一方の三菱自。今期中間決算発表は、まず燃費不正問題のお詫びから入った。2000年代初頭の「リコール隠し」から立ち直った矢先の今回の問題。同社は信用失墜という「信用負債」を抱えて再生へと歩き出すことになるが、復活への道筋が全く見えないわけでもない。

中間決算で損失を一括計上、復活の準備に入る三菱自

三菱自の中間決算は、営業利益316億円の赤字。当期純利益では燃費試験関連損失1,662億円の特別損失を計上し、2,196億円の大幅赤字となった。今期の通期業績見通しでは、営業利益276億円の赤字、当期純利益2,396億円の赤字となる予想だ。

中間決算説明会に登壇した三菱自副社長執行役員の池谷光司氏は、「日産が2000年頃からやってきた改革の手法は(三菱自でも)全社的に活用できる」と話していた

つまり、三菱自は日産の出資完了を前に、将来発生しそうな損失を中間決算で一括計上し、業績の大幅下方修正に踏み切ったのだ。奇しくも三菱自の当期利益赤字幅は、日産の出資額2,370億円とほぼ同額である。

益子体制では一定の成果

三菱自動車といえば、1970年に米クライスラーとの合弁提携とともに、三菱重工業の自動車事業部門が独立した会社だ。当時は軽自動車から大型トラックまでを取り扱う、世界でも類を見ない総合自動車メーカーだった。1990年代半ば頃までは、トヨタ、日産に次ぐ日本車メーカー第三勢力の旗頭の位置づけを強めていた。一時はメインバンクが同じ三菱銀行であることから、「三菱自、ホンダを買収か」と言われたり、あるいは「日産の背中が見えた」と三菱自トップの発言で話題になったこともある。

だが、1996年に米国工場でのセクハラ問題、翌年に総会屋への利益供与事件、2000年にはリコール隠しと不祥事が続出する。2000年にはダイムラークライスラー(当時)の出資を受けてダイムラー傘下となったものの、2004年にリコール隠しが再燃したことで、ダイムラーは「三菱ふそう」のトラック部門を子会社化し、三菱自からは手を引くことになる。その後は三菱グループの主力企業である三菱重工、三菱商事、三菱銀行が再建支援に入り、2005年には三菱商事の自動車事業本部長だった益子修氏が三菱自社長に就任したという経緯がある。

益子体制となった三菱自は、タイを中心とするアジア戦略を強化するとともに、車種を軽自動車とSUV(スポーツ・ユーティリティ・ヴィークル)に絞り、合理化経営を徹底した。その結果、2014年3月期には三菱主力3社の優先株を解消するとともに、復配にこぎつけた。益子体制9年間の再建策は終わり、昨年には三菱自プロパーの相川哲郎氏が社長に就任。益子会長・相川社長体制に切り替わった矢先に「軽自動車燃費不正問題」が露呈したのだ。