きょう20日に放送されるフジテレビ系番組『直撃!シンソウ坂上』(毎週木曜21:00~)では、10年前に逝去した女優・大原麗子さんの孤独死の真相に迫る。

  • 故・大原麗子さん=フジテレビ提供

MCの坂上忍は、大原さんがどんな人物だったのかを聞くため、彼女が姉と慕い、30年以上の付き合いがあった女優・浅丘ルリ子のもとへ。これまでいくつもの大原さんの追悼番組があったが、浅丘が自らの言葉で彼女について語るのは、今回が初めてとなる。

大原さんは「私を5番目の妹にして」と浅丘のことを慕い、浅丘の父親の最期をみとるほどの付き合いだったそう。今回のインタビューのために前日、過去に大原さんと結婚していた森進一に電話してのエピソードを聞いたという浅丘は、大原さんと森の離婚の真相や素顔について語る。

この離婚に関して、大原さんの実弟・大原政光氏も証言。大原さんが森の子供を妊娠・中絶したという、親友の浅丘さえ知らなかった衝撃の事実が明かされる。その背景にあったものとは…。

女優としてのキャリアを着々と積んでいた大原さんだが、20代の終わりに免疫システムの不具合から手足のマヒなどを引き起こす「ギラン・バレー症候群」を発症。しかし、1年間の療養で病を克服し、現場復帰してからも『男はつらいよ 噂の寅次郎』(78年)や『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(84年)などの映画や、NHK大河ドラマ『春日局』(89年)などへの出演を果たす。だが、50代を迎える頃に主演級のオファーが激減しながら、納得のいかない仕事は全て拒否。撮影現場でも監督に対してセリフのダメ出しをするなど、スタッフと折り合えない大原さんに、次第に業界内では「扱いづらい女優」というイメージが定着してしまった。

女優としてのプライドを決して曲げなかった一方で、自身が老いていく現実も感じ取っていた大原さんは、53歳の時に左目の一重まぶたを二重まぶたにする整形手術を受けるが、術後にまぶたが腫れ上がってしまい、完全に失敗。これは、知名度が高い大原さんが、整形手術したことが世間に知られることを心配し、名の通った病院よりも“モグリ”のような医師を選んだためだった。

その代償は大きく、整形失敗を境に仕事は完全になくなってしまうことに。マネージャーや運転手などのスタッフが離れていっただけでなく、克服したはずの「ギラン・バレー症候群」も再発。さらにこの頃、母親の介護も重なり、彼女は追い詰められた結果、そううつ病まで患うことになった。

複数の薬を大量に摂取したこともあってか、体と心の調子を崩し、大原さんは自宅に引きこもる生活に。いつしか、友人や仕事関係者に時間を問わず電話をかけ「なぜ自分を(映画やドラマに)使わないのか」などと悪態をつくような状態に陥ってしまった。これには親友の浅丘も「優しかった麗子がどうしちゃったの?」と心配しつつ、距離を置かざるを得なくなるほどだったそうだ。

そんな大原さんに「自宅に取材に来い」と呼び出されたのが芸能リポーターの前田忠明。当時の彼女を「完全に普通じゃなかった」と振り返り、番組では、前田が大原さんの自宅を取材した時の映像を公開する。

こうして芸能界で孤立してしまった大原さんに救いの手を差し伸べたのが、73年に結婚した最初の夫である俳優の故・渡瀬恒彦さん。2人の結婚生活は約4年半で離婚という結末を迎えていたが、渡瀬さんは大原さんのことを心配し、自身が主演を務めるドラマ『十津川警部シリーズ』への出演を大原に勧め、結果この時の『十津川警部シリーズ 東北新幹線「はやて」殺人事件』(04年、TBS)が彼女の遺作となった。

番組では、2人が新婚当時に渡瀬さんの地元・淡路島で仲むつまじく過ごす様子をとらえた貴重映像も公開。さらに、実弟が語る孤独死の状況や、浅丘が語る最後に会った際の彼女の様子などを通して、「人間・大原麗子」に迫っていく。

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