警戒すべき新しい仕掛けの出現により生まれた新手

将棋のタイトル戦、第33期竜王戦七番勝負(主催:読売新聞社)第2局が10月22日に始まりました。挑戦者は、タイトル獲得100期を目指す羽生善治九段。それを迎え撃つのは自身タイトル初防衛が懸かる豊島将之竜王です。第1局は豊島竜王が制しています。

第2局は先手番の豊島竜王が、得意戦法の角換わりを採用しました。それを真っ向から受けて立った羽生九段は、なんと14手目に新手を披露しました。

新手は△6四歩という一手。この手は確かに前例のない手でしたが、あっと驚く新構想のための一手だったり、まったく未知の局面に誘導するための一手ではありません。事実、結局2手後には前例に合流しています。

ではどういう意味合いの一手だったのでしょうか。答えは「相手の最先端の仕掛けを警戒した慎重な一手」です。

羽生九段が△6四歩と指した局面では、△6二銀と△3三銀という手が多く指されています。実はこの3手は、後手が角換わり腰掛銀を目指すためには欠かせない手です。いずれは指さねばならない3手を、どの組み合わせで指すか、というのがこの局面の問題なのです。

△6二銀は▲2四歩からの飛車先の歩交換を受けない手です。従来はこのタイミングで▲2四歩と突くことはできないと考えられていました。△3三角の反撃が厳しいと見られていたためです。

しかし、この常識を打ち破ったのが、永瀬拓矢王座です。10月8日に行われた順位戦B級1組の郷田真隆九段戦で、▲1六歩△1四歩の交換を入れてから▲2四歩を決行。当然郷田九段は△3三角から反撃しましたが、結果は永瀬王座の勝ちとなりました。

そしてその対局から1週間も経たないうちに、その仕掛けを取り入れた棋士がいました。それが羽生九段です。14日の王将リーグの佐藤天彦九段戦で▲2四歩の仕掛けを採用。中盤は苦しくなるも、逆転で勝利を収めています。

自らも採用してみたことで、この仕掛けは警戒に値すると羽生九段は考えたのでしょう。14手目の△6四歩は▲2四歩の仕掛けに備えた一手なのです。

△6二銀と上がってしまうと、3二金にひもが付いていない状態になるのに対し、△6四歩なら飛車の横利きが通っているため、金にひもが付いています。▲2四歩早仕掛けは、▲3四飛と横歩を取って3二金に狙いをつける作戦のため、金が浮いていなければ効果を発揮しません。

戻って14手目に△3三銀と上がってしまえば、▲2四歩早仕掛けを完全に防げていいじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、あちらを立てればこちらが立たないのが将棋です。早くに△3三銀と上がると、▲4五桂の仕掛けを狙われる危険性があります。

角換わりの世界を一変させた▲4五桂(△6五桂)速攻。現在では登場初期のように簡単に炸裂する将棋は少ないですが、常にこの仕掛けは含みになっています。隙を見せると速攻が飛んでくるため、角換わりの将棋は気を抜くことができません。

△3三銀と上がったからといって、▲4五桂速攻で潰されるということはありません。しかし、相手にその仕掛けの手段を与えることになります。

では、羽生九段の△6四歩はすべてを解決する、最善策なのかと言われると、そうとも言えません。△6四歩と突くということは、腰掛け銀を明示するということ。早繰り銀や棒銀の選択肢を早々に失うことを意味します。

14手目の3つの選択肢について説明してきましたが、それぞれにメリット・デメリットがあります。それをまとめると、以下の通りとなります。

△6二銀
メリット:▲4五桂の仕掛けを防ぐ。腰掛け銀・早繰り銀・棒銀を選択可能
デメリット▲2四歩の仕掛けを与える

△3三銀
メリット:腰掛け銀・早繰り銀・棒銀を選択可能。▲2四歩の仕掛けを防ぐ
デメリット:▲4五桂の仕掛けを与える

△6四歩
メリット:▲2四歩の仕掛けを防ぐ。▲4五桂の仕掛けを防ぐ
デメリット:腰掛け銀に作戦が限定され、早繰り銀・棒銀の選択肢を失う

それぞれが3すくみの関係になっていることがお分かりいただけるかと思います。

もちろん、どの手を選んでも結局同一局面に合流することも多いのです。ですが、ほんのわずかな違いではありますが、このようなちょっとした工夫、改善を何十年、何百年と繰り返してきたのが将棋界の歴史でもあります。羽生九段の△6四歩もその積み重ねの一つだと言えるでしょう。

豊島竜王の得意戦法に踏み込んでいった羽生九段(提供:日本将棋連盟)
豊島竜王の得意戦法に踏み込んでいった羽生九段(提供:日本将棋連盟)