五輪最終日の8月8日、静岡・伊豆ベロドロームでの「男子ケイリン」で期待された脇本雄太と新田祐大は決勝まで勝ち上がることができなかった。自転車競技3大会連続「日本勢メダルゼロ」の危機、暗いムードが漂う。

  • 梶原悠未、自転車でメダル獲得の快挙! それを支えた「母」の存在と「未来日記」─。

    最終のポイントレースで粘り切り銀メダルを獲得した梶原悠未。自転車を高々と掲げスタンドからの祝福に応えた。(写真:望月秀太郎/アフロ)

だが、その直後に快挙が達成される。自転車競技・女子初の日本人メダリストが誕生したのだ。オムニアムで筑波大大学院生の梶原悠未が、「銀」を獲得。そのメダルは、母・有里さんとともに勝ち取ったものだった。

■落車しても2位を死守

「うわっ!」「エーッ!」
有観客で行われた自転車競技トラック種目。伊豆ベロドロームのスタンドから悲鳴が上がったのは、女子オムニアム・ポイントレースが残り9周となった時だった。前を走るキルステン・ウィルト(オランダ)の自転車後輪に梶原悠未の前輪が接触。バランスを崩した梶原が落車したのだ。

この時点で、梶原は総合2位。2ポイント差で米国のジェニファー・バレンテを追っていた。 「このまま棄権か」と心配されたが、梶原は起き上がり、再び自転車に跨って戦列復帰。 何とか最後まで走り抜き2位を死守、銀メダルを獲得した。

「オムニアム」
聞き慣れない名称だと思う。簡単に説明しておこう。
オムニアムは、「スクラッチ」「テンポレース」「エリミネーション」「ポイントレース」の4種目のレースで構成されている。

1.スクラッチ/トラック30周(7.5キロ)を走り最終順位を競う。
2.テンポレース/トラック30周(7.5キロ)を走り周回ごとの先頭通過で得られるポイント数を競う。
3.エリミネーション/トラックを周回するごとに最下位の選手が脱落、最終的に残った選手が勝者となる。
4.ポイントレース/トラック80周(20キロ)を走り、10周ごとの通過順位で得られるポイント数を競う。
(距離はすべて女子の規定、レースには全選手が同時参加)

この4レースを3~4時間で、すべて行うのだ。陸上の「十種競技」並みのハードな種目を梶原は闘い抜き、以下の成績を収めた。
<スクラッチ2位>→<テンポレース5位・総合3位>→<エリミネーション2位・総合2位>→<ポイントレース10位・総合2位>。合計110ポイントを獲得。
優勝は、バレンテ(124ポイント)。3位のウィルト(108ポイント)との差は僅かだった。

  • ポイントレース残り9周の時点で、梶原がまさかの落車。スタンドは騒然となった。(写真:ロイター/アフロ)

■母との二人三脚

梶原は1歳になる頃に水泳をはじめ、中学3年生まで続けた。
その間に、自由形短距離で『JOCジュニアオリンピック』に出場したこともある。
筑波大坂戸高校入学後、周囲から勧められ自転車競技に転向。地道な練習を積み、頭角を顕す。インターハイで活躍し、筑波大学進学後は、ナショナルチームに定着。
オムニアムにおいて『アジア選手権』4連覇、『ワールドカップ』でも勝利。そして昨年の『世界選手権』優勝。梶原は、155センチと小柄なカラダで世界の頂点に立ったのである。東京五輪でもメダルが期待されていた。

「応援してくれる声がずっと聞こえて、それが背中を押してくれました。毎日、母と一緒に吐くくらいの激しいトレーニングを続けてきました。その結果、メダルを手にできたことは嬉しい」
表彰式後、彼女はそう言った。

常に母との二人三脚。そして以前には、こうも話していた。
「いまの私があるのは母のおかげです。母は私を起きる前から観察してくれて、練習から食事管理、肉体・メンタルのケアに至るまで、すべての面でサポートしてくれます。母がいてくれるから頑張れる」
だからレースを終えた後も、真っ先にスタンドにいる母に駆け寄って言った。
「銀メダルでごめんなさい」
母・有里さんは「おめでとう!」と笑顔で返した。

■書き続けた「未来日記」

梶原が、世界のトップレーサーに成長した理由は、ほかにもある。
「研究熱心さ」と「計画性」だ。

オムニアムは、単に脚力が優っていれば勝てるという種目ではない。
仕掛けるタイミング、位置取り、スタミナ配分など、勝つためにはさまざまな要素が求められる。レースは、「心理戦」「頭脳戦」でもあるのだ。
梶原は、「エリミネーションが苦手だ」と感じた時期があった。それを克服するために、このレースについて徹底的に研究した。海外のライバル選手の走り方を分析し心理までも考察、自分がどのような走りをすればよいのかを導き出し大学に提出する卒業論文としてまとめた。この「研究熱心さ」が、銀メダル獲得の大きな要因、「エリミネーション2位」につながった。

また、彼女は「未来日記」と毎日、向き合っていた。
「大学入学以降、トレーニングスケジュールは自分で管理するようになりました。そんな時、いかに時間を有効活用するか、モチベーションを維持するかを考え『未来日記』を思いついたんです。
この『未来日記』には、30日先までの授業、練習時間、練習目標などのスケジュールを書き込みます。もちろん、その通りに進められるとは限りませんから、毎日向き合って修正もします。これを続けることで、強い気持ちを持って日々の練習に取り組むことができました。
それだけではなく、日記には目標も書き、さらには目標を達成した時の自分に対してのメッセージも書き込んでいました」

「未来日記」を用いて、梶原は上手にモチベーションを維持しハードな練習を続けた。また、この発想は母によるものだと言う。
「私の家では、お正月にお年玉をもらった後、これから1年間の抱負を家族の前で宣言する習慣がありました。目標を口にすると、やる気が起きます。そのことも母に教えてもらいました。これが『未来日記』につながったんです」

レース後、「メダルが獲れて嬉しい」と言いながらも梶原の表情には悔しさも滲んでいた。目指していたのは優勝─。
だから、その思いもキッパリと口にしている。
「パリで金メダルを目指します」
母と娘の二人三脚は続く。彼女のさらなる進化が楽しみだ。

文/近藤隆夫