「あさロス」という言葉が生まれるほど、回を重ねるごとに人気が高まったNHKの連続テレビ小説『あさが来た』。日本女子大学や大同生命が、このドラマのヒロインのモデルである広岡浅子という一人の女性の大きく高い志から生まれたことを、このドラマを通じて知った人も多いのではないだろうか。そこで、広岡浅子氏が創業に関わった大同生命を訪ね、その精神が今、どのように引き継がれているかなどについてインタビューした。

インタビューに応じていただいたのは、大同生命の執行役員広報部長の小川琢磨氏。東京都中央区日本橋の東京本社にお伺いした。

大同生命の執行役員広報部長の小川琢磨氏

「加入者本位」と「堅実経営」が"社是"

――テレビドラマだけではなく、御社のホームページにも広岡浅子氏のことは詳しく掲載されていますし、伝記なども読ませていただいたのですが、広岡浅子氏が近代日本における女性実業家のさきがけということがよくわかりました。あらためて、広岡浅子氏の創業理念が御社の事業にどのように受け継がれているかお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。

浅子は「社会の救済」と「人々の生活の安定」という想いを生命保険事業に託しました。当社が設立時に社是として掲げた理念は、「加入者本位」と「堅実経営」です。その理念を現在も継承しています。大同生命は3つの保険会社が合併してできたのですが、その合併契約書の中に、こうした趣旨が書かれてあります。その合併をしたのは、浅子の嫁ぎ先の加島屋ですが、その加島屋を仕切っていたのが浅子と浅子の夫の信五郎、信五郎の弟の正秋の3人でした。

――合併契約書に、「社是」が書かれていたのですね。それが、浅子氏の考えていた創業理念に基づいているわけですね。では、御社の社員教育などでは、どういう形で社員の方々に浅子氏の紹介をされているのでしょうか。

社員に配付された100年史には以下のように書かれています。元々大同生命をつくる基本となった会社だった朝日生命(現在の朝日生命とは異なる)の前身は、真宗生命という名古屋で営業していた会社です。それは加島屋とは関係なく営業していましたが、真宗生命という名前が示すとおり、浄土真宗の門徒さん、檀家さんのための保険会社で、営業範囲が限られていたこともあり、経営が行き詰まり、加島屋に支援を依頼したという経緯があります。

加島屋はもともと浄土真宗の門徒代表のような家だったので、支援を申し出たという経緯があります。それを浅子を含めた加島屋の当時の3人が、生命保険事業は社会的な意義が高く、人々の生活の安定というものにつながると考え、お引き受けしたのです。

当時の加島屋本家(写真:大同生命提供)

ところが、朝日生命1社だけではなかなか事業として成り立つことは難しく、幾つかの会社を合併して事業基盤を大きくしたのが大同生命です。「社会の救済」や「人々の生活の安定」、そういったことに着目した事業だったので、加入者が一番大切で、堅実な経営をしないといけないということで、2つの社是として現代までつながってきています。

「男性ができることは女性の自分にもできるはず」「お家のために頑張る」

――そこに浅子氏ら3人の方々の理念が入っているということですね。それにしても、女性が決して社会進出しているわけではない時代に、浅子氏は高い理想を掲げて経営に参画し、かなり先駆的な感じがするのですが、「加入者本位」と「堅実経営」の社是に、女性的な要素が入っているという感じはありますか。

女性的というよりは、浅子はドラマでも描かれていますが、男性がやることを女性の自分がやれないことに不満を持っているということは言っています。つまり、自分は男性と同じようにやれるのになぜ禁止されているのだろうと思っていたのです。そういう時に、加島屋に嫁いだのです。嫁いだ当初から、加島屋がもしつぶれるような危機に瀕したら、「自分は頑張らねばいかん」という使命感を持っていました。「お家のために頑張る」という気概があったのです。

NHKの連続テレビ小説『あさが来た』のヒロインのモデルである広岡浅子氏(写真:大同生命提供)

「お家のために頑張る」という考えで行動した結果、綿花の紡績、鉄道などの様々な事業に加島屋は進出しました。銀行も生命保険もそのうちの1つなんです。それらはすべて、社会のインフラになっていく事業です。銀行にしても保険にしても、綿花にしても、女性的というよりは、家のために頑張り、次は社会のため、国のために頑張るという発想です。そのために、女性教育も必要だということになるわけです。元々は女性と男性は変わらないという基本理念で、女性も社会や国のために男性と一緒にいろいろな教育を受けて実践すればいいのではないかという発想です。

浅子氏に見る「大阪の女性らしさ」とは?

――浅子氏について書かれた本を読ませていただきましたが、東京の貴婦人は着飾ること、遊ぶことに長けているが、大阪の貴婦人である「御寮さん」は、文化を発信することができるというふうに浅子が考えていたと書かれているのですが、浅子氏に大阪らしさみたいなものはありますか。

御寮さんという言葉は大阪船場の奥様ということです。東京は武士の世界がベースになっていて官の世界。大阪は民の世界で商人の世界。商人の世界の奥さんというのは、「官の奥さんとは違うぞ」ということを言っているわけです。このドラマの時代考証をしている宮本先生がおっしゃっていたのですが、商家の奥さんは基本的に会社の人事部長みたいなことをやっていたと。人が採用されたら、その人の世話をして、着物を縫ってあげるなど、従業員の生活の面倒をみるのが商家の奥さんだそうです。そういう意味で、「御寮さん」は商売の中に組み込まれているんですね。

――なるほど。御社の事業は現在、中小企業の経営者向けの保険が中心ということですが、御社を創業した浅子氏らの、「社会の救済」、「人々の生活の安定」という理念は、どういうふうにして事業化されていったのでしょうか。

