3月24日に、53歳の若さで他界した「平成の三四郎」古賀稔彦。バルセロナ五輪で金メダリストに輝くなど一世を風靡した彼に、背負い投げ(一本背負い投げ)を教え込んだのは2歳上の兄・元博だった。

  • “平成の三四郎”古賀稔彦と実兄・元博の死闘__36年前に実現していた「兄弟対決」を制したのは?

    背負い投げを武器に五輪で金メダルを獲得するなど柔道界で一時代を築いた古賀稔彦。(2005年撮影/真崎貴夫)

そして宿命の「兄弟対決」の刻を迎える。講道館大道場に緊張が走った。稔彦が、心を鬼にして兄に襲いかかる─。

■1985年9月29日・講道館

「あの試合が大きなターニングポイントになったのは確かです。子どもの頃、私は喘息もあって病弱で何をやっても兄には敵いませんでした。それに、私に背負い投げを教え込んでくれたのも兄です。そんな兄との試合は生涯忘れることはできません」

古賀稔彦は、生前にそう話していた。

1985年9月29日、日曜日。
この日、日本柔道界は明るいニュースに沸き返っていた。 韓国・ソウルで開かれていた『世界選手権』で2階級を制したからだ。60キロ級の細川伸二、そして95キロ超級で正木嘉美が優勝を果たし、胸に金メダルを輝かせたのだ。

時を同じくして雨天の東京では、ひっそりと柔道の予選大会が行われていた。
『全日本新人体重別選手権・東京予選』。場所は、講道館大道場。そこに、当時、世田谷学園高校3年生の古賀の姿があった。

この大会の模様は、テレビ、新聞などでは一切報じられなかった。それどころか柔道専門誌『近代柔道』にも掲載されていない。そんな、ひっそりと開かれた大会で後に「平成の三四郎」と称されることになる古賀稔彦は覚醒の刻を迎えたのだ。

71キロ級にエントリーした古賀は、大学生を相手に勝利を重ねる。
早稲田大学の伊藤茂、国士館大学の田畠義之に背負い投げを決めるなど、準決勝までの5試合すべてで一本勝ちを収めた。
そして迎えた決勝戦。対峙したのは当時、日本体育大学2年生の兄・古賀元博だった。

■厳しく怖かった兄の存在

古賀稔彦の述懐。
「最初、兄は私が(中学入学と同時に上京して)講道学舎に入ることに反対していました。
厳しい環境に耐えられないだろうと心配してくれたのでしょう。入ると実際に辛いことは多くありましたし、最初の頃は、大会に出ても勝てませんでした。
『古賀の兄貴は強いけど、弟は大したことないなぁ』
周囲からも、そんな風に見られていて、かなり落ち込んでいたんです。そんな状況を見かねた兄が私を指導してくれました。

当時、岡野功(1964東京五輪・中量級金メダリスト)先生が講道学舎で指導をされていて、兄はその岡野先生から背負い投げの奥義を学びました。それを私に教え込んでくれたんです」

兄の指導は、妥協を許さぬ厳しいものだった。

「ずっと怖かったです。必投の背負い投げを身につけるためには、いくつかの大切なポイントがあります。それらの動きを完璧に身につけなければなりません。たとえば、足の運び、相手を背負う直前の姿勢、ヒジの位置、引き手の使い方、腰のバネを用いるタイミング、目線の方向、そして一度技を仕掛けたら絶対に投げ切るという強い気持ち─。
これらの一つでも間違えていると、兄から怒鳴られました。
実際のところ、兄が怖くて、怒られないようにと来る日も来る日も何時間も、背負い投げの練習を続けていたんです。
もし兄が私に厳しく指導をしてくれなかったら、金メダルも獲得できなかったでしょうし、柔道人生も違ったものになっていたと思います」

背負い投げを身につけた古賀は、その後に見違えるように強くなった。
中学生の大会でも好成績を重ね、高校1年時に全国大会である『金鷲旗』で兄とともに活躍、2年時には中量級でインターハイも制したのだ。

  • これが古賀稔彦の一撃必投「一本背負い投げ」だ!(写真:毎日新聞社)

■苛烈なる古賀兄弟の絆

兄弟対決の実現に場内は沸いた。
とはいえ、ほとんどの者が兄・元博の勝利を疑っていなかった。
稔彦は、高校生チャンピオンではあるが、元博はこの時すでに国際大会に出場していた日本代表選手だ。格が違うと見られていた。
だが試合は、予想外の展開となる。
互いに得意技である背負い投げを繰り出そうとする一進一退の攻防。そして、二人はもつれ合うようにして青畳に倒れ込む。この直後、鋭い眼光を放つ鬼の形相の稔彦が兄の腕をひしいだ。
腕ひしぎ十字固めを決めたのである。

一本!

凄まじい兄弟の死闘、そしてまさかの結末に場内が静まり返る。
試合後に一人になった時、兄・元博は泣いた。
当時のことを、彼はこう振り返っている。
「あの時に泣いたのは、悔しかったからなのか、嬉しかったからなのか分からない。私は弟ではなく敵だと思って闘ったし、弟も同じ気持ちだったでしょう。そしてハッキリしたのは、稔彦が私を超えたということ。もう教えることは何もないと思いました」

この勝利を機に、稔彦は「古賀の弟」ではなくなった。古賀といえば、稔彦を指すようになったのである。
そして、古賀稔彦は世界に羽ばたく。

2005年に私は、現役引退後の古賀と柔道の技術書を編んだ。
『古賀稔彦の一本で勝つ柔道』(MCプレス)。

川崎市内にある彼の道場『古賀塾』で取材を重ねる中で、兄・元博の話は幾度も聞かされた。
「本当に怖かった。でも、あの日々があったからいまの自分があるんです」
華麗に世界を制した「背負い投げ」は、古賀兄弟の苛烈なる絆の結晶だったのである。

(次回に続く)

文/近藤隆夫