「旧日本人」と「新日本人」

ーーでは少し、本の具体的なところに入っていきたいと思います。暮らしに関わるところを中心に伺いますね。まず、第1章根津考太さんの部分なんですけれども、「社会がハードウェアのレベルで全然追いついていない」(p19)という話が出てきました。第1章で扱われる自動車もですが、マンションが基本的にLDKで設計されているような状況も一例になると思ったのですが、そもそもなぜハードウェアは追いついていないのでしょうか?

「それは、申し訳ないけれど自動車メーカーやデベロッパーのアンテナが低いせいだと思います。きちんと若者向けのサブカルチャーやWebサービスの動向を拾っていれば、僕みたいな門外漢でも気付くことなのですよね。でも、そのことを本職でおそらくは、代理店も入れてマーケティングをやっているであろう彼らが気付かなかった。それくらいオールドタイプの企業のサラリーマンのアンテナと戦闘力が下がっているということだと思います。きついことを言うと。

でも実際そうで、この前結構お堅い会社で講演したのですけれども、文化産業とか情報産業の人は年齢の高い人でも僕の話を理解してくれるのだけど、僕と同世代か下手すると下ぐらいの人でも、"対お役所"の部署にいる人たちは、いくら僕が『ネット世代でテレビや新聞を見ない若者が増えている』と言っても、『え、そんな人増えているんですか?』と。戦後的な中流文化が労働環境的にも家庭環境的にも文化的にも崩壊していると言っても全然ピンとこない人がいて、それくらい日本社会と言うのは分断が激しくて……」

ーー同じ会社なのにそれほど違うわけですもんね。

「そう。それくらい開きがあるのですよね。だからこそ、メーカーでもメディアでも多種多様な人たちを相手にする企業というのは、敏感じゃないといけない。今の日本というのは"昭和の日本人"と"21世紀の日本人"で全く別のリアリティを持って生きていて、分断されてしまっているということをきちんと理解した上で行動しないと、しっぺ返しを食らってしまうと思うんですよね。この本で扱っている、住宅が未だに核家族をモデルにしたもの以外、ファミリー向けというかある程度広い物件は出せない、作れないという問題や、ファミリーカーという思想自体が時代遅れになっているという問題は、すごく分かりやすい例だなと」

ーーだとすると、戦後的ではない人もたくさんいる中で、彼らに合ったものが生産されていないということですか?

「そうですね。だから日本人と言うのは2通りいるんですよ。旧日本人と新日本人と。だから旧日本人に合ったものしか供給されていないジャンルがすごく多いんじゃないかなというふうに思いますね」

ーー作る側の人間が"戦後的な日本人"側にいるってことでしょうか。

「だから戦後的な日本人の中にいてそうではない方は、もしこのインタビューを読む機会があったら僕らにアクセスしてほしいです。同じようなことを考えていて、僕はちゃんと仲間をつくって組織を作ってそういった産業の人たちのブレーンになれるような機能を作ろうと思っているし、いくらでも連携していきたい」

東京西側文化の形骸化

ーー次は門脇耕三さん(同書第4章)との対談のくだりに入っていきたいと思います。『PLANETS vol.8』にも東京論は登場していましたが、そもそも都市や空間に注目されている理由をお聞かせください。

「直接のきっかけは、なぜか呼ばれるようになったことですね。まさにその門脇さんに呼ばれたんです。3年か4年前だったんですけれど、彼が出席する建築系のシンポジウムに呼ばれたことがきっかけですかね。多分建築の部外者というか若者文化に詳しい人が一人欲しかったんだと思うんですけれど。僕自身は個人的に転勤を繰り返してきた人間で、街ってものに関心が昔から高いんですよ。東京に住んで当時5年目か6年目だったんだけど、あまり好きになれないでいて……やはり東京について発言する機会を求めていたということですかね。

僕自身の個人的なことかもしれないけれど、世紀の変わり目あたりには東京の西側が象徴する戦後のホワイトカラーの文化がある種形骸化していて、現代を代表する力をなくしていったと思うんですね。たとえば『サブカルチャー』といったときに90年代の音楽ファンを中心とした世界は大きく後退していて、秋葉原的なネットのオタクたちの文化が存在感をもつようになっていた。僕は結果的にだけどこのギャップを埋められる存在としてデビューして仕事をしていた側面があるんですね。だから、現代の都心回帰の流れというか、東京の重心がだんだん東側に戻って来ている流れと、自分の社会的な活動が奇しくもリンクしていたというのもあったんですよね。僕が高田馬場に事務所があって住んでいるというのも象徴的なのですけれども、やっぱり山手線より西側に住むことはないと思うんですよ」

ーー高田馬場というのは?

