■廃駅の痕跡を示す地蔵堂

洗足池駅にたどり着いたら、中原街道を渡り、洗足池の畔に足を運んでみよう。桜の名所として知られるこの池は、元々は「千束郷の大池」と呼ばれていたが、日蓮聖人がこの池の水で足を洗ったという俗説が生まれ、池の名前も「洗足池」となったという。

周囲に勝海舟夫妻の墓などもある洗足池は、1932(昭和7)年に報知新聞社が行った投票で、「新東京八名勝」の第7位に選ばれた。このときに池上本門寺(第1位)も八名勝に選ばれているから、当時の池上電鉄は東京の大人気観光名所を沿線に2つも抱えていたことになる。

  • 「昭和三(1928)年の冬、洗足池は雪で真っ白になった」(東急電鉄社内報『清和』より。東急電鉄提供)

  • 洗足池の「新東京八名勝」の石碑

さて、洗足池駅を出発した電車は、次の長原駅の地下ホームに滑り込み、続いて大井町線との乗換駅である旗の台駅に到着する。この旗の台駅も歴史を調べてみると、なかなか面白い。

大井町線は目黒蒲田電鉄によって1927(昭和2)年に開業された。池上電鉄とは別会社だったため、両線の交差地点である現在の旗の台駅の場所には駅がなく、大井町線には東洗足駅、池上電鉄には旗ヶ岡駅という別々の駅が設けられていた。

この旗ヶ岡駅の痕跡を探してみよう。旗の台駅の東改札(昭和大学病院方面)を出て、商店街の路地を荏原中延方面に向かって歩いていくと、「旗ヶ岡子育て地蔵尊」という小さな地蔵堂がある。この地蔵堂の説明板には、以下の記述がある。

  • 旗ヶ岡子育て地蔵尊

「旗ヶ岡子育て地蔵尊は、大正初期の頃、旧中原街道・清水頭(現在の三井生命ビル付近の切り通しの峠道)さいかちの大木のほとりに、(中略)ありました。昭和三年、池上線旗ヶ岡駅開設の際、町の有志の方々が交通安全、地域の平和と繁栄を願い駅前広場に移し、その後昭和一三年に現在の所に祠を建て奉祀し、(中略)今日に至っております」

現在、地蔵堂と池上線の線路との間に東急の名を冠するマンションが2棟建っているが、これらのマンションのある場所が旗ヶ岡駅跡地だ。ちなみに、東洗足駅と旗ヶ岡駅が統合され、旗の台駅が誕生したのは1951(昭和26)年のことだった。

■異様な高さの五反田駅

旗の台駅を出発した電車は荏原中延駅、続いて戸越銀座駅という、いずれも活気ある大きな商店街のある駅に停車する。戸越銀座駅で下車したならば、商店街を歩いて、かつて戸越銀座駅と大崎広小路駅の間にあった「桐ヶ谷駅」の場所を探しに行こう。

桐ヶ谷駅は戦時中の1945(昭和20)年に空襲の影響を受けて営業休止となり、1953(昭和28)年に廃止された駅だが、周囲の道路の形状がいまもそれほど変わってないので、場所は容易に特定できる。

百反通りが池上線を越える跨線橋と、その北側(五反田寄り)にある大崎広小路1号踏切の間が、かつての桐ヶ谷駅跡だ。跨線橋上から線路敷地を眺めると、敷地がやや楕円形に膨らんでおり、駅跡であることが見て取れる。また、跨線橋に近い南側の法面上部には、草で覆われていて見分けづらいが、擁壁に「えぐれ」ている箇所がある。どうやらこの付近に駅舎があり、ここから橋を伝って島式ホームに下りる駅の構造だったらしい。擁壁のえぐれは橋を支えていた箇所であろう。なお、線路北側の擁壁上には、建造物の土台のような工作物があるが、これも桐ヶ谷駅の痕跡の一部なのかは判然としない。

  • 「桐ヶ谷駅」跡付近の東急電鉄が管理する私道入口の標識

  • 「桐ヶ谷駅」跡を跨線橋上から望む

ちなみに、線路沿い南側に下り坂があるが、この坂はかつての桐ヶ谷駅への接続道の一部であり、東急電鉄に確認したところ、現在も東急電鉄管理の私道になっている。これも、桐ヶ谷駅の名残といえよう。

さて、大崎広小路1号踏切を渡って、環状6号線に出たならば、大した距離ではないので、このまま大崎広小路駅を経由して五反田駅まで歩いてしまおう。大崎広小路駅と五反田駅の間の高架下には、2018(平成30)年3月に高架下のスペースを利用してオープンした商業施設「池上線五反田高架下」がある。

ちなみに、大崎広小路駅と五反田駅の間は駅間距離が300mしかなく、世田谷線の三軒茶屋~西太子堂間や世田谷~上町間と並ぶ東急電鉄の最短駅間距離の区間となっている。ただし、世田谷線は軌道線扱いのため、鉄道線としては大崎広小路駅から五反田駅までが最短駅間距離の区間ということになる。

  • 開業当時の五反田駅(東急電鉄提供)

池上電鉄は1927(昭和2)年8月に桐ヶ谷駅まで、同年10月に大崎広小路駅まで、翌1928(昭和3)年の6月に五反田駅まで延伸し、ようやく池上線を全通させた。このように、少しずつ路線を延伸していった結果、短い駅間距離になったのだ。

なお、池上線の終着駅である五反田駅の開業時の写真を見ると、まるで空中に浮いているようにも見える。当時としては異様とも思える高さの高架駅になった理由をご存じの読者も多いと思うが、山手線を越えて白金・高輪方面への延伸を計画していたことによる。結局、この計画が果たされることはなかった。

  • 昨年11月に行われた東急電鉄主催のイベントで、歌手の西島三重子さんが1976年のヒット曲「池上線」を歌う

今回は東急池上線の歴史散歩を楽しんだ。池上線には、他にも光明寺駅(千鳥町~久が原間)、調布大塚駅(御嶽山~雪が谷大塚間)といった廃駅跡もあるので、調べてみるのも面白いだろう。また、1976(昭和51)年の西島三重子さんによるヒット曲「池上線」の歌詞を思い浮かべながら電車に揺られるのも楽しい。

最近は東急電鉄が「生活名所」プロジェクトを立ち上げ、情報発信を行うなど、池上線沿線を活性化させる活動を始めている。今回はわりと早足で見て回ったが、より丹念に見れば、さらに多くの池上線の魅力を発見できるはずだ。

筆者プロフィール: 森川 孝郎(もりかわ たかお)

慶應義塾大学卒。IT企業に勤務し、政府系システムの開発等に携わった後、コラムニストに転身し、メディアへ旅行・観光、地域経済の動向などに関する記事を寄稿している。現在、大磯町観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員、温泉ソムリエ、オールアバウト公式国内旅行ガイド。テレビ、ラジオにも多数出演。鎌倉の観光情報は、自身で運営する「鎌倉紀行」で更新。