究極の職業、宇宙飛行士
空気も重力もない大気圏外での任務を遂行する宇宙飛行士は、全人類にとって究極の職業であると言えます。頭脳と肉体と精神のすべてが健全でなければ務まらないこの資格を得るには狭き門をくぐらねばならず、これまで実際に飛んだ日本人宇宙飛行士はわずか9人(加えて3人が今後宇宙飛行を予定)。そのうちの1人が古川聡さんです。
東京大学医学部医学科を卒業後、医師として東大病院外科に勤務していた古川さんは1999年、難関の宇宙飛行士選抜試験をパスして新たな一歩を踏み出しました。しかし2003年にスペースシャトルコロンビア号の事故があり、原因究明や方針変更によって日本の宇宙開発も影響を受けたこともあり、宇宙行きは延びのびに。古川さんがソユーズで宇宙に行ったのは、結局試験に合格してから12年以上も経った2011年6月のことでした。
デブリが接近する危機一髪の事態に遭遇しながらも、およそ半年間の任務を終えて帰還した古川さんは、次の宇宙飛行に備えて訓練をつづけ、日本人宇宙飛行士グループ副グループ長としての責務も担っています。
どうすれば危険に満ちた宇宙任務への意欲を失わない不屈の精神を持つことができるのか、一般社会でのストレスとの戦いにも通ずる、その心得を語っていただきました。
12年以上もの飛び立てない日々
古川さん:
私が宇宙飛行士候補に選ばれてからソユーズロケットで宇宙へと旅立つまでに12年と4カ月もの歳月を要しました。このように、いつまで待てばよいのか先が見えない不安があるときには、原点に立ちかえることだと思います。あきらめない強い気持ちを維持できたのも、宇宙で仕事をしたいという大きな目標があったから。そしてそのためにできることを積み重ねていこうと、日々精進してきました。
友人に愚痴をこぼせば多少は気が楽になりますけれども、根本的な解決にはなりません。その日、自分にできることをしていくとよいのではないかと思います。少しずつ進歩していると自覚することが大切です。語学でしたら、昨日までは知らなかった単語や表現を今日は覚えている、そうしたほんの小さな成功体験を重ねれば、達成感によってモチベーションを保つことができます。もっとがんばって上に行こうと。
訓練では失敗から学ぶ! 宇宙ステーションにぶつかってしまうことも
たくさんの失敗をして学びました。例えば通常、ソユーズ宇宙船は宇宙ステーションにドッキングするまですべて自動モードで運行します。しかし何らかの不具合があったときには手動に切り換えます。このとき宇宙船はある程度の速さで近づいてから減速します。なぜかというと、ドッキング時にちょうどいい1秒間10センチという相対移動速度で遠くからずっと近づいたら、時間がかかりすぎるんですね。ですから100メートルくらいの距離にあるときには1秒間に50センチくらいで飛び、近づくにつれてじょじょにスピードを落としていく。
その訓練の際、頭のいいインストラクターが、ブレーキに使う姿勢制御エンジンを壊してくれたんですよ(笑)。ブレーキには二系統があるので、もうひとつに切り換えるコマンドを入力すれば減速することができる。でもそのコマンドを呼び出しているあいだに接近してしまって、宇宙ステーションに「ゴン!」という音を立ててぶつかってしまった。もちろんシミュレーターですから害はありませんが、現実に同じ衝突が起きたら船体に穴が開くなどの重大事故になる。この結果を受け、以後は万が一に備えて接近時にはブレーキ切り換えのコマンドをあらかじめ呼び出しておいてリターンキーを押せばいいだけの状態にしておくことになりました。この運用方法はマニュアルにはありません。手順書に書いてある絶対にやらなければいけない「must」ではないんですが、やった方がいい「nice to have」ではありました。宇宙飛行士から宇宙飛行士へと口伝で受け継がれる一種のテクニックです。
知識を知恵に変えて
頻度が低くとも一度起こると重大性が高い事態に対しては、万が一発生した場合への備えをしておいた方がいいですね。よく起こる、あるいは過去に起きたものへの対策は手順書にありますし、よく訓練します。しかし起こりうる異常のすべてに対して訓練するわけにはいかない。そこで理論的な思考をする練習が重要になります。基本のシステムはこうなっているから、異常が発生したときにはこういう対処をすればいいと考えられるようにしていく。そうすると手順書にないことでも解決できますし、いざというときに対応できるという自信にもつながる。
打ち上げ間近の宇宙飛行士にはオーラのようなものがあります。今回宇宙に飛んでいる若田光一さんもそうですが、何が起きても大丈夫だという自信が、後光が射しているかのように彼らを輝かせているのではないでしょうか。
知識をどう使うかがわかれば知恵になる。知識を知恵にしていく努力が自信を生むのだと思います。