夫は突然会社が倒産して無職に、"専業主婦"だった妻が働くことに

僕の知人に"専業主夫"をしている男性がいる。大阪府に住むUくん、37歳だ。

Uくんは大阪府内の私立大学を卒業後、京都の某中小企業に就職し、真面目に14年間勤め続けたのだが、昨年その会社が倒産したことで、あっけなく無職になった。前日までなんの兆しも感じていなかったUくんは、ある日の朝礼で社長からいきなり倒産の事実を告げられた。社長曰く、実は数年前から経営が悪化の一途辿っており、このところはなんとか会社を存続させようと様々な金策に走っていたものの、どの銀行からの返答も芳しくなく、無情にも融資打ち切りとなったという。

最初はあまりに驚きすぎて、実感が湧かなかった。朝礼が終わり、社長と幹部たちがそそくさとオフィスから退散すると、部長に「君たちも帰ってよし」と言われたので、素直にしたがった。帰り際、当時は"専業主婦"をしていた妻に電話して、あっけらかんと「会社が倒産しちゃったよ」と言ってしまえるほど現実味がなく、その日の夜は同じく無職となった同僚たちと呑気に麻雀卓を囲んだ。Uくんは危機感を覚える暇がなかったのだ。

しかも、麻雀終わりで夜遅くに帰宅すると、妻もまた平然とした様子でワイシャツにアイロンをかけていた。そのワイシャツが女性物だったので首をかしげていると、妻は「わたし、明日から働くことになったから」と言う。なんでも以前勤めていた小さな広告会社に電話したところ、社長が「旦那が失業したんだったら、君がうちに復帰したらいい。ちょうど人手が足りなくて困っていたところだから、明日からでも戻っておいで」と誘ってくれたので、これは渡りに船とばかりに社会復帰を決めたという。

失業した翌朝、妻と4歳になる娘の朝食を作る

かくして翌朝、無職となったUくんはいつもより少し早起きして、妻と4歳になる娘の朝食を作った。妻から言いつけられたわけではないが、なんとなく何もしないことへの罪悪感を覚えたため、自分から率先して社会復帰する妻のサポートを買って出たのだ。

妻もまた、そんなUくんに同情したり、ケツを叩いたりすることなく、いたって平然とUくんが作った朝食を口に運び、素直に「ありがとね」と感謝してくれた。娘はまだ4歳だから、事態をよくわかっておらず、ただただ「おいちー」と言って食べるだけだった。

その後は出社する妻を見送り、娘を幼稚園にまで送っていった。娘から「どうして今日はパパが送ってくれるの?」と訊かれたので、どうせ子供にはわからないと思って「パパの会社は倒産したんだよ」と、そのまま告げた。当然、娘は意味がわからないといった表情を浮かべたが、「毎日お休みになったってこと」と言うと、無邪気に喜んでくれた。ただし、娘が幼稚園の先生たちに「パパはねー、カイシャがトーサンしたから毎日お休みになったのー」と得意げに言いふらしたことは、少し計算外だったが。

料理本を買いそろえ必死に勉強、料理づくりに喜びを感じるように

計算外といえば、料理もそうだった。これまでは料理のことなど考えたことがなかったが、いざ妻と娘のために料理をしてみると、これが想像以上に難しく、うまく作れないことへの悔しさが募った。だから、その悔しさを晴らすために料理本を買いそろえ、必死に勉強した。すると、だんだん料理の腕前が上がってきたのか、会社から帰宅した妻が夕食の味を褒めてくれるようになった。

Uくんはそこに喜びを感じ、ますます料理の道にはまった。朝はさらに早起きして、妻と娘の朝食以外に、それぞれの弁当も作るようになった。稼ぎのない自分へのせめてもの罪滅ぼしとばかりに妻の弁当は豪勢なメニューを心がけ、娘には流行のキャラ弁を作ってあげる。それでも外食するより安上がりであることを、今さらながら知った。

"専業主夫"となったが再就職への焦りは感じず、周囲からの憐れみには苛立ち

そんなこんなで、いつのまにか"専業主夫"となったUくんだが、不思議なくらい再就職への焦りを感じなかったという。その最大の理由は、妻がなにも言わず、楽しそうに働いてくれたことと、凝った料理やその他の家事に励む夫のことを最大限に評価してくれたからだ。妻は元専業主婦だけに、毎日の家事をこなしながら4歳の娘の育児にも奔走することの大変さをよくわかっており、だからこそ夫の家での働きに感謝を示してくれる。

「あなたが専業主夫に転職してくれたから、わたしは外で働けるようになったのよ。本当にありがとう。実はわたし、家事より会社勤めのほうが好きなんだよねー」

そんな妻の言葉を聞いて、Uくんは心から専業主夫に打ち込めるようになった。お互いの立場がはっきりしたことで、ますます料理が楽しくなり、いつのまにかアイロンがけの魅力にもとりつかれた。Uくんの中には、自分はどうやら家事という細やかな業務に向いているようだ、という思いがあった。そもそも昔から一人で黙々と作業をすることが好きだった。一方の妻は大雑把だが、行動力がある。そう考えると、我が夫婦の適材適所とは夫が内勤、妻が外勤なのかもしれない。今の形が正常なのだ。

しかし、社会はそんなUくんのことを簡単に理解してくれないから厄介だ。専業主夫となって1年、いまだに友人・知人から「仕事の口を紹介してやる」と言われるわ、娘の幼稚園でママ連中から腫れ物に触るような目を向けられるわ、実家の両親からは勝手に仕送りが送られてくるわ、なにかと周囲から憐れむような扱いを受け、そのたびにいちいち苛立ってしまうのだった。

<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち)
小説家・エッセイスト。早稲田大学卒業。これまでの主な作品は「虎がにじんだ夕暮れ」「神童チェリー」「雑草女に敵なし!」「Simple Heart」など。中でも「雑草女に敵なし!」は漫画家・朝基まさしによってコミカライズもされた。また、作家活動以外では大のプロ野球ファン(特に阪神)としても知られており、「粘着! プロ野球むしかえしニュース」「阪神タイガース暗黒のダメ虎史」「野球バカは実はクレバー」などの野球関連本も執筆するほか、各種スポーツ番組のコメンテーターも務めている。

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