二宮尊徳(にのみやそんとく)は江戸時代後期に裕福な家系に生まれ、災害により借財を抱えましたが、家計の立て直しを図り、徐々に再建の実行者として評価された人物です。報徳思想を広め、財政や農村の再建にも尽力しました。

この記事では、二宮尊徳が何をした人かや名言・お札についてなどくわしく解説します。

  • 二宮尊徳とは

    二宮尊徳について解説します

二宮尊徳(にのみやそんとく)とは

二宮尊徳は、江戸時代後期の農政家・思想家です。比較的裕福な農家に生まれたため、教育にも恵まれて育ちます。しかし、異常天候による川の氾濫で家の田畑が荒廃してしまい、復旧のため借金を抱えます。若くして働くことになった二宮尊徳は、労働しながらも勉強は欠かしませんでした。

一家は貧困を極め、両親は亡くなる悲劇に見舞われてしまいます。しかしその後、地道な努力を重ねて家政の再建を行ったため、二宮尊徳はのちに財政や農村再建の専門家としても有名になっていきました。

江戸時代後期の農政家・思想家

二宮尊徳は農村復興政策である報徳仕法を指導した農政家であり、報徳思想を唱えた思想家でもあります。江戸時代後期である1787年に相模国足柄上郡栢山村(神奈川県小田原市)で生まれ、1856年に下野国今市村(栃木県日光市)で病に倒れるまで、農村の再建に尽くしました。

現在は、出生地である神奈川県小田原市にある報徳二宮神社に祀られています。また、全国各地の主に小学校などに二宮尊徳がもととなった「二宮金次郎像」が建てられており、見たことがある方も多いでしょう。

二宮金次郎(にのみやきんじろう)が本名

二宮尊徳の本名は二宮金次郎であり、生前に二宮尊徳と名乗り始めました。二宮金次郎像により、金次郎名義が一般的には定着しています。

二宮金次郎像の薪を背負って歩きながら本を読む姿が示すように、二宮尊徳は勤勉な模範として象徴される人物です。そのため、二宮金次郎像の多くは家の再建をしながら勉学に励む姿をしています。

家政の再建を行う

裕福な家庭から一家解散を経験した二宮尊徳は、伯父の万兵衛の家に預けられます。二宮尊徳は逆境に負けず農業に励み、空き地に稲の捨て苗を植え、収穫して収益を増やしました。

地道に倹約を重ねて、余剰分で再生産を行っていくと、最終的には実家の田畑を買い戻して家政の再建に成功したのです。

  • 二宮尊徳とは

    二宮尊徳は江戸時代後期の農政家・思想家です

二宮尊徳は何をした人? 歴史・思想を紹介

二宮尊徳は勤勉な人物で、実家の立て直しから始まり再建の功績が評判となり、さまざまな場所で再建を任されるようになります。

五常講の発案

五常講とは、集団で連帯保証を持つ金融制度であり互助組織です。互いに信頼してお金を貸し借りする、いわゆる信用組合の仕組みを発案したのが二宮尊徳でした。

五常とは儒教で人が守るべきとされる真理で、仁、義、礼、智、信を表します。五常講は、五常を守る道徳心を担保する仕組みとなっています。

家政の再建を行った二宮尊徳は、まず身内の立て直しを担うようになります。その評判を聞いた小田原藩の家老の服部家は、二宮尊徳に再建の依頼をしました。そして、五常講を活用して、さまざまな家政の再建を成功させていくのです。

財政再建を任される

家政の再建と五常講の発案など優れた才能を発揮した二宮尊徳は、小田原藩主の大久保忠真(おおくぼただざね)から、財政難に苦しむ下野国桜町領(栃木県真岡市)の財政再建を任されます。

桜町領に移住して再建に力を注いだ二宮尊徳は、苦節ありましたが、10年掛けて再建を成し遂げたのです。この成功が知れ渡ると、さらに依頼が集まるようになりました。

農村復興に尽力する

財政再建まで依頼されるようになった二宮尊徳のもとには、農村復興の仕事も舞い込むようになりました。二宮尊徳は報徳仕法にもとづき、農村復興や財政再建を行います。

報徳仕法とは、根本にある誠実を意味する「至誠」を実践するために、「勤労」、「分度」、「推譲」の3つが重要であるとする原理です。懸命に働き、自身の経済状況に合った生活を営み、貯蓄を行って他者のために一部を譲ることで、再建が果たされると二宮尊徳は信じていました。

特に経済状況に応じた生活をする「分度」により節約を行い、余剰分を再生産にあてる「推譲」は農村再建には重要です。二宮尊徳は、身をもって体感したことを政策として体現したのです。

