――撮影で大変だった出来事はありますか?
ロケがいつも山奥ばかりで、あれは大変でしたね。あの頃の「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」には、片方が「都市」ロケが多いと、もう片方が「山」になるってウワサがあったんですよ。実際にはどうかわからないんですけど、同時期にやっていたのが都会でのロケが多い『特捜戦隊デカレンジャー』でしたから、『仮面ライダー剣』は山に行ってるのかなって思っていました。それでも、辛い撮影というものは経験しませんでしたね。爆発カットを撮るときに「目をつぶっちゃダメだ」と言われたくらいかな(笑)。辛かったことと楽しかったことを比べると、圧倒的に楽しさが勝っていました。
――印象に残っている監督さんの思い出を聞かせてください。
パイロット(第1、2話)を撮られた石田(秀範)監督には、大変お世話になりました。よく石田監督は"厳しかった"と俳優から言われることがあると思いますが、実際はとても優しい方なんです。20代が中心の若い俳優にドラマの中軸を任せるとなると、それはもう厳しい態度で接しないといけないんじゃないか、優しさゆえの厳しさなんだなって、僕も40を越えてから気づきました(笑)。
――序盤での橘はライダーシステムの影響で体に支障をきたしていて、セリフもシリアスな苦悩をうかがわせるものが多くありました。しかし剣崎たちの仲間として行動を共にするうち、ときどき穏やかな言葉なども用いるようになりましたね。第22話で虎太郎が作ったマズいスパゲッティを1人だけなぜか美味そうに食べていて、「これ食ってもいいかな?」と人の分まで食べようとする橘のセリフは、ファンに強烈なインパクトを与えました。
普通にスパゲッティを食べているシーンですね、あれは……。橘は、舌までバカになっているってことでしょうかね(笑)。第22話は諸田(敏)監督の回で、監督から「ヘラヘラしながら食べれば?」と言われたのを覚えています。僕のほうも、このセリフが重要な言葉だなんて思っていませんから、現場でさらっと言っただけなんです。
言った後はスッと頭の中を流れていくような、何気ないシーンではあるんですけれど、今でもあそこのシーンについてファンの皆さんから反響があるとは、当時は全く想像しておらず……。ただ、橘は強くてクールな先輩であり"笑わない"設定だったのですが、「ここでは笑ってもいい」と言われたことはよく覚えています。
――最終回では、ジョーカーに変貌していずこかへと去っていく剣崎を見送る橘のモノローグが1年間の物語を見事に締めくくりました。最終回での裏話があれば教えてください。
長石(多可男)監督が撮った最終回では、姿を消した剣崎を思って橘が崖の上から「剣崎……」とつぶやくシーンの直後、一羽のカモメが飛んでいく画をつないでいるんです。長石監督はよく、そういうワンポイントのカットを挿入されて独特の映像を作られる方なんですが、後になって僕が「監督、剣崎は最後どうなったんですかね」って尋ねたら「カモメになったんじゃねえのか?」って言うんですよ。ああ、カモメになったんだ……って、そんなわけないですよね(笑)。長石監督はこういったユーモアを好む監督だったんです。