明治時代の社会構造は、小さな中小企業がたくさんあって、今のようにサラリーマンと事業主は分かれていなかったのです。町人は自分の持ち金で事業をやっていて、個人か法人かは分かれていない中でやっていたと思います。浅子はそれらを総合して、人々が病気になったときに助かるようにと事業をやっていたのだと思います。大同生命が中小企業に特化するようになったのは昭和40年代中ごろですが、浅子がやっていたことをやろうとしたわけではありません。戦前は個人向けの保険会社でした。

――浅子氏の娘婿の広岡恵三氏が長く経営を発展させたということが私が読んだ本に書かれていたのですが。

初代社長は浅子の義理の弟である正秋です。彼がしばらく社長を務めた後、恵三が加島屋に入り、33年間社長をしました。当時の写真から分かりますが、大同生命の本社は最初は小さかったのです。当時の保険会社はそれほど大きくなかったのです。そういう時代から、次第に大同生命が大きくなっていくための会社の基本構造をつくっていったのが二代目の恵三です。

大同生命は「三つの創業」を経て現代に - 浅子氏のDNA引き継ぐ

――これだけ大きくなった原動力は何なのでしょう?

原動力は、創業からの理念を大切にし、しっかりと事業をやってきたということだと思うのですが、当社について少しだけ特長があると思うのは、社内では三つの創業と呼ばれている改革です。最初の創業は大同生命ができたとき。二つめの創業が昭和40年代の半ばに中小企業マーケットに特化したときで、大変革をやりました。三つめの創業が、ちょうど創業100年のときですが、日本で初めて相互会社から株式会社に転換したことです。

こうして節々に変革をしてきました。しっかり準備をして思い切ったことをやっていくということが、当社の特長ではないかと思います。浅子のDNAが受け継がれているかもしれないと思うのは、そういった思い切ったことをやってきたということではないかなと思います。

――第二の創業として位置づけられている、昭和40年代半ばの中小企業マーケットへの特化は、何かきっかけがあったのでしょうか。

中小企業は今でもそうですが、社長は社長兼営業部長であり、そして財務部長であり、工場長であるというような役割であることが多く、そうした社長がお亡くなりになると会社が立ち行かなくなることも多いのです。当時、中小企業が多く加入するある団体から「社長が亡くなっても会社が続くような保険の開発をしてほしい」と、いろんな保険会社に依頼があったなかで、当社が手をあげて保険の開発に取り組んだのです。

――中小企業の経営者が亡くなっても、会社が存続できるようにと。

そのための大同生命です。当社のCMでも、「長くつづく会社が多い国は、いい国だと思う。」と発信しています。私たちはそういう保険会社です。

――ダメな会社はつぶれればいいみたいな考えもあります。ですが、それと逆というか…

社長が不慮の事故で亡くなった、あるいは病気で働けなくなった、それで会社が無くなってしまうのはもったいない。そこで働いている従業員は何の悪いこともしていない。それを続けられるようにしようということです。

――すごいですね。そういう保険があるということが、あまり普通の人は知らないですね。中小企業の経営者は知っているのでしょうか。

中小企業の経営者の方にはよく知っていただいていると思います。

――日本にはたくさんの中小企業があると思うのですが、どれぐらいの方が保険に加入されているのですか。

当社は36万社からご契約をいただいています。社長さんがお亡くなりになると、その保険金は会社に支払われます。保険料を支払うのも会社です。会社が存続できるよう、会社がリスクヘッジしているのです。

――浅子氏は三井のご令嬢だったと思いますが、そうした方が日本の経済を下支えするような保険会社を創業したというのは、日本の底力を感じますね。

浅子は、三井のご令嬢というより、大阪の商家に嫁いだ人です。大阪は今でもそうですが、中小企業が多いです。そういうようなところに来て、商売のセンスをしっかりと学んで、いろいろな商売をしたのですが、その会社の一つが中小企業を守る会社になろうとは、浅子も「びっくりぽん」かもしれません。

――思い切ったことをするDNAがあるということですね。

ドラマではヒロインが、群れの中から始めに飛び出す1匹の勇敢なペンギンである「ファーストペンギン」に喩えられていましたが、思い切ったというか、節々に挑戦していくところがありますね。

大同生命110周年の『小説 土佐堀川』復刊がドラマ化のきっかけに

――やはり浅子氏のDNAは健在ですね。ところで、ドラマ原作の『小説 土佐堀川』も売れ行き好調と聞いたのですが。

『小説 土佐堀川』は1988年に出版された後に絶版となりましたが、今は12刷となっています。復刊の経緯は、大同生命は2012年に創業110周年を迎えましたが、当時の社長から、社員や関係者に浅子のことを知ってもらうために『土佐堀川』を購入するように指示がありました。しかし『土佐堀川』は既に絶版で、Amazonでも在庫切れで1冊も入手できませんでした。そこで、潮出版社さんに依頼して復刻してもらい、最初に5,000部出版して、それをNHKの方が見てくださり、ドラマ化のきっかけになりました。

――御社の110周年がきっかけになって、それで復刊されて、ドラマにという流れなんですね。この本を復刊しなかったら、ドラマにはなっていなかったかもしれないですね。当時の社長さんの功績は大きいですね。

NHKのプロデューサーは、関西で活躍した女性を探し回っていたそうです。

――なるほど。やはり、時代が浅子氏を求めていたということでしょうか。ドラマの人気ぶりからもそんな気がします。本日はありがとうございました。


いかがだっただろうか。「思い切ったことをきちんと準備してやっていく」という広岡浅子氏のDNAが、大同生命に健在であることを、個人的に強く感じたインタビューだった。また、最後にも書いたが、ドラマ化の経緯を見ても、時代が広岡浅子氏を求めていたような気がしてならない。浅子氏に刺激を受けた皆さんの一層の活躍を願いたい。