1994年4月1日にスタートしたフジテレビ系情報番組『めざましテレビ』(毎週月~金曜4:55~)が、4月で放送で25周年を迎える。エンタメ情報にも注力するという新基軸を打ち出したが、それをずっと伝え続けてきたのがフジテレビの軽部真一アナウンサーだ。

そんな軽部アナに番組の歴史、平成のエンタメ、そして29日に生放送される特番『めざましテレビ×明石家さんま 平成のエンタメニュースの主役100人“ムチャ”なお願いしちゃいましたSP』(19:00~22:52)の見どころを聞いた――。

  • 軽部真一

    『めざましテレビ』エンタメキャスターのフジテレビ・軽部真一アナウンサー

■大塚範一キャスターは大きな存在

――『めざましテレビ』25周年おめでとうございます。番組開始から出演しているのは軽部さんだけですよね。

番組自体がなかなか25年続くこともないですし、ずっと携わることになるとは思わなかったですね。でも正直に言うと、気付けば25年という感じです。初めに担当するときは、「体力のこともあるので2年くらい頑張って」と上司に言われたので、まさか25年間担当するとは思っていなかったです。

この蝶ネクタイも、少しでも「蝶ネクタイの軽部」と覚えてもらおうと思って着けはじめましたが、おかげさまですっかり定着しました。いただくことも多くて随分数も増えました(笑)。当時、蝶ネクタイはあまりメジャーではなく、調達しにくかったようですので、スタイリストさんは大変だったと思います。あと4年で60歳になりますが、今は、自分ができるところまで出演したい、そして『めざましテレビ』にとって25周年は通過点だと思うので、30年40年・・・情報番組の日本記録を目指してほしいと思います。

――2018年の年間視聴率(関東地区)で、4年ぶりに同時間帯民放首位に返り咲きましたが、好調の原因は何でしょうか?

始まった当初は、日本テレビさんの『ズームイン!!朝!』が本当にとても強くて。たしか『めざましテレビ』の初回の視聴率は2.1%だったと思います。2回目は1.7%に落ちて。明るく分かりやすく伝えることがこの番組の特徴だと思うんです。そして、変えるところは変えるけれど、変えない、変わらないところはずっと変わらない。こうしていい感じで25周年を迎えられて本当に良かったです。

――スタート時からMCを務めていた大塚範一さんの存在は大きかったですか?

もちろん、とても大きな存在です。『めざましテレビ』の象徴ですね。定期的にみんなで会って食事会とかはしています。今回の特番も大塚さんに楽しんでいただきたいですね。

■スタート時の象徴は小室ファミリー

――その特番である『めざましテレビ×明石家さんま 平成のエンタメニュースの主役100人“ムチャ”なお願いしちゃいましたSP』が29日に生放送されますが、軽部さんにとって「平成のエンタメ」とは?

『めざましテレビ』は平成6(1994)年にはじまって、僕自身は昭和60(1985)年フジテレビ入社なので、ほぼ会社生活、アナウンサー生活、『めざましテレビ』=平成なんです。だから、なかなか「平成」だけをくくることは難しいですね。バブルの印象やトレンディドラマの流行りのせいかもしれませんが、平成のエンタメ界は全体的にキラキラしていた印象が強いです。

例えば、オリコンの歴代の売り上げを調べると、シングルで言えば、1位はいまだに子門真人さんの「およげ!たいやきくん」、2位がぴんからトリオの「女のみち」と両方とも「昭和」の時代のヒット曲なんですが、3位から10位まではぜんぶ平成の曲なんです。昭和は大ヒットが沢山ある印象がありますが、たしか平成はダブルミリオン以上が19作あるんですよ。特に平成の初期はダブルミリオン、トリプルミリオンがわんさか。そして、ドラマと主題歌の直結。ドラマが視聴率20%、30%とって、主題歌が売れて。『東京ラブストーリー』の「ラブ・ストーリーは突然に」(小田和正)、『101回目のプロポーズ』の「SAY YES」(CHAGE and ASKA)や、『素顔のままで』の「君がいるだけで」(米米CLUB)がそうですよね。

小室哲哉氏

――『めざましテレビ』のスタートした年は、小室ファミリーの人気が出始めた頃ですよね?

