――ニューヨークでの2年半はどんな経験になりましたか?

早いようで長いような、コロナの影響でいろんなものが変わったり、予定がずれたりしましたが、それも含めて壮絶な期間でした。

――ニューヨークで学べるものは大きいですか?

日本で学べないものは大いにあると思います。いろんな人種の価値観、性格、習慣を垣間見られるので、ものすごいスケールの人間観察になる。驚きの連続ですし、常に刺激を受けている感じになります。

――たくさんの人と触れ合うことで考え方など変わりましたか?

自分の常識は非常に限定的だと認識させられました。自分が当たり前だと思っていることは、ほかの人にとっては当たり前に当たり前じゃない。また、思っていることは言葉にしなくてもある程度伝わるだろうというのがまったく通用しないので、伝わるだろうと思ってコミュニケーションをおざなりにしていた癖がなくなりました。

――日本人は、なんとなくお互いの思いをくみ取ろうとする傾向がありますよね。

そうですね。コミュニケーションをさぼるというか、省エネ状態になっていて、ちゃんと自己主張をしないと通用しない国に行った時に足りない。そのことを痛感し、しっかり伝わるようにコミュニケーションをとらなければいけないんだなと、意識が変わりました。

――コミュニケーションに必要な英語はどのように習得されましたか?

とにかく勉強するしかなくて、語学学校に通い、そこから演技の学校に行くというのをひたすら続ける学生生活でした。

――最初の英語のレベルはどれくらいだったのでしょうか。

小さいときに海外に住んでいたこともありましたし、少ししゃべれると思っていたのですが、全く通じませんでした。通じないと「は?」という顔をされるので、それがつらくて早く伝わるようになりたいと思い、必死に勉強を頑張りました。

――どれくらいでコミュニケーションがとれるようになりましたか?

1年くらい経って少しずつ伝わるようになり、少しずつわかるようになりました。それまでは人と絡んでいる感じがしなくて本当につらかったです。

――コミュニケーションとれない段階から演技の学校にも通われていたんですよね?

行きました。あのときはわかっているふりという演技をしました(笑)。言語の学校ではなく演技の学校ですから、わかっていない顔をずっとしているのも失礼だなと思って。

――言葉を理解できるようになってから、演技の授業をようやく理解できるように?

こんな大事なことを言っていたんだなと、やっと気づくことができ、今まですみませんでしたって思いました(笑)

――演技に関して学んだことを教えてください。

よりミニマムに、その場所にその人間として立つことの大切さを痛感しました。経験を積めば積むほど、いろんなテクニックを足したくなるものですが、そういった表面的なことではなく、役の感情に近づくことが大事なんだなと。

――演技に対する意識の変化があってから『酒癖50』の撮影に臨まれ、現場でも違いはありましたか?

演技をしていて楽しくなりました。表面的な部分で考えることが減ったので、より演技に集中できる。役の気持ちにどっぷり浸って演じることができて楽しかったです。

――役の気持ちに浸って、そこで出てくるリアルな表情や行動を待つわけですね。

そうですね。以前はそれがいいと思っていても怖くてできなかったのですが、委ねる勇気が出ました。アメリカに行って、これが演技なのだと学びました。

――俳優として大きな変化ですね。

かなり大きな変化です。この感覚は今後の役者としての礎になるだろうなという気がしています。今回のドラマでそういう演技の取り組み方をして、自分の中で非常にしっくりきたので、僕はこれからこういうスタイルを大事にしていくと思います。