栄一が作った老若男女、生活が苦しい人たちが集団生活できる施設・東京養育院についていった時、千代はそこで集団に馴染めない少女を気にかける。お下がりの着物は破れてみすぼらしいが千代は繕って使用できるようにする。

東京養育院とは、明治の初めに設立された、幕府がなくなり生活に困窮した者をはじめとして病人、孤児、老人たちを保護する施設。現在の福祉事業の原点とも言われている。渋沢栄一は明治7年より養育院の運営に関わり、明治9年に事務長、明治23年、院長に就任、亡くなるまでその任務についた。

第34回で栄一は「今の政府は貧しい者は己の努力が足りぬのだから政府はいっさい関わりないと言っている。助けたい者が各々助ければよいと。しかし貧しい者が多いのは政治のせいだ。それを救う場がないのが今の世の欠けているところだ」と言っている。養育院活動は本来、その救う場のはずなのだが、なかなか快適に機能していない。

千代は養育院で出会った身寄りのない貧しい少女たちを集め、ひだまりの中で裁縫を教える。なんて平和な風景。その時ひとりの少女が怪我をする。健気に泣くことをこらえる少女に「痛かったら泣いてもいいんだよ」と千代が言うとにわかに泣き出す少女。今までつらいこともつらいと言えずに溜めに溜めてきたのであろう。千代のおかげで少女は心を開いた。

こんなふうに助けてほしいと言えずにいる声に耳を傾ける人が必要だ。千代の行動は養育院のあり方に展望を見出す足がかりになった。栄一も千代も故郷でみんなで助け合って働くことを体験してきた。改めて第1回を見ると血洗島の人たちが集団で歌いながら明るく労働している。これが栄一の原風景になっている。

栄一は欧米と同じく女性を仕事の場に列席させようと考える。外国から来た要人をもてなす場に一緒に出席してほしいと千代や娘の歌子(小野莉奈)、喜作の妻・よし(成海璃子)に持ちかける。それが「新しい日本の力」になると。「一等国では男と女が表と奥で分かれたりしてねえ。公の場に夫人を同伴すんのは当ったりめえなんだよ」

「奥さん」「奥方」「奥様」は皆、尊敬語である。元は「奥の間に住む」という意味から来た言葉。「奥の間」は家の奥で、ある意味、特別な場所でもあるのだろうけれど、奥から表に出て来られない意味にもとることができる。奥にいるだけではなく、女性も表に出て、つまり「表さん」になることを望んでいいはずなのだ。

公の場に同伴と言われよしや歌子は怯むが、千代は好奇心に溢れた表情をしている。「およしちゃん がんばんべえ。おなごの私たちが大事な仕事をいただいたんだ」と。もっと早くにこういう時代が来ていたら千代も社会に出て栄一たちと肩を並べて活躍していたかもしれない。ようやく千代が家庭の中だけでなく外の世界でも人の役に立つことができる時代がやって来た。第35回は、女性たちが脱“「奥」さん”。表に出て活躍しそうだ。

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