日本サッカー史上に残る希代のレフティー・中村俊輔の「黄金の左足」は今なお健在だ

終盤戦に突入したJ1のセカンドステージで、横浜F・マリノスが調子を上げている。原動力は司令塔の中村俊輔。日本代表での戦いを含めて、数々の伝説を築いてきた黄金の左足から繰り出される正確無比なキックは、37歳となったいまも眩(まばゆ)い輝きを放っている。

堅守を誇るFC東京が見せた一瞬の隙

ピッチの上でこの男に時間と空間を与えると、それがわずか数秒間の隙であっても、かなりの高確率でゴールに絡む大仕事を完遂されてしまう。

7試合ぶりに喫した黒星とともに、FC東京の選手たちは日本サッカー史上に残る、希代のレフティーの脅威をあらためて思い知らされた。

5戦連続無敗のマリノスと6戦連続無敗のFC東京。その間の失点は前者の「2」に対して後者が「3」。両チーム自慢の堅守が攻撃力を凌駕(りょうが)するスコアレスの展開のまま、9月19日に日産スタジアムで行われた一戦は残り時間が3分を切っていた。

敵陣の左サイドでマリノスが得たスローイング。DF下平匠からMFアデミウソンを介して、再び下平に戻されたボールが俊輔へ託された瞬間だった。

周囲にいたMF米本拓司、MF橋本拳人、ボランチとして途中投入されていたDF松田陵が、まるで遠慮しているかのように背番号「10」にプレッシャーをかけてこない。

浮き球となった下平からのパスを難なくトラップした俊輔は、ちょっとした違和感を覚えながら前方に広がるスペースへドリブルで仕掛けた。

「それでもボランチの子がなぜかきつくこなかったから顔を上げて、チラッと見る時間があった。そうしたら、空いていたんだよね」。

芸術的なピンポイントクロスが導いた決勝弾

ペナルティーエリアの左角あたりまで侵入しても、まだ余裕があった。日本代表DF森重真人が、慌てて俊輔との間合いを詰めてくる。

しかし、時すでに遅し。俊輔の脳裏には、ゴール前へ走り込んでくるFW富樫敬真の軌跡が鮮明に刻まれていた。

「ケイマン(富樫)のポジショニングがよかった。あれで相手(のマーク)につかれているとか、横並びになっていたらダメだった」。

関東学院大学の4年生で、8月4日付でJFA・Jリーグ特別指定選手としてマリノスに登録されたばかりの富樫は、後半28分から投入されたFC東京戦が“初陣”だった。

それでも緊張することなく、ともに日本代表の肩書をもつ丸山祐市、太田宏介の間に広がるニアサイドの空白地帯に狙いを定めていた。

「ケイマンが手前のストッパー(丸山)の後ろでいいポジションを取っていたから、その上のゾーンに出せた。こっち(太田)も間に合わないからね」。

黄金の左足から放たれた高速クロスは緩やかなカーブを描きながら、丸山の頭上を超えて急降下。宙を舞いながらヘディング弾を突き刺した富樫が、「俊さんのボールが完璧でした」と声を弾ませる。

何もできなかった丸山と太田がぼう然と立ち尽くし、森重が頭を抱える。対照的に、俊輔はピッチに倒れ込みながらガッツポーズを作っていた。

かつて直接フリーキックに無関心を貫いた理由

6月で37歳になった。神奈川県の強豪・桐光学園高校から加入して19シーズン目。ファーストステージを含めて、FC東京戦までで13試合に出場して2ゴールをあげている。

後半アディショナルタイムの一撃でドローにもち込んだ7月19日のガンバ大阪戦。ファーストステージ覇者の浦和レッズの牙城を破り、4対0の快勝に導いた8月29日の先制弾。ともに代名詞である直接フリーキックでネットを揺らしたものだ。

通算63ゴールのうち、3分の1弱にあたる「19」を直接フリーキックであげている。遠藤保仁(ガンバ)に2差をつけて歴代1位を快走しているが、若かりし頃は絶対的な武器に対して無関心を装っていた。

19歳にして背番号「10」を託された1999年シーズン。直接フリーキックへの思いを問われた俊輔が、こんな言葉を残したことがある。

「別に何も考えていないというか、それだけの選手と思われたくないから」。

攻撃を差配するトップ下への強いこだわり。直接フリーキックも数多くあるプレーの一項目にすぎない、と言いたかったのだろう。左サイドでのプレーを命じた日本代表のフィリップ・トルシエ監督に対して、真っ向から反論を唱えたこともある。

「左利きだから左サイドというのは安易すぎる」。

「神の領域」に達していたFC東京戦のクロス

挑戦の舞台をイタリアからスコットランド、スペインへ移し、再びJリーグに戻ったのが2010年シーズン。さまざまな戦いを経験してきた過程で、世界レベルにあるフリーキックと素直に向き合えるようになった。

劇的なゴールを決めてきたレッジーナやセルティックからは、いまも俊輔がJリーグで直接フリーキックを決めるたびに称賛の声が届く。

そして、マリノスでもフリーキックを含めたすべてのセットプレーでキッカーを託される俊輔は、独特の言い回しで昂(たか)ぶる闘志を表現する。

「役割が与えられるとアドレナリンが出るよね」。

軸足を地面に滑り込ませるように踏み込む瞬間に生じる勢いを、上半身を押し出す力に変えながら左足を振り抜く。独特のフォームの極意を、俊輔は感覚的にこう説明する。

「すり上げるように左足を当てて、足にうまく乗せる感じ」。

フリーキックの場合は、相手選手がボールから約9.15m離れる。そして、時間と空間が与えられるという共通項のもとで、FC東京戦で勝利を導いたクロスは「神の領域」に到達していた。

「手応えというか、ここだなというのはあった。(相手の)守備が緩むというか、間が空くときに個の力か、ピンポイントのクロスで点が入る。どちらかと言うと、僕はピンポイントのほうだからね」。

笑いながら自らを"オジさん"と呼んだ理由

5年連続のキャプテンとして臨んだ今シーズン。古傷の左足首の手術で出遅れた俊輔は、5月には右太ももに肉離れを起こして再び離脱。チームも6位に甘んじた。

セカンドステージ序盤でも苦戦を強いられたが、調子を上げてきた俊輔とともにFC東京を抜いて6位に浮上。同じ1978年生まれの中澤佑二が圧倒的な存在感を放つ最終ラインに感謝しながら、俊輔は好調の理由を笑顔で説明する。

「ストッパーがいいよね。あと、キーパーの飯倉(大樹)もいいし、アデ(アデミウソン)もでかい。ゴールを決めたのはケイマンだけど、アデや(伊藤)翔がかき回したから、最後の最後に(FC東京の守備が)開いてきた」。

ならば、自分自身の貢献度はどうなのか。

「いやぁ、練習がきつい。オジさんに考慮しないからね。勝っているから、文句は言えないけどね」。

自らを"オジさん"と呼ぶ俊輔を、おそらく初めて見た。もちろんポジティブな思いを込めて、フランス人のエリク・モンバエルツ監督が課す猛練習がもたらす効果に感謝しているのだろう。

セカンドステージは残り6試合。鹿島アントラーズ以外の上位陣との対戦を終えたマリノスだが、決して優勝の可能性はゼロではない。切れ味と円熟味を増してきた俊輔の「匠の技」が、優勝戦線を熱く彩る。

※写真と本文は関係ありません

筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)

日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。