映画『羅生門』だけに焦点を当てた国立映画アーカイブの企画展「公開70周年記念 映画『羅生門』展」が開催中だ。長年にわたり黒澤映画のスクリプター(記録係)を務めた野上照代さんの撮影台本(原本)など、貴重な資料や数々の証言などから名作に迫る本展は見どころ満載。個人的には、「原作と脚本の違い」に関する長年の疑問に対する答えも見つけることができて興味深かった。

  • 映画『羅生門展』の展示

    映画の中で大写しにされていた「羅生門」の扁額を発見! これは再現画とのことだが、実寸大なので迫力がある

何が真実か、答えは藪の中

『羅生門』は1950年に公開となった黒澤明監督の映画だ。1951年9月にはヴェネチア国際映画祭で金獅子賞、1952年3月には米国アカデミー賞名誉賞を獲得。原作は芥川龍之介の「藪の中」、脚本は黒澤と橋本忍(本当は全員に付けたいところだが、しつこくなりそうなので全て敬称略)、撮影は宮川一夫、音楽は天才・早坂文雄という布陣なので、まあ面白くないわけがないといった作品なのである。

いわずもがなかもしれないが、今さらネタバレもなさそうなので、少しだけ映画の内容にも触れておきたい。時は平安時代、場所は京都(?)の山の中。名高い盗賊の多襄丸(演ずるは三船敏郎)、侍の金沢武弘(森雅之)、その妻・真砂(京マチ子)の3人が行きあって、何かが起こる。ところが、何が起こったかについて3人の言い分は食い違う。うち1人に及んではすでに死んでいて、冥府から巫女(霊媒師)を通じて話をしているのにも関わらず、どうやら証言には嘘が混じっているようなのだ。各自が虚栄心や自己都合で話をするし、ひょっとすると記憶を書き換えてしまっているかもしれないので、まさに真相は“藪の中”となる。

ちなみに、三船と森は翌年の映画『白痴』(黒澤明監督)でロゴージンとムイシュキン公爵(ドストエフスキーの原作での名前)を演じている。つまり、対照の効いた名コンビなのである。

原作『藪の中』にはなくて、映画『羅生門』で追加となっているシーンは大きくいえば2つある。1つは荒廃した羅生門で雨宿りをする杣売り(焚火の薪を伐って売る人、演ずるは志村喬)、旅法師(千秋実)、下人(上田吉二郎、人間の本質を鋭くえぐるセリフを連発する犬儒派)の3人が事件について語り合う一連のシーンであり、もう1つは杣売りの述懐に基づく事の真相(?)を描いたシーンだ。杣売りの述懐は急遽でっち上げたにしてはあまりに文学的なので、とても作り話とは思えないのだが、この人だって少なくとも1つの嘘をついてしまっている(事件に関連して盗みを働いたことを白状していない)ので、全幅の信頼を寄せるには足りない。下人にいわせれば、「人間というのは、本当のことをいえないもんだ。自分自身にすら白状していないことが山とある。ワーッハッハッハ!」ということになるらしい。

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    『羅生門』に出てくる場面は「山の中」(事件が起こる)、「検非違使の庭」(関係者が取り調べを受け、事件について語る)、「雨の羅生門」(杣売りらが事件について語り合う)の3つだけ。巨大なオープンセットとして映画のために作られた羅生門は圧巻で、墨汁入りともいわれる土砂降りの雨のスケールも普通ではない。この画像は「羅生門」セットと雨 (C)KADOKAWA 1950 国立映画アーカイブ所蔵

ちなみに、今なら「Netflix」やアマゾンの「Prime Video」などでも本作(デジタル完全版)を気軽に鑑賞できる。映画の上映時間は1時間28分と短く、印象的なカットがテンポよく続くうえ音声もクリアなので(日本語字幕を入れるとさらに分かりやすい)、昔の映画を見慣れていない人でも気負わず楽しめるはずだ。ドラマ『半沢直樹』では俳優陣の“顔芸”が話題だが、『羅生門』にも名優たちの印象的な表情が続出するので眺めているだけでも楽しい。

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    4人の語り手による山の中のシーンを4分割の画面で同時に見られる仕掛け。語り手によって登場人物の性格も行動も変わるのが本作の特徴だが、それを演じ分ける三船、森、京の表現力は見事としかいいようがない。この映画で多襄丸と金沢は2度の果し合いを行うことになるが、一方は勇猛果敢、もう一方は恐る恐るという描き分けも非常に面白い

1つの作品を多角的に掘り下げた展覧会

さて、本題の展覧会なのだが、構成は「企画と脚本」「美術」「撮影と録音」「音楽」「演技」「宣伝と公開」「評価と世界への影響」の全7章となっている。入り口では映画の概要をまとめた4分33秒のアニメーションを見ることができるので、ここで筋を思い出してから展示に移るといいだろう。

