17日間に及んだ東京五輪が8月8日に閉幕した。緊急事態宣言下での開催、そして、会場は無観客。アスリートたちの熱き闘いをテレビの前で見守った人たちの思いも、さまざまだったであろう。

  • 8月8日夜、無観客の国立競技場で閉会式が行われ、東京五輪は終わった。(写真:ロイター/アフロ)

日本が獲得したメダルの数は史上最多の58(金27、銀14、銅17)。連日、歓喜の瞬間が訪れた。しかし、その陰で勝負に敗れ涙にくれた者もいる。強く心に残るのは男子400mリレーでの、つながらなかった「攻めのバトンパス」─。

■「祭典」ではなく「競技会」

閉会式を観ていても、「祭りが終わる」という気持ちにはならなかった。
異形の五輪─。
観客のいない会場に熱狂は生じない。東京五輪は、「祭典」ではなく「競技会」だった。
開催すべきか、中止すべきか、再延期はできるのか。
さまざまな声が渦巻く中で開会した東京五輪は、8月8日に全日程を終えた。

「ほら、何だかんだ言っても始まればみんな喜ぶんだよ。中止だ、と叫んでいた人たちもテレビの前で夢中になってたじゃないか」
そんな言葉に頷くつもりはない。
ただ、「祭典」ではなく「競技会」であったとしても、東京五輪が開催されて良かったと思う。それはきっと、35年以上にわたりスポーツの現場を取材し、選手たちと接する中で彼らに寄り添う気持ちが私の中に生じているからだ。

野球、サッカー、テニス、ゴルフといった人気スポーツの選手たちは、たとえ五輪が中止になったとしても、それほどのダメージはないだろう。五輪以上に目指すべき舞台があるのだから。
しかし、4年に一度の五輪でだけ注目を集め輝けるスポーツもある。そのような競技でトップを目指し必死に闘ってきた選手たちから目標を奪ってほしくなかった。
<勝ち負けはともかく、勝負の場に彼らが立てたことにホッとした>というのが、いまの私の正直な気持ちだ。

「このような状況(コロナ禍)の中で開催して頂いたことに感謝します」
試合後にインタビューを受ける日本人選手の第一声は、異口同音。
(そこは省略していいよ。みんなわかっているから)
そう言ってあげたかった。

■バトンミスは攻めた結果

17日間にわたり、9都道府県の42会場で33競技339種目が実施された。
この中で、もっとも印象に残ったシーンは何だったか?

日本が史上最多27の金メダルを獲得した今大会。いくつもの歓喜があったが、私の中に強く残ったのは、惨敗を喫したシーンである。
大会15日目(8月6日)の夜、男子400mリレー決勝。

今回、陸上・男子短距離は、まったくいいところがなかった。
ここ数年で100mを9秒台で走る選手が5人も現れた。
(もしかすると誰かが男子100m決勝のスタートラインに立つかもしれない)
地の利も考え併せ、競技開始前には期待感が漂った。

ところが、多田修平、山縣亮太、小池祐貴のいずれもが予選で敗退。準決勝にさえ進めなかった。200mでもサニブラウン・アブデルハキーム、飯塚翔太、山下潤の3選手が、すべて予選で散った。敗因は、ピーキングの失敗だろう。

そんな中で迎えたリレーの決勝。前日の予選もタイムはよくなかった。1組で3位に入ったことで予選通過となったが、タイムは38秒16。2組6位で敗退した米国(38秒10)よりも劣っていたのだ。
絶不調。この状態でメダルを獲得するにはどうすればよいか?
日本勢は考えた。そして、多田、山縣、桐生祥秀、小池の4人は、リスク覚悟で「攻めのバトンパス」敢行を決めたのである。

バトンを待つ走者はレーン上にマークを置く。その地点を走者が通過した時に次の走者は走り出すのだ。あの日、第2走者の山縣は、マークをいつもより遠くに置いた。減速を最小限に抑え、スピードを保ったままでの「攻めのバトンパス」に挑むためだ。
成功すればタイムを縮められるが、失敗する確率は高まる。それでもメダル獲得のためには、伸るか反るかの勝負に出る必要があった。

結果、多田から山縣にバトンはつながらず失敗。日本は途中棄権、記録なしに終わった。 だが、これは責められない。作戦は間違っていない。不調の中で勝機を見出すために勝負した結果なのだから。安全なバトンパスでつなぎ、7着、8着に終わるよりも良かったと思う。 レース後、第3走者だった桐生祥秀は、こう口にした。
「攻めた結果。(メダルを獲るためには)あれくらいのバトンパスをやる必要があった」
アンカーを走るはずだった小池も言った。
「失敗した。でも、だから次から守りに入るんじゃなくて、これからも攻めていきたい。そして、いつか金メダルを獲れるように頑張りたい」

  • 男子400mリレー決勝、日本の第一走者・多田修平が持つバトンは、第2走者・山縣亮太の手に届かず。(写真:スポニチ/アフロ)

どんな状況でも勝負を諦めない。僅かでも可能性があればそれに賭ける。たとえ、ぶざまな姿を晒すことになったとしても─。
結果はぶざまだったが、その姿勢は尊く感じられ私の心に強く残った。

次の五輪は、3年後のパリだ。
それまでに世界中が、平穏な日常生活を取り戻していることを切に願う。
「競技会」ではなく「祭典」であってこそ五輪だから─。

文/近藤隆夫