池上彰と聞けば、誰もが「解説のわかりやすいジャーナリスト」というイメージを思い浮かべるはずだ。ニュースでよく聞くけど実はあまりよくわかっていない時事問題も、池上彰の解説を聞けば短時間でスッキリ理解することができる。「はじめからこうやって説明してくれたらもっと早くわかったんだけどなぁ」と思うことも多い。池上彰のニュース解説番組がこんなにも人気だということは、つまりそれだけ世の中にはわかりづらい説明が多いということでもある。

なぜ池上彰のニュース解説はあんなにもわかりやすいのだろうか。他の人の説明とは、どこが違うのだろうか。今回紹介する『伝える力』(池上彰/PHP研究所/2007年4月/800円+税)を読めば、その秘密が少しわかるかもしれない。本書は、池上彰が「書く」「話す」「聞く」といったコミュニケーションの基本を解説したものである。一応ビジネスパーソン向けということになっているが、多くの内容は日常生活や学校の勉強、趣味などにも応用できる幅の広いものになっている。少しでも自分の「伝える力」に不安を覚えたことがある人は、読めばきっと得るものがあるはずだ。

しっかり理解していないものをわかりやすく説明できるわけがない

池上彰『伝える力』(PHP研究所/2007年4月/800円+税)

本書の序盤で、池上氏は物事をわかりやすく伝えるために欠かせない重要な事実を指摘している。それは、「深く理解していないと、わかりやすく説明できない」ということだ。言われてみればあたりまえのことだが、実際にはこれに反して「理解があやふやなことを無理やり伝えようとしている」という場面が少なくない。

たとえば、会社で後輩に仕事の質問を受けた際に、うまく説明できなくて困ってしまったとする。そんなときは「ああ、自分は伝え方がヘタだなぁ」と落ち込んでしまうものだが、根本的な問題は伝え方以前に自分の仕事に対する理解にあるのかもしれない。日々「なんとなく」業務をしていると、本質的な理解をしていなくても「それなりに」仕事をこなせてしまうということは多い。しかし、そのようなあやふやな理解では、人に説明することは難しい。

「うまく説明できない」と思った時は、まずは説明したい対象に対する自分の理解を疑ってみるべきだ。わかりやすく伝えるためにはまずしっかりと学ぶことが不可欠で、そうでないとすればその説明は結局のところ「ごまかし」でしかない。

相手に合わせて伝え方を変える

また、何かを伝える際には相手に合わせて伝え方を変えることも必要だ。これも言われてみればあたりまえなのだが、実際にはできていない人が多い。

たとえば本書では、カタカナ語や漢語表現・四字熟語等については、受け手の年齢や立場によってケースバイケースで使い分けることを推奨している。若い人の前で難しい漢語表現を多用したり、詳しい事情を知らない社外の人相手にカタカナ語を使っても、伝えたいことが伝わりづらくなるだけだ。相手の立場に立って、適切な表現をその都度考えるようにしなければならない。

基本的に、「難しいことを難しいまま」伝えるのは誰でもできる。高度な伝える力を持っている人にしかできないのは、「難しいことを簡単に」伝えることだ。池上氏は、記者時代に「中学生でもわかる原稿を書け」と指導されたという。「中学生でもわかる」と聞くと「中学生レベル」だと思って程度が低いように感じてしまうかもしれないが、それは大きな間違いだ。難しいことを「中学生でもわかる」ように簡単に書くためには、説明対象の本質を理解し、情報を適切に取捨選択しなければいけない。これは非常に高度な技術が要求される。池上氏の番組が人気なのは、この高度な技術を身に着けているからにほかならない。

本書の本文もお手本になる

「伝える力」を学ぶにあたって、面白いのは本書の本文自体が既にそのお手本になっているということだ。非常にわかりやすい文章で、大きくつまずくことなくスラスラと読むことができる。もちろん「伝える力」と題した本がわかりづらくて伝わらないものだったらそれは問題なのだが、類書と比べても本書はかなりわかりやすい。単に内容を理解するだけでなく、ひとつメタな視点から本書の構成や書かれ方についても勉強してみると得るものが多いかもしれない。

ビジネスパーソン向けということで、本書の内容は単に文章を書いたり話をしたりといった形式的な「伝える力」だけに限らない。「褒める場合は全員の前で」「叱る場合は一対一で」といったような社内の人間関係を円滑にまわすための秘訣から、苦情に対する対処法、「謝罪」についての日本人の感性といったようなことまでコミュニケーション一般についてビジネスパーソンが知っておくべきことは広く取り上げられている。本書をうまく活用し、ぜひうまく「伝えられる人」になっていっただきたい。


日野瑛太郎
ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)がある。