「それはただ、たまたま昔友達が住んでいて遊びにきていたから。田舎者だったので馴染みのない町に住むのが嫌だっただけで。実は僕そんなにね、高田馬場大好きでもなくて、経済的な事情とか物件的な条件が合えばいつでも引っ越すつもりではいるんです。でも多分、東京の西側には思想的に行かないだろうなって気がするんですよね」

ーーじゃあ東側はどうですか?

「うん。東側の方があると思うんです。それはもっと端的な話で。一回門脇さんと東京R不動産の馬場正尊さんと3人でやったイベントがあって、あのときにチョウ・イクマンという香港の社会学者で『リトルピープルの時代』の翻訳チームのリーダーでもあるんですが、彼が外国人にとっての東京は東側だと言っていたんですね。東京の人は西側に文化があると思っているんだけど、外国から見たら西側の文化に価値はないと。言ってしまえば、上野と浅草と銀座と秋葉原とビックサイトだと」

ーーそろってますね。

「要するに、良くも悪くも昔ながらの"フジヤマスキヤキジャパン"と"クールジャパン"であると。でもそれは僕もマクロな目で見ればそうだなと思うわけですよ」

ーーつまり、西側が文化という流れが一つあるとしても、そこにいる人が思っているだけで、外から見たらそうじゃないかもしれない、と。

「そういうのはヨーロッパの劣化コピーであまり意味がないと思っている。というのは僕が言っているんじゃなくてチョウさんが思ってるんですよ。僕からしてみると僕はやっぱり彼ほどそこはドライに見てなくて西側の文化にも一定のリスペクトはあるのだけど、ただ形骸化しているなと思うわけですよね。僕自身は少年時代に東京の西側の文化にメディアを通して憧れて育っているので。でも、もう現実なのだから受け入れなきゃというのも思うわけですよね。僕自身も西側の文化が没落していく中で、その空白を埋められる人間として出てきたところがあると」

ポストLDKの思想はどうなるのか

ーーこの本の中だと都市の話に新しいホワイトカラーの話が出てきますよね。そうするとこれから先、住まいとしての東京はどうなっていくのでしょうか?

「僕と門脇さんが前提として喋っているのは、住むところと働くところは近くなっていくだろうということですね。やはり戦後のサラリーマンが一時間かけて郊外から通勤できたのは、言ってしまえば専業主婦を家に住まわせていたからで、それって単純に人権問題から考えても、労働力の問題から考えても、つまり正しさの問題から考えても、効率の問題から考えても、もうありえない。

そうなったときに、自然と人は多少家賃が高くても職場の近くに家を借りるようになっていくというのが一つですね。これがやはり場所としては一番大きいのではないかと思います。もう戦後のように東京が西側に伸びていくことはないでしょう。

そうなると、やはり家族が一緒に過ごす時間って基本的には夜だけになるんですね。なので、おそらく外食や中食の割合が増えていくだろうし、家でごはんを作ることの重要性はおそらく低くなっていくと思うので、今の台所というかダイニングは専業主婦が家事をすること前提に作られているんだけど、変化せざるをえないだろうし、リビングの機能というのも少なくなっていく。

あとは、いまの30代や20代は親世代がマイホーム幻想に捉われて広い持ち家を買って、子どもが独立した後に持て余しているのを見ているから、家を買うにしても住み替えというのが前提にならざるを得ないだろうし、そうなると不動産というものを"買う""借りる"の関係性も変わっていく。持ち家幻想というものも単純になくなるというのではなくて、人間と住まいとの関係とか、住まいを財産形成の中でどう位置づけるかというところが、住み替えを前提にかわっていくと思うんですよね。なので、住宅購買が単純に少なくなるとは思わないんだけど、感覚は変わっていくでしょうね。

考えてみると子供が3~4歳、立って歩くようになってからせいぜい18歳くらいまでの間でしか、ファミリー向け物件のあの広さっていらないんですよね。"ポストLDK"の議論って90年代からずっとあるらしいんですけど、少なくとも日本社会においては社会的な必要性として、それが顕在化することはなかったと思うんですよ。しかしこれからいよいよポストLDKの社会的な論争も再浮上してくると思います」

ーー確かに、住宅メーカーさんとかに行くと「この部屋は子供が育った後、こうやって使えるようになります」っていう提案をした住まいをよく見ますね。

「住み替えを含む商品とかが増えてくると思う。住み替えを前提とした商品プランというかローンの仕組みとかも含めた商品プランというのが生まれていくんじゃないかなと。だから誰もが"30代で終の棲家を買う"スタイルというのはちょっと考えづらいということですね」