現在「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」で監督をされているスギさん(杉原輝昭監督)やカミホリさん(上堀内佳寿也監督)は、『ディケイド』のころは助監督として頑張られていました。あのころ若手だった柴崎貴行監督も、今では『仮面ライダーセイバー』(2020年)などでメイン監督として活躍しています。あのとき現場で苦労を共にしていたスタッフたちが、経験と努力を重ねてメインを張っていることを知ったときなんて、12年という長い歳月を感じますね。

――士とは長いつきあいの井上さんから見た、士の人物像とは?

わからないですね。どんどん突っ込んでいくとそのうち「門矢士批判」になりそうなので、言いにくい(笑)。ヤバいやつ、ヘンなやつには違いないんですけど、人々のピンチを救ってくれるという部分では凄いやつでもあります。ヒーローには違いなくて、体育祭なんかだと大活躍するけれど、クラスの中にいるとなんかヤバい奴、という印象ですかね。

――最近の井上さんは映像作品の監督や舞台の演出をされていたりしますが、以前から役者をされつつも演出のほうにご興味があったのでしょうか。

僕としては「演出をやりたい」と思ったことは一度もないんです。それでもよく舞台の製作総指揮とか、演出とかを引き受けているのは「みんなで何かを作り出したい」という欲求が根本にあるからなんです。役者をやっているのも、集団で力を合わせて何を作り出したいから。「俳優×ものづくり」が演出という形をとっただけで、演出家志向というわけではありません。言うなれば、舞台を作っている人ですね(笑)。舞台の中に出てくるドラマ映像や、音楽、SE(効果音)など、自分で作れるものは何でも作ります。やっていくうちにどんどん凝っていき、結果的に自分の首を絞めるみたいな形にはなりますが(笑)。

――もしも井上さんが「仮面ライダー」を自由に作っていいと言われたら、どんなライダーを創造しますか?

もしもそんな機会が訪れたら、僕なりの「悪の仮面ライダー」を作ってみたいかな。「完全悪」をテーマに、ディケイド以上の悪いライダー(笑)、出てきたとたん、どんどん罪を重ねていくようなライダーを主役にした物語なんて、興味をそそられますね。

――井上さんが思う、仮面ライダーに大事な要素とは?

いろいろあるんですけど、やはり「変身」じゃないでしょうか。50年前、仮面ライダー(2号)が初めて登場するまでは、ヒーローが変身するときに「変身!」と叫んでいませんよね。だから「変身!」というかけ声には最初のころ違和感があったと思うんです。でも今では「変身!」って誰もが言ってみたい、カッコいい言葉になっています。これは凄いことですよね。僕自身、撮影に入る前からずっと「変身!」って言ってみたかったですから。

――SNS投稿や動画配信でファンの方々と双方向のコミュニケーションをされている井上さんですが、今もなお『仮面ライダーディケイド』および門矢士の人気を実感するような出来事はありますか。

ここ数年で、サブスクでの動画配信がかなり普及したでしょう。『仮面ライダーディケイド』もテレビシリーズや映画作品も含めて、手軽に観ることができるようになりました。少し前まで「昔、仮面ライダーをやっていました」みたいな感覚でいたけれど、今だと『ディケイド』のオンエアを観たことがなくても「いま配信で観ています」なんて言ってくれる人がいて、ディケイドも昔のライダーじゃなくなってきた印象なんです。かつてのヒーローではなく、気になればいつでも本編を楽しむことのできる作品だというのは、とても重要なこと。12年前からのファンの方に加えて、今の子どもたちまでが『ディケイド』を観てファンになってくださる現象が起きていて、とてもうれしいことだと思います。

――今年は『仮面ライダー』が誕生50周年という節目を迎えました。井上さんは、長い歴史を持つ仮面ライダーシリーズについて、どんな思いを抱かれていますか。

50年も人気を保ち続け、今もなお新シリーズが作られている仮面ライダーという存在の大きさを痛感しています。さらにこれからも未来に向かって続いていくコンテンツであってほしいですね。将来、仮面ライダー誕生100周年を祝う瞬間がやってきたら、「ライダー50年まで短かったよね」と思える日が来るのかもしれません。100年も続けば、そのとき仮面ライダーおよび特撮ヒーローは日本の文化として、揺るぎない位置になっているんじゃないでしょうか。そんな可能性を信じ、ファンのみなさんには末永く仮面ライダーを愛し続けてほしい。僕も一視聴者として、これからも仮面ライダーを応援し、楽しんでいきたいです。