後半はドリームランドモノレールの廃線跡を探索してみよう。当時の地図を見ると、国鉄(当時)大船駅入口から柏尾川沿いを北へ300mほど行った場所にモノレールの乗り場があった。駅跡は現在、鎌倉自動車学校南側のマンションになっている。

大船駅を出発したモノレールは、すぐに柏尾川を渡る。対岸の丘陵の崖に沿って、しばらくの間、ちょうど鎌倉市と横浜市の市境上を走っていた。横浜市栄区側の「長尾台けやき公園」付近に行くと、丘の上に三菱電機の旧寮が見える。近所の人に話を聞いたところ、寮の建物のすぐ下あたりをモノレールが通過していたという。

  • モノレールが走っていた丘陵を長尾台側から見る。丘上に三菱電機の旧寮が見える

さて、今度は大船観音の南側から栄光学園方面に回り込み、丘の上にある玉縄5丁目の住宅地に行ってみる。この玉縄5丁目の住宅地の北辺は、両市の市境とほぼ一致している。つまりモノレールの廃線跡とも一致しているのだが、廃線跡は藪になっており、地形的なものを除けば、痕跡はまったく残っていなかった。

■横浜ドリームランドの跡地に向かって

モノレールは玉縄の丘陵上を駆け抜けた後、いったん谷を下り、県道312号(田谷藤沢線)をクロスする。場所は神奈中バスの面谷戸(おもてやと)バス停から50mほど藤沢寄りの交差点付近である。

  • 県道312号をクロス。左上に写っている高圧線の鉄塔は、いまも同じ場所に変わらず立っている(提供:日本モノレール協会)

  • 小雀浄水場脇から東側の斜面を見下ろす。中央奥の少し木が少ない場所から青屋根の家の脇を抜け、左手前方向に軌道が走っていた

  • 小雀信号所。写真には写っていないがホームもあった。右手には検修用の作業車も見える(提供 : 日本モノレール協会)

ここから再び丘を駆け上がるようにして、現在の「九つ井 山の上ギャラリー」の後背を通過。モノレールの軌道は小雀浄水場の北側へと抜けて西進し、小雀公園テニスコートの道路際を通過していた。その先の農地の一画に、上下線のすれ違い場所である小雀信号所があった。

信号所の先でモノレールは国道1号をクロスし、現在のパチンコ店の敷地を通過して、市民の森である「ウィトリッヒの森」の南西を巻くようにして宇田川沿いに出る。このあたりまで来ると、かつて「ホテルエンパイア」だった和風高層建築(現在は横浜薬科大学図書館棟)が見えてくる。

  • 国道1号をこの付近でクロスしていた(戸塚区原宿4丁目・5丁目付近)

  • 現在の「ウィトリッヒの森」付近を行くモノレール。写真左手に「ホテルエンパイア」がそびえ立つ(東急車輌パンフレットより)

  • ドリームランド駅および検修工場と停車中のモノレール車両(提供 : 横浜市史資料室)

宇田川の川岸を北進したモノレールは、韮橋(にらはし)の手前で川をクロスし、今度は北西に進路を取り、上り勾配を駆け上がって、終着のドリームランド駅へと向かう。

ドリームランド駅跡地は現在、「俣野公園・横浜薬大前」バスロータリー南側に位置するドリームビルの駐車場になっている。付近一帯の横浜薬科大学、ドリームハイツ、俣野公園(墓苑を含む)の敷地が横浜ドリームランドの跡地だが、名残といえば、横浜薬科大学の図書館棟くらいしかない。

  • 横浜ドリームランドの跡地である俣野公園と横浜薬科大学図書館棟

さて、ドリームランドモノレールの廃線探索、いかがだっただろうか。いまとなってはモノレールの痕跡がほとんど残っておらず、廃線跡探索を楽しむには、昔の写真を頼りに想像力をフルに働かさなければならないが、それもまた廃線跡探索の醍醐味である。

ちなみに、ドリームランドモノレールの廃線跡は5.3キロと、数字だけ聞けば短く感じるが、山あり谷ありのコースである上に、大きく迂回しなければコースをたどれない場所も多く、実際にはかなりの距離を走ることになる。本気で踏破するならば電動アシスト付自転車をレンタルするのがおすすめだ。参考までに、湘南台駅周辺に電動アシスト付自転車が借りられるシェアサイクルスポット(HELLO CYCLING)が複数あり、湘南台駅から俣野公園(横浜ドリームランド跡)まで3.6km、自転車なら約15分でたどり着ける。