活躍目覚ましい栄一は、元旗本屋敷である立派な邸宅に暮らし始める。ここで重要なのは千代(橋本愛)が娘うた(山崎千聖)に「おごってはなりませんよ」とたしなめるところである。栄一の活躍を痛快に描くだけではなく、たとえ地位があがって生活が豊かになっても心は百姓を生業にしてきた庶民の生活を忘れないことを強調しているのである。
それは後に栄一の父・市郎右衛門(小林薫)とゑい(和久井映見)が血洗島から訪ねてきた時、市郎右衛門が栄一と千代を「殿様」「奥様」と呼んでいやに腰低くするところにも表れている。当然、栄一も千代もそんなふうに呼ばれることを嫌がる。市郎右衛門は当然わざとやっていてそれには息子が立派になったうれしさもあるだろうが栄一たちに変わらないでほしいという逆説的な想いもあるのかもしれないと感じた。市郎右衛門は立派なお屋敷に泊まることもしない。あんな贅沢な布団で寝られるか、分不相応なものはいっさい身につけたくないと言って、美しい月夜を見ながら帰っていく。ゑいのためにも一回くらいいい布団で寝て帰っても良さそうなものだけれど、息子の威光を笠に着ることなく誠実に生きる姿は胸を打った。
欲望は際限なく大きくなっていくもので、だからこそ奪い合いが起こり争いは尽きることがない。武士の時代は奪い合いである戦が続いていた。新政府も旧幕府との権力争いに勝って今がある。栄一が養蚕の知識と経験のある尾高惇忠(田辺誠一)に富岡製糸場を任せたいと思ったとき、惇忠は平九郎(岡田健史)が新政府に殺されたことを未だ恨んでいて受け入れない。だが栄一は「俺たちだって異人を焼き殺そうとしたじゃねえか」と冷静で、「もうサムライの世はごめんだ。壊すんじゃねえ作るんだよ」「平九郎に顔向けできなくてもできることをする。己の手でこの国を救えるならなんだってやる」と後には引けない強い決意を語る。
今の栄一は、殺し合わず奪い合わず、日本を外国に負けない進歩的な国にしてみんなが幸せになるために励もうとしている。その過程で自身が豊かになっても奢ることなく庶民目線を失わない。とても道徳的な内容だ。それが前述したようにテンポがよく、栄一も大隈重信(大倉孝二)も市郎右衛門も、郵便の父になりそびれたことを嘆く前島密もユーモアを忘れないのでけっして堅苦しく感じない。バランスがいい。
郵便制度がはじまるとすぐに栄一が慶喜(草なぎ剛)に手紙を送り、それをうれしそうに読む慶喜の表情にもあたたかいものがあった。栄一の功績と時代が急速に変わっていくところを描きながら叙事的にならず情感ある物語になっているからこそ『青天を衝け』は多くの人を魅了してやまないのだろう。
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