報徳思想を広める

二宮尊徳が財政や農村の再建に使った報徳仕法は、報徳思想がもとになっています。報徳思想とは、人は天と地、人の徳に報いるため、徳を実践していくという二宮尊徳の根本的な思想です。

報徳仕法のように道徳だけではなく、経済との調和をもって社会に還元することで、豊に生活していくための知恵が報徳思想です。まさに貧しい経験をしながら、家政の再建に成功した二宮尊徳が実践してきたことであり、道徳と経済の調和により、苦しい状況を立て直すことができました。

二宮尊徳は晩年まで復興や飢餓の救済に尽力し、報徳仕法の実践を行った地域は600以上といわれています。

  • 二宮尊徳の歴史

    二宮尊徳は財政再建や農村復興において偉大な功績を残しました

二宮尊徳の名言

思想家でもあり、逆境に屈しなかった二宮尊徳はさまざまな名言を残しています。たとえば、こんな言葉があります。

道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。

これは、経済は道徳との調和が重要であることを表した、二宮尊徳の力強い決意が読み取れる名言です。自身の家の復興に始まり、数々の財政や農村を再建してきた二宮尊徳は、思想や方法といった道徳を大事にしながらも、必ず実行に移してきました。

二宮尊徳をもとにした二宮金次郎像や記念館が存在

二宮尊徳は、その勤勉・倹約の姿勢を見習おうと二宮金次郎像が全国各地に建てられ、記念館が設置されるなど、今でも広く知れ渡る存在です。二宮尊徳の思想も報徳思想として、後世に受け継がれています。

二宮金次郎像として各地に置かれる

二宮尊徳は、全国的には二宮金次郎として知られています。二宮金次郎の像は多くの小学校に設置されており、何らかのかたちで見たことがあるという方もいうことでしょう。

薪を背負って歩きながら読書をしている姿が多いですが、薪以外のものを背負っているものや上半身のみの像もあります。また最近では児童の交通安全に配慮して座って本を読む姿の像もあるなど、場所によってさまざまです。

二宮尊徳資料館や尊徳記念館が作られる

二宮尊徳の偉業や思想を後世に伝えるため、記念館や資料館が作られています。出生地の神奈川県小田原市にある「小田原市尊徳記念館」は、二宮尊徳にまつわる遺品や資料、ジオラマの展示がされているので気になる方は訪れてみてはいかがでしょうか。

また二宮尊徳の報徳仕法による、財政再建が注目を浴びることとなった舞台である栃木県真岡市にあるのが「二宮尊徳資料館」です。ここでは二宮尊徳がどのように桜町領を再建したのかがわかる資料や展示を行っています。

報徳思想が広まる

二宮尊徳は晩年も復興指導を続けたことにより、報徳仕法の根本である報徳思想も後世に広まっていきました。万物には全て良い部分があり、その徳を活用する思想は本人や弟子、子孫によって広まっていくこととなります。

この報徳思想は、渋沢栄一や豊田佐吉、松下幸之助など、多くの実業家にも影響を与えたといわれています。江戸末期より、全国各地に報徳社が生まれており、報徳思想の普及活動が行われていたようです。

二宮尊徳は一円券に使われた

道徳の模範的な人物として考えられている二宮尊徳は、戦後に紙幣の肖像として採用されています。一円券では、鶏や麦、稲などの農業に関するものと一緒に描かれました。

  • 二宮尊徳の死後

    二宮尊徳の二宮金次郎像は全国各地に置かれています

二宮尊徳の生涯を描いた映画

二宮尊徳の生涯を描いた作品としては、2019年に公開された映画「二宮金次郎」があります。二宮金次郎役を演じたのは俳優の合田雅吏さん。二宮金次郎の妻・なみ役は女優の田中美里さんがつとめています。そのほかにも渡辺いっけいさんや石丸謙二郎さん、柳沢慎吾さんなど有名な俳優さんが多く出演している作品です。

映像で見ることで、よりわかりやすく二宮尊徳の生涯を学べるかもしれません。本記事を通して二宮尊徳の生涯に興味を持ったという方は、ぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。

二宮尊徳は再建の実行者として最後まで尽くした

二宮尊徳は、江戸時代後期の農政家・思想家です。裕福な農家に生まれながら、災害による田畑の荒廃と両親の死去により、一家離散の過去を持ちます。しかし、努力を怠らず勤勉に努めたことで、見事家政の再建を果たし、財政や農村再建の専門家としての道を歩み始めます。

二宮尊徳は農村の経済を助ける五常講を制度化し、災害や飢饉で疲弊していた各地へ再建の手助けを粘り強く行う功績を立てました。その思想は報徳思想として、現代でも受け継がれており、各地に模範的な人物として二宮金次郎像が建てられています。