『ひとりは安らぎ感謝のとき』(1,000円・税別)の著者である梅木信子先生にお話をうかがった

KADOKAWAはこのほど、96歳にして現役医師である梅木信子先生の著書『ひとりは安らぎ感謝のとき』(1,000円・税別)を発売した。

通称"梅ちゃん先生"こと梅木先生は、1920年(大正9年)生まれの96歳。結婚式を1カ月後に控えた23歳のときに、婚約者・梅木靖之さんを戦争で失った。裁判によって婚姻関係が認められ、軍人遺族特権である医学校の優先入学制度を活用し、医師の道へ。戦後は、開業医として東京都日野市で89歳まで勤め上げ、現在は、ご主人との思い出の地でもある兵庫県神戸市・垂水で一人暮らしをしている。

"遺影と結婚"した梅木先生は、ご主人への一途な愛を胸に独身を貫いてきた。そして「亡き夫に養われている」と自覚し謙虚に生きるために、遺族年金で暮らすことを生活の信条とし、"余剰金"となった医師としての報酬で、ご主人の母校である神戸大学海事科学部に奨学金制度を設けた。

同著では、ご主人とのなれ初めとともに、戦争の記憶や医師としての日々、死生観、老人のあるべき姿や若い世代へのメッセージなどがつづられている。

梅木先生の壮絶な人生は、あふれんばかりのモノに囲まれて欲深く生きている現代人にとって、とてもまねできるものではない。特に、弱音を吐きたくなるような状況でも「楽しい」「幸せ」と思える強い精神力には驚かされる。今回は梅木先生にお会いし、"毎日の暮らしの中に幸福を見つける"心の持ち方を教わってきた。

東京を離れ、思い出の地・神戸で一人暮らし

東京都日野市の医院を閉じ、90歳のときに兵庫県神戸市・垂水へ移り住んだ

――東京から神戸に移住されて何年になりますか?

もう6年。早いねえ。1年ぐらいで死ねるかと思って帰ったのに、6年もたっちゃったの(笑)。

――東京に未練はありませんか?

ないねえ。患者さんもどんどん年を取ってきて、ヨレヨレになっていくでしょ。見てるのも悲しいじゃない? こっちに来るとき、「私たちの孫が面倒を見るから、東京にいてください」って、みんな言ってくれたよ。でも、東京より神戸のほうが(気候が)あったかいもん。風もおだやかだし。東京はちょっと荒ぶってるよね(笑)。

――神戸のご自宅では家庭菜園をされているそうですね。

そうそう。バジルは難しいのよ。サンチュは育てやすくて、じゃんじゃんできる(笑)。マンションの8階だから虫も来ないし、日当たりも最高!

――素敵ですね。とても健康そうですが、これまでに大きなご病気をされたことは?

いっぱいあるよ~! 母も姉も弟も結核で、私も患ったの。それで左の肺に空洞ができてしまったんだけど、治そうとしてくれた先生がいて、腹部に空気を入れる治療法をしてもらったら、今度は横隔膜が破れてね。危うく死にかけたの。

あと疎開していたころに、急性虫垂炎にかかって手術しないでそのままにしておいたら、そのあと何度もなった。医局にいたころは、"若返りの薬"って言ってホルモン注射をいたずらに打ったら体中に炎症が起きてね。そのとき猩紅(しょうこう)熱が流行(はや)っていたから、隔離病棟に入院させられちゃった。忙しい医局から逃げて、3週間も悠々と寝てたの。そしたら皮膚科のお友達がお見舞いに来て、「これはおかしい、猩紅熱じゃない」って。だから注射のことを白状したわ(笑)。

今は年寄り病ね。血管が細くなって、神経が圧迫されてるでしょ? それで、ときどき腰が痛くなるのね。耳は遠くなったし、目もかすんでる。これは年寄りだもん、しょうがないよ。

――腰痛改善のために、マッサージを受けたりはしますか?

そんなものきかない(笑)。私の家に長い廊下があって、天橋立のポーズ(※)を3~4回やるの。ひっくりかえるでしょ? そしたら脊椎が開くから、楽に歩けるようになる。整形外科の先生に言ったら笑ってた。でも「いい方法だね」って。

※かがんで股(また)から後ろの景色をのぞくポーズ

――お元気ですね(笑)。寝るときは、お母さんのお腹の中にいるときの胎児のポーズをとって、よく寝返りを打たれているとか?

そう、寝返りを1晩に何度も打つのよ。赤ちゃんだって寝ている間に、ベッドの端から端まで行っちゃうことあるじゃない? それと同じ。寝返りって運動になると思うの。若い人はお行儀良く寝ていればいいけど、年寄りは体が固まってしまうから、動かしているほうがリハビリになるわよ。