• 田中道子

FFにハマって気づけば建築士2級取得

――モデルを極める道もあったと思いますが、ゼロスタートする勇気もすごいと思います。

たしかに転職するぐらい、やることも全く異なります。モデルは見本にならないといけないので、ダメな部分は一切出せない……そう思っていました。ミスコンには知性や教養、聡明さみたいな理想像があって、それを目指していたんですが、バラエティに出させていただくようになってから自分のダメな部分が必要とされることに気づいて、自分のもう少し個性を活かしていきたいと思うようになったんです。偏食だったことも事務所にも隠していたんですよ。そこを面白がってもらえたのが初めてで、こういうダメなところも女優だと「個性」になる。素のままの自分を受け入れてもらえたのがすごくうれしくて。もちろん、今でもモデルはとってもやりがいのあるお仕事です。

――田中さんの経歴は、まさに「趣味が高じて」。大のゲーム好きでFFをやりこんでいるうちに街のデザインに興味を持ち、勉強していると建築に興味を持ち、最終的には建築士2級を取得。すごい流れです(笑)。

ゲーム会社に就職したくてデザイン系の学校に行き、RPGの世界を作るために大学では都市開発コースを選びました。スクエアエニックスに履歴書を送ったんですが、落ちてしまって。去年、スクエアエニックスさんのお仕事があって、ついに本社に行って来ました。5年前のことを話してみたんですが、当時は新卒をそこまで採用していなかったそうで「すみませんでした」と謝ってくださって(笑)。都市開発を学ぶうちに、建築に興味が芽生えました。

  • 田中道子

――なぜ資格まで取ることになったんですか?

もともと短絡的なところがあって、一早くステップアップしたいタイプです。即戦力になって仕事をバリバリやるためには資格をとっておいた方がいいというシンプルな動機です。働きながら資格をとるのはすごく大変だと思ったので、大学在学中に集中して勉強しました。資格を取った頃に今の事務所に声をかけてもらって。学生時代に受けていたミスユニバースの大会で、オスカーのマネージャーさんと知り合いだったんです。その時は事務所に入る予定はなくて、ちょうど就職活動で東京来た時に、「事務所が移転したばかりだから遊びに来て」と誘われて。偶然、社長と10分ほどごあいさつするタイミングがあって、「女優を目指さないか?」と声をかけていただきました。しかも、「来週上京してほしい」と言われて。それを親に話したんですが、もう大げんか……。

ミスコンに応募した理由とは

――朝日新聞のインタビューにもそのことが書かれていましたね。お父様は猛反対されたそうで。

そうなんですよ。「女優? 就職すると言って東京に行ったじゃなかったのか!」と怒られて。父は芸能に本当に疎くて、たぶん自分が知らない世界に娘が行って、傷つくのが心配だったんだと思います。その当時の私は23歳。結局、1週間で父を説得できませんでした。口も聞いてもらえなくて、トランク1つで飛び出したんです。

  • 田中道子
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――それこそ、最短ルートで芸能界デビューですね(笑)。

本当ですね(笑)。1度きりのチャンス。これを逃したら一生無理だと思って。建築のお仕事はいずれできるかなというのもあって。芸能のお仕事は今しかできないので二つ返事で「行きます」と言いました。

――今ではお父さんも応援してくれているんですよね。

ミスワールドでやっと認めてくれて、『ドクターX』に出る時は、「道子はできると思っていた」と手のひら返しで(笑)。

――そうでしたか(笑)。芸能界デビューよりも前に、なぜミスコンに応募されたんですか?

