いよいよ来年に迫った「東京オリンピック・パラリンピック(東京2020)」。開催にともない、世界各国から障害を持った方も大勢が東京を訪れる。近年、急ピッチで街のバリアフリー化が進められているが、果たしてうまく機能するのだろうか? 車いすで世界各国を旅してきた三代達也さんの答えは、少し意外だった。「バリアフリーの設備はもちろん大切ですが、もっと大切なのは"形のないバリアフリー"です」。"形のないバリアフリー"とは、何なのか? ――三代さんのこれまでの歩みを辿りながら、その言葉の意味に迫りたい。

  • 車いすで世界各国を巡った三代達也さん(写真:マイナビニュース)

    車いすで世界各国を巡った三代達也さん

たった一人、車いすで世界へ

2018年5月、三代さんは世界23カ国42都市を巡る旅を終え、日本に帰国した。旅の目的は"世界のバリアフリー調査"。旅行が億劫になっている車いすの人たちが重い腰を上げられるひとつのきっかけになればと、現地からバリアフリー情報をブログで発信し続けた。帰国後は、これら旅の経験をもとに国内各地で講演活動などを行っている。

  • ボリビアの「ウユニ塩湖」にて(写真提供:三代達也さん)

介助者をつけない、たった一人の車いす旅。道中、車輪が外れたり病に倒れたりと、困難は尽きなかった。どんなことがつらかったか、どんなことが嬉しかったか、そんな旅の模様や心情も事細かくブログには記されている。今、講演活動を行っていると、「ずっとブログを読んでいて、三代さんの講演会に参加するために、今日は〇〇から来ました」と、はるばる遠方から来てくれる車いすの方もいるそうだ。三代さんの活動は、障害を持つ大勢の方々の勇気につながっている。

――と、このように聞けば三代さんは実に行動力があり、ポジティブな人物だという印象を受けるに違いない。もちろん、その通りだ。でも、車いすでの生活を余儀なくされた当時は決して、そうではなかった。「もともと、すごくネガティブですし、向上心もゼロでした」と三代さんは当時を振り返る。

もう歩けないなら、死んでやる

高校を中退し、アルバイトをしながら好きなバイクに乗って毎日を過ごしてた18歳の三代さん。その生活は、交通事故を機に一変する。バイト帰りにバイクを運転中、前方から走ってきた自動車と正面衝突を起こしたのだ。事故により首を骨折し、頸椎を損傷。四肢に麻痺が残り、車いす生活を余儀なくされることとなった。

「それから2年ほど入院生活が続いたのですが、リハビリをボイコットしたこともありました。担当医から『現代の医療では治すことが難しい』と言われていたので、『治らないのに、こんなことしたって意味ないでしょ』とヤケになって。看護婦さんに『もう歩けないなら、死んでやる』と言ったこともあります。正直、"おれの人生は終わった"と思っていましたね。でも、"ここで諦めたら本当にすべてが終わってしまう"と思って、何とか思いとどまっていた感じです」

  • 交通事故に遭ったのは、18歳の誕生日を迎えたわずか数日後のことだった

そんな三代さんの支えとなったのは、同じ病室だった先輩の車いす患者の方の言葉だったそうだ。当時、ひとりで病院の外に出るなど考えもできなかった三代さんに対し、「実家に帰省するなら、ひとりで電車で帰れ」「退院したら、東京で一人暮らしをしろ」……そんな無茶とも思えるミッションをいくつも与えられたのだという。

「いつも最初は"絶対ムリだ"って思うんですけど、いざチャレンジしてみると何とか達成できたんですよ。未経験のことに対しては誰だって最初は恐怖心があると思うんですけど、勇気を出して挑戦すれば、その度にできることや可能性が広がっていく、ということを知りました。今考えると、当時の僕の話を親身に聞いてくれたうえで、あえて少し背伸びが必要なミッションを、その都度都度で与えてくれていたんだと思います。大切なことに気づかせてくれたその方は、僕にとって"人生の師匠"ですね」

退院後、三代さんは実家に戻ることなく東京で一人暮らしをスタート。それから趣味で車いすバスケットボールをはじめ、そこで知り合った方から在宅ワークの仕事も紹介してもらう。在宅ワークでひとりで仕事をするよりも、たくさんの人との出会いがある通勤の仕事をしたいと思い立ち、自ら自動車通勤を申し出たという。

「会社としては、在宅ワークの車いす社員が通勤形態になるというのは前代未聞だったそうなんですが、なんとか許可をいただきました。朝4時に起きて支度をして、自宅があった練馬区から会社のある立川市まで片道1時間半をかけて車で通勤していたのですが、正直なかなか体力的にはキツかったですね。でも、それを上回るぐらい充実感があったので、毎日働くのは楽しかったです」

初めての海外で知った、旅の魅力

一時こそ、将来に希望が持てなかったものの、たったひとりで仕事や生活ができるようにまで成長した三代さん。そうした日々の中、職場の人の何気ないひと言をきっかけに、その視野は世界へと広がることになった。

「職場の同僚に『夏休みは何するの?』と聞かれ、『いや、特に決めてないですね』と言ったら、『海外旅行とかに行ってみたら?』と言われたんですよ。自分が海外に行くなんて考えもしていなかったんで『いやぁ、さすがに海外は無理っすよー』と即答したんですが、『ハワイなら日本語が通じるしバリアフリーだし、いいんじゃない?』とアドバイスをもらい、"今まで無理だと思ったことにもチャレンジしてきたんだから、思い切って行ってみよう"と思ったんですよ。それから旅行代理店に行ったり、現地のバリアフリー事情を調べたりして、ひとりでハワイ旅行に行きました」

そうして、2012年9月に人生初となる海外・ハワイへとひとり旅立った三代さん。期待で胸を膨らませながら降り立ったワイキキのはずが、意外にも「せっかくの海外大冒険なのに日本人ばかりですぐ飽きちゃって(笑)」とのこと。しかし、その後に世界各国を巡るようになるきっかけは、観光客がいなくなった"夜のハワイ"だったそうだ。

  • 初の海外であるハワイ旅行をきっかけに、三代さんは単身で世界各国へと旅に出た(写真提供:三代達也さん)

「昼過ぎから観光に飽きて寝てしまったので、夜寝つけなくてふらっと街に出掛けてみたんです。そこで一軒の地元客で賑わうバーに入って、カウンターの端っこでビールをしんみり飲んでいたら、ちょっとガラの悪そうなお兄さんたちが話しかけてきたんですよ。『どっから来た?』『なんで車いすなんだよ?』と、初対面なのに質問攻めされました(笑)。でも、日本では車いすの自分に対して、そんなプライベートな質問をズカズカしてくる人はほとんどいないんです。やっぱり"触れちゃいけない"って思うんでしょうね。だから、フランクに接してくれるハワイの人たちが新鮮で心地よかったんです。仕舞いには、『バンドが演奏するから、一緒に踊りに行こうぜ』と言って、ステージ近くに連れて行かれて一緒に踊って過ごしました(笑)」

このように、"人種も文化も、そして障害も、何の垣根もなく人とつながれた"という体験に、三代さんは人生観が変わるほどの衝撃を受けた。それから「この感動を同じ障害を持つ人たちにも感じてほしい」「自分と同じように将来に希望が持てなくなっている人たちの役に立てれば」――そんな想いを胸に、単身で世界各国を巡る旅へと出発。現在、その数は23カ国42都市にも及んでいる。