「お笑いは一番好きな仕事で楽しいけど、天職だと思っていない。そんな才能もあると思えないですしね」。そう笑って話すのは、お笑いコンビ・ドランクドラゴンの塚地武雅、49歳。芸人としても、俳優としても、タレントとしても、間違いなく“売れっ子”である塚地だが「この仕事を天職だと思う?」と聞くと、冒頭の答えが返ってきた。ドランクドラゴンは1996年に結成され、今年で25周年。これまでの軌跡、転機となった出来事、そして50歳を前に叶えたい野望について話を聞いた。

  • ドランクドラゴンの塚地武雅

塚地は大学卒業後に仏壇メーカーに就職するも、お笑いの道を諦めきれず会社を半年で辞め、人力舎のお笑い養成所に入学。そこで相方の鈴木拓と出会い、コンビを結成する。

「サラリーマンを続けていれば、お給料いただけるし、仕事はちゃんとある。人生としては問題なかった。でも、もし高校を卒業していきなりお笑いの養成所に入っていたら『お笑い以外の道もあったのでは?』と思ってしまっていたので結果的によかった」と振り返る。

「お笑いの道で生きていこう」と固く決意したのは養成所内でのできごと。「養成所入って1年後に残れるかどうかを決めるオーディションがあって、ステージでネタを披露して受かったら事務所に所属できるっていう。で、そのオーディションで残れた。そのとき『コレや!』って思ったんです。最悪売れなくていいと思えたくらい、舞台に立ってウケた感じが心地よくて、それが自分の人生でほしいものだとわかった。そう僕はこれがしたかったんだと心の底から思えた」。

芸人としての目標は『夢で逢えたら』のようなコント番組に出演すること。『夢で逢えたら』は1980年代後半から90年代前半にフジテレビ系で放送された伝説のお笑い番組で、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子らそうそうたるメンバーがお茶の間の爆笑をさらっていった。「『なんてかっこいいんだ!』と思ったんです。力強さとパワーがあって、こういう番組に出るのが目標の1つだった。この番組にはほんまに衝撃を受けましたね」。そんな塚地にチャンスが巡ってくる。

お笑い界には“8年周期説”というものがある。ビートたけしの8つ下が明石家さんま。さんまの8つ下がダウンタウン、ダウンタウンの8つ下がナインティナイン…と8年ごとにスターが誕生していることを基にしているのだが、その8年周期説をベースにナイナイの次のビッグスターを発掘しようと1992年に始まったのがフジテレビ系のオーディション番組『新しい波』シリーズ。塚地は2000年放送の第2弾『新しい波8』に参加することになるのだが……。

「そのオーディション、最初は参加させてもらえなかった。僕は年齢いってからこの業界に入っていて、ナイナイさんやよゐこさんと同い年。8年後のスターを探すコンセプトの番組やから、同い年の僕はオーディションに行かせてもらえなかった。事務所の人がオーディションを断っちゃって」。落胆する中、浅草の寄席・木馬亭でライブを開催。来場したお客はわずか3人だったが、「お客さんの一人が番組(新しい波8)のディレクターだった」。そのディレクターがドランクドラゴンのネタを気に入り、『新しい波8』に呼ぶ。そして無事に参加できたドランクドラゴンは、『新しい波8』から選抜されたキングコング、ロバート、北陽、インパルスとともに『はねるのトびら』をスタートさせた。

ドランクドラゴンの名は『はねるのトびら』で一気に上昇。ブレイクを果たす。当時について「深夜にユニットもののお笑い番組をやらせてもらって、ほんまについている。『新しい波8』のオーディションが転機になったオーディションですね。それがなかったら今、この場にはいないです」としみじみだ。