世界を回る仕事をしたいと思っていたので、世界大会があるミスコンはすごく魅力的でした。グランプリをとると、1年間世界中をまわってチャリティイベントに参加するんです。それにすごく憧れていて。学生時代に受けた時に、ミスユニバースで3位だったんですよね。その時は上京する決心がつかなくて、いずれリベンジしたい気持ちがあったので、上京してから勧められたミスワールドにエントリーすることになりました。そこでグランプリをとれたんですが、それまでの半年間はお金がなくて昼ごはんを抜いたり。家を飛び出してきたので、仕送りはお願いできなくて。敷金礼金ゼロ、家電や家具が揃っているシェアハウスに入って、タイ人の女の子と一緒に住んでいました。その子は、私を不憫に思ってご飯を作ってくれたり。でも、私パクチーが苦手で、全然食べられなくて(笑)。もうタイに帰ってしまいましたが、ミスコンをとったあとぐらいに会いに行きました。彼女がいなかったら、飢えて死んでいたかもしれません。

――心優しい方ですね。9月4日放送の『有田哲平の夢なら醒めないで』(TBS系)を自宅で見ていて、トーク力にびっくりしました。なかでも、ミス・ワールド2013の日本代表に選出された後に受けたオーディションでのエピソードが印象深かったです。

ありがとうございます。

  • 田中道子

あの日叱ってくれた某誌編集長へ

――田中さんが「私はミスワールド日本グランプリ・田中道子です」と自己紹介すると、面接官の某誌編集長から「その肩書きで勝負できると思ってる?」「それ何の意味があるの? 舐めないでくれる?」と突き放され、大喧嘩の末に泣いてしまったそうですね。この編集長の言葉にはすごく大事なメッセージが込められていたんじゃないかと思うのですが、現時点で、あの日の言葉をどのように受け止めていますか。

本当にミス・ワールドには感謝していて、今でも事務局の方と連絡取り合っています。言われた直後は編集部で大泣きして口答えしてしまったんですけど、その数日後には猛省しました。なんて、優しい方なんだろうと……。普通はそんなこと、言ってくれません。「あなたのことを思うから言わせてもらうけど」という前置きがあって。それは本当にありがたくて。「活躍は絶対にチェックするから、また仕事をしたいと思った時に声をかけます」と言われて、その半年後ぐらいにちゃんとお仕事をくださいました。例えば「きれいですね。機会があればまたどこかでお会いしましょう」と送り出されるよりも、愛を感じます。天狗になっていた鼻を、根本からへし折っていただきました。

当時はその雑誌に出ることがどれだけ大変なことか、その意味をきちんと理解していなかったんですよね。同じ雑誌に出続けて、常にベストパフォーマンスをすることのすごさを。正直、めちゃくちゃ生意気だったと思います。「絶対にできるのでやらせてください」という何の根拠もないアピールで。その言葉に嘘はなかったんですが、当時はモデルの経験が全くなかったので、めちゃくちゃに言われて猛省して。その次に受けた別の雑誌のオーディションでは、編集長が気に入ってくださって。一度、厳しさを味わってから起用してもらえたので、本当にうれしくて。もっともっと練習して、もっともっと期待に応えたい。あの一言は私にとって大きな言葉だったと思います。

――どんな仕事にも通じる言葉だと思います。

そうですね。26歳から女優をスタートして、オスカーでも同期がいなくて。他事務所でも同じくらいの年齢の方ともあまりご一緒したことないんですよね。演技について語り合える人が一人もいないから、へなちょこに言われることがないんですよね。それは今でも危惧していて。レッスンではあえて厳しい先生についたり、共演者の方にあえて厳しい意見を求めてみたりしています。仕事に対してはM気が芽生えました(笑)。

――現在の職業観の原点となる大切な出来事だった。

厳しい言葉をかけてくださった編集長に、後日、懺悔の言葉と正直な思いを手紙に書いてお送りしました。けちょんけちょんに言われた2週間後ぐらいだったと思います。

――人を叱ることの大切さと重みをあらためて実感しました。

そうですね。叱ってもらえるうちが華だなと思います。いずれオスカーで先輩の立ち位置になった時にも甘い言葉だけじゃなくて、厳しい言葉も言える先輩になりたいです。

■プロフィール
田中道子
1989年8月24日生まれ。静岡県出身。身長172センチ。O型。2011年、ミス・ユニバース・ジャパン2011で3位入賞。オスカープロモーションに所属後の2013年、ミス・ワールド2013の日本代表に選出される。『ドクターX~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系・16)で女優デビューを飾り、その後も『貴族探偵』(フジ系・17)、NHK大河ドラマ『西郷どん』(18)、『絶対零度~未然犯罪潜入捜査~』(フジ系・18)に出演。