――今回の現地取材で、伝えられて良かったと感じた部分は何ですか?

そんな偉そうに言えないと思いますが、最初のうちは、被害の全容が見えないところを、僕らの取材で伝えることができたりとか、物資が足りないところに届けるための体制が構築されたりとかいうことが、仮にあったとすれば良かったと思います。そう信じて報じていた部分もあるかもしれないですね。

――逆に課題はありましたか?

僕の担当する全国ネットのニュースを考えると、発災1週間のタイミングのときに、熊本が発する教訓というのを全国に放送する意味もあるとは思うんですけど、一方でそれは被災地の人にとって今必要な情報ではないというジレンマは終始ありましたね。例えば、防災拠点である市庁舎が損傷してしまったという事実を教訓として、他の地域でも財政の問題はありますけど、施設の耐震を考えるということはテーマの1つとしてあると思うんです。だけど、今まさに市庁舎の代わりとなった体育館で市の職員の方が一生懸命頑張ってるじゃないですか。だからそこの部分のバランスや、メッセージを発するタイミングは、難しいなと思いました。

また、この後のステップというのが本当に難しいですよね。取材している間に「負けんばい熊本」と書いてあるシールがどんどん貼られていくんですよ。水しか出ない美容室でもそれを貼って商売を始めるんです。そういうお店がポツポツ出てくるので、そういう気持ちは応援したいじゃないですか。一方で、熊本全部が前向きなんですよ、元気なんですよというのも誤ったメッセージになってしまう。そういう多様化が起きていくので、その"まだら感"を併せて伝えていく必要があると思いました。今回の現地からのレポートでも、後半は「まだら模様です」と何回も言ってるんですけど、言ってるだけになっているなと思って、最終日は西原村から中継したんです。震度7の揺れを観測したんですが、なんとなく忘れられているという感じがあったので。

――取材は膨大な量になったと思いますが、放送枠は限られます。そこで感じるジレンマもあったのではないでしょうか。

この手法にはいろんな意見がありましたけど、避難所の方々へのインタビュー取材は、実際には10人に話を聞いても、放送ではどうしても2~3人の一部分を切り取った一言二言を使うことになりますよね。渋谷で「好きな芸能人は誰ですか?」と聞くインタビューと形的には同じですけど、内容の重さはやっぱり全然違う。本当につらい思いをされている中で、その思いをあえて聞きに行くというのは、ある種残酷なことをしいている面は多分にあると感じましたし、それでも熊本の今を伝えるべきだという方が取材に応じてくださってるんですけど、その声をテレビの制約の中で全部を紹介できないという部分が、たくさんありました…。その辺りのジレンマはすごくありましたね。

でも、東日本大震災のときもそうだったんですけど、たくさんお話してくれる被災者の方が多くなりました。もちろんマスコミが来ること自体を嫌がられる方もいらっしゃるんですけど、誰かに話しかけられて、自分が今どういう気持ちでどういう状況だというのを口に出してお話しになることで、ストレス発散になって、少し楽になれる方もいるそうなんです。だからインタビューをして、ものすごくお話されても、こちらから軽く切り上げるようなことはしないように心がけました。テレビ屋なので「ここは放送で使われないだろうな…」と思うこともありますよ。でも、そういうことを抜きにして最後まで聞くんです。それならカメラを回さずに話を聞くべきという声もあるかもしれないですけど、カメラがあることで被災者の方に近づいていけるという面もありますからね。

――番組ホームページには、熊本の方からも伊藤アナに「震災直後から長く熊本を取材していただいてありがとうございました」など、感謝のメッセージがたくさん届いています。

うれしいですよね。避難所となる学校の体育館で、耐震工事をしたにもかかわらず壊れて使えなくなってしまったところが、熊本市内で24校もあって、各校を取材したんです。すると、必ずその学校の先生がいて、避難所の運営と、いつか来る学校再開のために、細かい仕事をされているんですよね。そこで、ある学校から中継したその日の放送の最後に、「耐震工事を終えた学校でも被害を受けてしまう地震でした」という全国への教訓をお伝えした後に、「避難所は全部学校で、先生方も被災されているにもかかわらず、歯を食いしばってお仕事している様子を見ました」と言ったんです。

すると、放送終了後にディレクターが「伊藤さん! 校長先生が呼んでるんです!」と飛んできたんですよ。「あぁ、生中継で避難されている方にご迷惑をお掛けしたかな…」とかいろいろ考えながら駆けつけると、校長先生が号泣しているんです。「どうしたんですか!?」って聞いたら、「伊藤さんが最後にあんなこと言ってくれて、うれしくて…」って。発災から2週間弱で、いっぱいいっぱいの状況だったんですよね。「先生、泣かないで」って言いながら、「ああ、みんな限界に来ているんだな」と思いましたね。そして、そういう先生がいるということを見て、やっぱり一言一言を大事にしなきゃいけないなって、あらためて思いました。