新型コロナウイルスの感染拡大やテレワークなどの影響により、思いもよらず在宅時間が増えたことで、自分の興味のある分野の学びに取り組む人が増えています。
でも、いざ学びに取り掛かると、なかなか学習内容を覚えられなかったり、思うように勉強を進められなかったりして、戸惑いを感じる人も多いと推測できます。脳科学者の中野信子さんに、実際の勉強に活かせるのはもちろんのこと、人生を生きるための力にもなる効果抜群の学習・記憶法を教えてもらいます。
記憶における長期増強
「学習」という行為をどの階層・領域からとらえるかにもよりますが、脳科学から見た場合、神経細胞レベルではどんなことが起こっているのでしょうか。人間は学習すると、神経細胞(ニューロン)同士がシナプス(ニューロン間の接合部位)を介して連絡のやり取り(信号の伝達)をしますが、その連絡の取り合い方は長期間にわたって増強されていきます。たとえるなら、道幅3メートルの道路が、長期にわたるやり取りによって、道幅30メートルの幹線道路になっていくようなイメージです。
つまり、最初は少ししかやり取りをしていなかったものが、やり取りが次第に大きくなってシナプスが増強されたとき、学習が行われたと解釈します。そして、その「長期増強(※1)」によって、記憶が脳回路に保存されることがわかっています。
脳内で記憶に関与する領域は、「海馬」という部分です。よく海馬を記憶そのものと思っている人もいますが、そうではなく、海馬で生成された記憶は脳のいろいろな場所に保管されるため、海馬は「記憶の入り口」であると考えてください。
たとえば、お酒を飲み過ぎて酔っぱらった人が、一時的に記憶をなくすことがありますよね。自分がどんな店で飲んだのか、いったいなにを飲んだのかまったく忘れてしまっているような状態です。でも不思議なことに、ひとりでタクシーに乗ってきちんと家まで帰ってきたことに翌朝気づくことになります。はたしてどんな現象が起きているのでしょうか?
まず、このようなとき、海馬の働きは止まっていて記憶を生成していません。しかし、大脳皮質で運動に特異的に関係している領域である「運動野」で、自分の来た道やいつも通る道を覚えている「ナビゲーションニューロン」と呼ばれる神経細胞が活動しているため、自分の家にちゃんと帰れるということが起きるのです。
要するに、記憶の入り口が止まっていても、これまで長期にわたって繰り返してきた記憶は簡単には失われないということ。このような現象を、わたしたちはときに「体が覚えている」と表現します。
※1 長期増強:LTP(Long-term potentiation)とも呼ばれる。長期にわたりニューロンからニューロンへ信号が伝達しやすくなる現象。シナプスが示す可塑性の一種で、記憶の素過程(複雑な化学反応を構成する一つひとつの基本的な反応)と考えられている
「自分ごと」にすれば忘れにくい
さて、このようなメカニズムを実際の勉強に活かすには、「エピソード記憶」を活用することがひとつの方法になります。一般的に、わたしたちが勉強のなかでなにかを記憶するとき、教科書なり単語帳なりをそのまま一語一句「覚えよう」とします。これが、多くの人が持っている記憶のイメージだと思います。
でも、わたしの覚え方は、子どものころからみんなとは少し違っていました。どのように覚えていたかというと、勉強する内容やテーマに対して、まるでその世界のなかに"入り込む"イメージで覚えていたのです。
歴史などはわかりやすいのですが、たとえば「本能寺の変」について覚えたいなら、まるで自分が明智光秀になったような気持ちで教科書を読むのです。その人物になりきり、その世界に入り込む――。すると、不思議なことにその事項をよく覚えることができ、忘れることが少ないことに気づいたのです。
ほかにも、これが地理なら、自分がまるで漫画「ゴルゴ13」の主人公・デューク東郷になったつもりでいろいろな国へ飛び回っていく。
「この国にはこんな要人がいて、経済構造はこうで、産業はこれが主要だから、この企業の存在が重要である……」というふうにイメージできると、ただ統計グラフを見て暗記するよりもずっと楽しく、深く覚えられるわけです。