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    第1章「企画と脚本」では、橋本忍が最初に書いたシナリオと映画の脚本の違いを分かりやすくまとめた表を見ることができる。具体的には、橋本が書いた『羅生門物語』にあって映画『羅生門』にはないもの(またはその逆)が確認できるのだが、この展示を見ることで、映画のみにあるシーンを考えたのは誰か(黒澤か、橋本か)ということが分かって個人的には嬉しかった。その真相は会場でご確認いただければと思うのだが、映画のラスト(旅法師が人間への信頼を回復するシーン。「甘い」との批判もあったそう)については橋本が考案し、黒澤もあえて削らなかった(むしろ、いかすことで結論への責任を負った?)ようだ

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    第2章「美術」では「羅生門」と書かれた扁額の再現画や美術監督・松山崇の写真アルバムを展示。この画像は松山崇『羅生門』写真アルバム (C)KADOKAWA 1950 玉川大学 教育学術情報図書館所蔵

今回の展覧会では随所にデジタル展示を取り入れている。例えば「撮影と録音」の章では、野上照代と宮川一夫の撮影台本をデジタル化して同期させ、実際の映画のシーンとリンクさせつつ解説文を表示するシステムを導入。脚本を見比べつつ、実際のシーンを見たり、解説を読んだりすることができる。

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    第3章「撮影と録音」で体験できるデジタル展示。最初はタッチパネルで構想したそうだが、ご時世を鑑みて手をかざして操作するインターフェースに変えたとのことだ。第3章では2020年に入ってから収録した野上照代(スクリプター)と紅谷愃一(録音技師)のインタビュー動画を見ることもできる。映画の成功は監督の手柄として語られがちだが、黒澤組のスタッフがどれだけ優秀であったのかも今回の展覧会で再認識させられた

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    第4章「音楽」には早坂文雄による音楽構成表や楽譜が。早坂といえば『七人の侍』をはじめとする数々の映画音楽を手掛けた人物だ。黒澤監督の映画『生きものの記録』は、早坂の不気味で不安感を覚えさせるあの音楽と相まって忘れがたい作品となっている

第5章の「演技」では、三船敏郎と志村喬の台本(書き込みあり)が見られる。スタジオ撮影のスチール写真には、登場人物の性格を表現するようなポーズと表情で三船らが映っている。

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    第5章「演技」では出演者の使用台本や京マチ子旧蔵の写真アルバムを展示

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    第6章「宣伝と公開」には劇場公開時の貴重なオリジナルポスターが! さすがの国立映画アーカイブも所蔵していないそうで、個人蔵のものを借り受けて展示しているという

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    第7章「評価と世界への影響」ではヴェネチア国際映画祭金獅子賞トロフィー(複製)やブロードウェイ版(!)『羅生門』の宣伝写真などを展示。トロフィーの本体は行方不明なのだそうだ……

正直にいって『羅生門』を観たことのない人にはオススメしにくい展覧会ではあるものの、同作のファンであれば、かなり楽しめる内容になっていると思う。国立映画アーカイブでは三船敏郎の生誕100年を記念した映画の上映(10月2日~10月22日)を予定しており、『羅生門』も鑑賞するチャンスがあるので、その時に展覧会も併せて楽しめば充実の1日になりそうだ。ただし、『羅生門』の上映は会期中に2回だけであり、コロナ対策で劇場の席数も減っているので(全111席)、予定を立てるなら早めに動き出すのが吉だ。

Netflixでも観られるので、少しでも興味がある人にはまず、作品に触れてみていただけたらいいと思う。『羅生門』は70年も前の作品だが、扱っているテーマも映画としての表現も古臭さは感じさせない。主観のみによる虚実ないまぜの自分語りやフェイクニュースをSNS上で目にする機会が多い現代人であれば、この映画の面白さと恐ろしさは十分に味わえるはずだ。

「公開70周年記念 映画『羅生門』展」の概要

会場:国立映画アーカイブ(東京都中央区京橋3-7-6) 展示室(7階)
会期:2020年9月12日~12月6日(月曜日休室)
→京都府京都文化博物館に巡回予定(会期:2021年2月6日~3月14日)
料金:一般250円、大学生130円
※1:シニア・高校生以下および18歳未満、障がい者(付添者は原則1名まで)、国立映画アーカイブのキャンパスメンバーズは無料
※2:料金は常設の「日本映画の歴史」の入場料を含む。国立映画アーカイブの上映観覧券(観覧後の半券でも可)を提示すると一般200円、大学生60円。2020年11月3日(火・祝)の「文化の日」は無料