新型「フォレスター」を発表したばかりのSUBARU(スバル)は、販売台数の半分以上を米国市場で稼いでいることでも知られる。なぜスバルは、かの地で現在の地位を確立できたのか。日米のクルマ選びは何が違うのか。同社の北米営業担当に話を聞いてきた。

  • スバルの新型フォレスター

    米国で販売台数の半分を稼ぐスバル。その地位をどのように確立したのか(画像は新型「フォレスター」)

販売台数は10年連続で前年超え

スバルが通算5代目となる新型「フォレスター」を6月20日に発表した。発売は7月19日となっているが、5月18日に始まった先行予約は6月18日までで4,119台に達しているという。販売計画台数は月販2,500台というから、この数字をクリアすれば年間3万台を売ることになる。

  • スバルの新型フォレスター

    通算5代目となる新型「フォレスター」

しかし、スバルといえば米国を忘れてはいけない。フォレスターは昨年、モデル末期にもかかわらず17.7万台を売っているからだ。「レガシィ アウトバック」はさらに上を行っており、18.8万台を記録している。

スバルが米国に進出したのは今からちょうど50年前のこと。1968年に現地販売会社であるスバルオブアメリカ(SOA)を設立し、第1号車として日本では「てんとう虫」の愛称で親しまれた軽自動車「スバル360」を売り出した。1990年にはそのSOAを100%子会社とした。

  • スバルのレガシィアウトバック

    「レガシィ アウトバック」(画像提供:スバル)

ただし、現地法人設立が上昇のきっかけだったわけではない。販売台数が急激に伸びたのは2008年からであり、それ以降は10年連続で前年超えという好成績が続いている。オフィシャルサイトのデータによると、日本での販売は2012年度も2017年度も約16万台なのに対し、米国でのそれは35万台から67万台へと倍近くに成長している。

グローバルでの販売台数も72万台から106万台に伸びているのだが、その伸び幅を見れば、原動力が米国にあることが分かるだろう。