――1年間取材をさせていただいて、奥野さんがすごく大人になられたなという印象があります。

それは自分でも感じますし、周りのみなさんからもよく言われました。最初、僕は何も知らない状態で『ジオウ』の現場に入ったので、お芝居のことも、撮影のことも、取材やイベントもすべてが初めてでした。それから比べると、考え方や人に対する姿勢はすごく変わったなと思います。まだまだ足りないところはたくさんあるので、もっともっと人としても役者としても成長していきたいですね。

――特に考え方のどんなところが変わったのでしょう。

思ったことをすぐ言葉に出すのではなく、一度考えてから言葉にするようになりました。それは、岳くんや圭祐さんの人に対する接し方を1年間見ていて、影響を受けたからかもしれません。人やものごととのかかわり方は、自分の在り方によってプラスの方向にしていくことができるんだなって。だから、自分の中でもっとポジティブな言葉を使おうとか、お仕事も自分が楽しんで取り組めば、周りももっと楽しんでくれるんじゃないかとか、そういう考え方はすごく変わりました。

あとは謙虚でいたいということ。序盤にすごく注意されたことがあって、挨拶とか人として当たり前のことを自分が思っている以上にちゃんとしなきゃいけないなと考えを改めたことがありました。ちゃんと叱ってくれる環境ってありがたいんです。自分はちゃんとできていると思っているから、いわれないと気づけないんですよね。でも、そういわれるということは、ほかのところでもそんなふうに思われているということですから。もし何もいわれないまま、ほかでそんなことをしていたらと思うとゾッとします。

『ジオウ』は、ちゃんと基礎から教えてもらえる環境で、お芝居の仕方、挨拶から始まる人としての在り方も、いろんなことを教えていただきました。お芝居の力もそうですけど、人として成長させていただいたという気がします。最初の作品がこの作品でよかった、本当に感謝しかありません。

そうした思いがあったので、『仮面ライダージオウ』という作品があったからこそ経験させてもらえることは、ひとつひとつを大事にしたい、一日一日もっともっと成長できるようにというのは意識していました。だから、一話の自分と最終話の自分で成長がわかりやすく出ていたんじゃないかなと思います。

――第一話と最終話のソウゴの「なんかいける気がする」の違いにも表れているように思います。

最初の軽い感じのものと、最終話でのすべてを見据えて自分への励ましという意味を込めた「なんかいける気がする」は、言葉の重みが違いました。「ソウゴはやっぱり仮面ライダーなんだな」ということを改めて実感できた。最初は、僕のお芝居の拙さもあって「本当に仮面ライダーなのかコイツ!?」というふうに思ってしまう頼りないキャラクターだったのかもしれません。でも最終話ではそれが限りなくゼロに近い状態になったんじゃないか、ちゃんとソウゴがヒーローになっていたなと思いました。

――映画では、そのヒーローなソウゴが見られるのでしょうか。

そうですね。レジェンド感というか、すべてを見据えたソウゴです。すべてを俯瞰して見ている、落ち着いたソウゴを演じました。

――映画ではレジェンド感は意識されていましたか?

意識していませんでした。意識していなくても、自然と出てくるといいなって。映画ではソウゴの最終話までの記憶が全部戻るんです。あの楽しい学園生活から一変したことも、ゲイツが死んだことも、自分勝手に世界を戻したことも全部知っている。となると、僕の中ではローテンションのソウゴなんです。きっとそれは、あまり見たことがないソウゴで、そういう状態でゼロワンの或人くん(演:高橋文哉)と対峙しているので、必然的に先輩っぽく、レジェンドっぽいソウゴが見られると思います。めちゃくちゃ自然にレジェンドしてたんじゃないか、そして、いい形でゼロワンと会えたんじゃないかなと思っています。

――年齢が近いとは思うのですが、先輩ライダーとして高橋文哉さんはどのように映っていますか?

すごく素敵です。去年のいまごろの僕と比べるとまったく別物で、文哉くんは素晴らしいものをもっているし、経験が少ない中でのお芝居の力も相当なものだし、或人をしっかり演じられているんだなという印象を受けます。プライベートや或人じゃない部分でも、真面目で、取材やイベントでもすごく気遣いができる人だなって。また別の作品でも共演してみたい役者さんの一人ですね。

――映画の脚本を担当した高橋悠也さんが描くソウゴは初めてなんですね。

そうですね。でも、高橋さんが考えるソウゴと僕が考えるソウゴの解釈が一致していたのか、違和感はまったくありませんでした。落ち着きのある、大人なソウゴを描いてくださっていて、すごく僕は演じやすかったですし、セリフも入ってきやすかったです。