この方法は、一見ストーリーが想像しづらいように思われる化学などの科目にも使えます。それこそ分子の気持ちになって想像してみるのです。たとえば、少し専門的になりますが、「ファンデルワールス力(※2)」という作用について覚えるなら、自分が分子になった気持ちで、「手をつなぐわけじゃなくても、お互いに好きだから近くにいようね」とイメージして覚えるわけです。
※2 ファンデルワールス力:分子と分子のあいだに働く弱い引力。この力のために分子性の結晶ができたり、分子が液体になったりする。分子間力の一種
自分で「疑似体験」するイメージ
こうして覚えたことを、一般的に「エピソード記憶」と呼びます。記憶には「長期記憶」と「短期記憶」があり、エピソード記憶は長期記憶にあたります。長期記憶は「陳述記憶」と「非陳述記憶」に分かれますが、「陳述記憶」のなかに、「意味記憶」とこのエピソード記憶があるのです。
前者の意味記憶はいわゆる「暗記」のことで、多くの人は勉強するときにこの意味記憶で覚えようとします。でも、悩ましいことに、意味記憶は手っ取り早いですが脱落しやすいという特徴がある。いくら勉強しても忘れてしまうと悩む人は多いですが、意味記憶で覚えている限り、これは至極当然のことなのです。
一方、エピソード記憶は定着しやすい記憶です。自分の身に実際に起こったことや、「自分ごと化」した記憶は、人はなかなか忘れないものなのです。そして、わたしは勉強していくなかで、そんな覚え方を意図せず行っていたので、のちにみんながそうして覚えていないことを知ったときは、「え、じゃあみんなはどうやって覚えているの?」と驚きました。
エピソード記憶は、いわば自分で「疑似体験」するようなイメージです。多くの人は、教科書の内容はすぐ忘れても、自分の身に起きた出来事はめったに忘れません。それと同じようなインパクトを記憶に残すために、本や教科書を読むときはそこに書かれている人やものの気持ちになって、その世界に入り込みながら読んでみる。そうすることで、むしろ忘れるのがむずかしくなるくらい覚えられるというわけです。
この手法は、もちろん勉強以外にも有効です。たとえば、仕事で重要な会議やプレゼンテーションがあるなら、前日までにその相手や聴衆と話している想像の世界に入り込み、「これを聞いたらどんな反応をするだろう?」「こんなことを思うのではないかな? 」などと、想定できるシーンを前もってイメージしておきます。すると、当日は相手の話をよりスムーズに理解できたり、良質なコミュニケーションができたりしやすくなるのです。
これは記憶のテクニックであり、そうした覚え方の癖をつけることができれば、戦略的なプロセスとして活用できます。もちろん、こうした覚え方が不得手な人もいると思いますが、それほどむずかしいことではありません。ただ、感情や気持ちを使うことに慣れていなかったり、恥ずかしくなったりするくらいで、続けていればできるようになります。
よく語学を習得するには、外国人のパートナーを見つければいいといわれます。あれはまさに気持ちと気持ちが強く結びつくから覚えられるわけで、外国人と付き合えば誰でも自然に言葉が覚えられるという意味ではありません。海外へ留学しても、たいして外国語を話せない人はたくさんいますよね。
わたしの場合、法律や経済については少し苦手で、どうしても気持ちが入り切れないことがありました。でも法律であれば、たとえば法的な保護が必要な状況に自分が置かれることなどをイメージして、「この状況ならどうすれば自分を守れるのだろう? 」などと入り込めていれば、もっと得意になれたのかもしれません。
思えば、弁護士や医師になる人のなかには、幼いころに自分自身が法的行為や医療行為を必要とした経験を持つ人も多いものです。「自分がしてもらったように治してあげたい」「わたしがなんとか助けてあげたい」と思って目指す人がたくさんいます。
そんなことからも、エピソード記憶は人生そのものに大きな影響を与えるほど強い記憶にもなり得るのです。
構成:岩川悟(slipstream)、辻本圭介 / 写真:榎本壯三
※今コラムは、『「超」勉強力』(著:中野信子/山口真由 プレジデント社)より抜粋し構成したものです。