「やった!」満面の笑みを浮かべながらの涙。大会6日目の8月29日、東京アクアティクセンターで行われた400メートル自由形で、マッケンジー・コーンはパラリンピック連覇を果たした。

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彼女は、いつも笑顔で前を向く。カラダが軋んで痛くても、どんなに辛いことがあっても、悲しみに暮れた後にも。そして言う。「水と出会えたことに感謝している。水が私に自由をくれた」と。

■「ベストは尽くした」

「スマイルヒロイン」マッケンジー・コーン(米国)。
彼女がパラアスリートとして広く知られるようになったのは5年前のリオ・デ・ジャネイロ大会。<運動機能障がい7>のクラスで3つの金メダルを獲得したからだ。
水泳女子・自由形で50メートル、100メートル、400メートルを制した。

今回の東京大会でマッケンジーは、8月29日から9月3日までの6日間に5種目に挑み、いずれも決勝に進出。そして、400メートル自由形で「金」、100メートル自由形で「銀」と2つのメダルを獲得している。
だが、コンディションは、あまりよくなかったようだ。
400メートル自由形のタイムは、5分05秒84。目標としていた「4分台」は達成できなかった。それでも2大会連続の金メダル獲得。
レース後に彼女は笑顔で言った。
「いまのコンディションの中でベストは尽くした。その結果、金メダルが獲れたことは嬉しい」と。

■母テレサの決意

1994年6月、米国ジョージア州で、足の骨が折れた状態でマッケンジーは生まれた。 母テレサ・コーンは、医師からこう告げられる。
「歩くことは一生できないでしょう。長くは生きられないかもしれません」
骨形成不全症─。
生まれつき骨がもろく、骨折しやすい難病。発生頻度は2万人に1人。日常生活の動きにおいても骨折することがあり、また骨が変形しているためにカラダの成長にも支障が生じる。マッケンジーの現在の身長は130センチだ。

幼少期に大手術をした。両足の腰から膝にかけての部分に金属の棒を埋め込んだ。強化しておかないと足でカラダを支えられないからだ。それでも十分ではなかった。 彼女は50回以上の骨折を経験し、30回以上も足にメスを入れた。

そんなマッケンジーをテレサは必死に守った。
誰にも娘に触れさせなかった。外で遊ばせもしない。硝子のショーケースに大切にしまうようにして育てた。常に骨が折れることを恐れていたからだ。ただ、将来に対する不安は拭えなかった。
(このままでいいのだろうか。このままでは娘の自由が保たれない、自立もできない)
日々、そう悩み続けていた。

そんなある日、光が差し込む。
マッケンジー、5歳の時のことだ。アクアセラピーのためにテレサはマッケンジーを連れてプールを訪れていた。周囲では多くの子どもたちが楽しそうに泳いでいる。
突然、マッケンジーが言った。
「泳ぎたい、私にもできる!」
テレサは驚き、そして思った。
(そんなことをしたら、また骨折してしまう)と。
「泳ぎたい、泳ぎたい」とマッケンジーは何度も繰り返す。
テレサは娘に言った。
「本気ならライフジャケットを脱ぎなさい。甘く考えちゃダメ、途中でやめてもダメ。やれる?」
マッケンジーは笑顔でうなずく。
テレサは意を決し、大切に抱えていた娘を水の中に落とす。直後に目を疑い、そして歓喜した。マッケンジーが楽しそうに泳いだのだ。
この瞬間、彼女は硝子のショーケースから飛び出し、自由を得た。翌日から毎日、プールに通い泳ぐようになる。健常者に交じり本格的な練習にも取り組む。そして12年後の2012年、17歳で米国代表としてパラリンピック・ロンドン大会出場を果たした。

■いつ競技人生が終わっても

「水が私に自由をくれた。挑戦することの楽しさも水の中で知った」
大きな瞳を輝かせ、そう笑顔で振り返る彼女だが、苦難は続いた。難病を克服する術はなくロンドン大会に辿り着くまでの間にも幾度も骨折に見舞われた。歩くと足が痛む。そのため車いすで動く生活が続く。

ロンドン大会では400メートル自由形に出場し6位に終わり、メダルには届かず。 負けず嫌いの彼女は悔しかった。
その後、親元を離れメリーランド州ボルチモアにあるロヨラ大学に進学し水泳部に所属、 ブライアン・レフラーから指導を受ける。トレーニングは苛烈を極めたがマッケンジーは果敢に挑み続け、リオ・デ・ジャネイロ大会で3冠の快挙を達成したのだ。

人と話す時、マッケンジーは常に笑顔だ。そのため周囲は忘れがちだが、いまも彼女は難病と闘い続けている。
医師でもある父親のマーク・コーンは言う。
「ゆっくりとだが年齢を重ねるごとに病状は悪化している。肩の動きが悪くなったことが心配だ」
実際に近年、肩の骨が折れるようになった。そのため泳ぐのに不可欠な上半身のウェイトトレーニングを行うことが困難になっている。軽めのダンベルしか持てなくなったため、水中で筋力を鍛えるやり方に変えた。

いつ競技人生が終わっても不思議ではない状況なのだ。
「だから時間を大切にしている。後戻りはできないから。骨折は、これからも続くと思う。
いいことではないけど、これが私の普通なの。その中で、どこまでやれるか自分を試したい」
そう話す彼女のもう一つの夢は、弁護士になること。弱者を守り、多様性が認められる社会を実現したいと言い、そのための勉強にも勤しむ。

水の中で輝きを得たマッケンジーは文武両道で、進行中の難病にも負けずに笑顔で闘い抜こうとしている。
「スマイルヒロイン」は、3年後のパリで3連覇を目指す─。

文/近藤隆夫