94年というのは、ちょうど小室(哲哉)さんの全盛期が始まったときで、たしか篠原涼子さんの「恋しさとせつなさと心強さと」が大ヒットした年、まさに安室奈美恵さんがデビューした頃で。僕はたしか『めざましテレビ』初年度に、安室さんにインタビューしているんですよ。まだ小室ファミリーに入る前のデビューしたてで。ですから、自分が『めざましテレビ』を始めたときのエンタメの象徴は小室ファミリーの音楽だったのかなあという気はします。昭和の時代にはなかったキラキラした感じがありました。いまだに平成という言葉を聞くと思い出しますね。

ほかには、モーニング娘。の全盛期、「LOVEマシーン」の頃の過熱ぶりは肌で体感してすごかったと思います。先日ベスト・アルバムが1位になったということでも分かるように、昭和で言うところのピンクレディー、キャンディーズの系譜…とにかくすごい勢いがあったなと思います。

■『踊る大捜査線』から始まった邦画の隆盛

――映画界はどうですか?

日本映画がすごく隆盛を極めたといって過言ではないと思います。『踊る大捜査線』に象徴されるようにテレビと映画が合体して大ヒット作が生まれた。1997年、たしかフジテレビがお台場に移った年に連続ドラマが始まって、当時視聴率はそんなに良かったわけではなかったけれど、何か新しい警察ドラマが始まって面白いと支持されて。それが、映画が作られたことで爆発的にヒットして。その数年後に作られた『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(03年)はいまだに邦画の実写のNO.1だし。テレビから始まったものが映画に移行したことによって完全にブレイクして、織田裕二さんの青島刑事が国民的な存在になった。

昭和もいい邦画はたくさんありましたが、ヒットということに関して言えば、やっぱり平成の方が多かったように思います。一方で宮崎アニメもブランドを確立して、日本のアニメーションが定着しました。

  • 『踊る大捜査線』

――洋画はどうでしたか?

洋画では、『タイタニック』というメガヒットがありました。あの時代のスターが平成ではずっと君臨していたようにも思います。トム・クルーズ、ブラッド・ピット、レオナルド・ディカプリオ、ジョニー・デップ…30年いまだに同じスターが第一線で活躍していて、新しいスターがあまり生まれていない。そこが寂しいところでもありますが、ここ5年10年の間に(映像配信の時代になったことも含めて)ロードショー、スクリーンといった、ハリウッドスターを中心とした映画雑誌が次々廃刊されてしまっていて。

その一番の要因は新しいスターが生まれていないということのように感じます。ちょっと残念ではありますが、その分、トム・クルーズらのスーパースターが強く、強い分次のスターが出てこないという印象があります。いろいろな形で映画が見られるようになったということも大きいと思います。

――では最後に、『めざましテレビ×明石家さんま 平成のエンタメニュースの主役100人“ムチャ”なお願いしちゃいましたSP』の見どころをお願いします。

僕はアカデミー賞の授賞式会場でハリウッド俳優相手に“ムチャ”なお願いをしてきました。それはぜひ見ていただきたいです。また、『めざましテレビ』でエンタメを25年担当させていただいたおかげで、本当にいろいろな方を取材させていただきました。昔ハリウッド俳優を取材したVTR、改めて見たいですね。

MCのさんまさんとは『あっぱれさんま大先生』『さんまのまんま』『ホンマでっか!?TV』と僕は結構出演させていただいています。『さんまのまんま』に出演したのはまだ独身だった頃で、当時ムチャクチャ突っ込まれたことを覚えています(笑)。長いにぎやかな1日になりそうですね。

●軽部真一
1962年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、85年フジテレビジョンに入社。『めざましテレビ』のほか、『ミュージックフェア』、『男おばさん!!』(フジテレビTWO)、『日曜邦画劇場』(日本映画専門チャンネル)、イベント『めざましクラシックス』を担当。